日本の賃金・人事評価の仕組みはどうなっている?「賃上げ春闘」のその先へ
運動の再構築が求められている
次なる運動の模索
安倍政権による「賃上げ要請」は、労使の課題に政府が口出しすべきかという問題はありつつも、経済情勢的に賃上げが重要になる中で、うまく対応した事例と言えます。
連合の賃上げ春闘も復活しました。問題は、こうした動きを次の運動にどのようにつなげていくかでしょう。
春闘は1950年代後半にスタートしました。始めたのは総評でしたが、総評は他のナショナルセンターとも協力しつつ、運動の輪を広げていきました。こうした運動の熱が現在の春闘にも引き継がれているかどうかが問題です。
現在、中小企業の労働組合などでは、春闘=労使交渉になっているところも少なくありません。その機能自体は非常に重要なのですが、運動のコアが何なのかが見えづらくなっているのも事実です。賃上げとは別に春闘とは何かを考えなければいけない時期にきていると思います。
労働組合間の調整
賃上げができる企業とできない企業、情報を集められる労組と集められない労組とのばらつきが大きく、その調整が難しくなっています。1970年代半ばの春闘では、相場形成をリードしていた鉄鋼労連に対して、合化労連の太田薫が賃上げ幅が不十分であると批判する場面がありました。その批判が正しいかどうかではなく、喧々諤々議論し合える土壌があったことが重要です。批判の裏には、労働運動全体として賃上げする目標が明確でした。
今の春闘は残念ながら、そこまでできていません。例えば、統一要求を出したとして、それに対してどれほど統制を効かせられるでしょうか。批判し議論して乗り越えた要求だからこそ、運動として強く、広がりを持たせることができます。かつての春闘では産別の統一闘争から外れた単組が除名されることもありました。そうしたある種の厳しさを突き詰めないと会社との交渉も厳しいし、まして闘争にはならないでしょう。
会社に対して労働組合が自分たちの主張をするのは難しくありません。会社とは立場が異なるからです。難しいのは、立場が似た者同士での調整。つまり、労働組合間で要求を調整し、なおかつそれを統一して運動にしていくことです。労働組合間で厳しい調整をしなければ、やはり迫力が欠けてしまうのではないかと思います。そうした労働組合間の調整ができているかどうかは、春闘の波及効果にもかかわってきます。
春闘の相場形成をトヨタという一企業に頼るあり方もいびつではありました。トヨタ労使は今まで大きな貢献をしてきましたが、今、新しいフェーズに入って全体として運動をどう広げていくかが改めて問われていると思います。
運動をつくる
運動をつくるということは、みんなが共通した目標を持ち、そこに向けて活動を展開していくことです。そもそも、賃上げの労使交渉自体できていない職場が数多くあり、春闘=労使交渉になっている中小企業では、春闘のテーマは賃上げだけではありません。
賃金の上げ幅や水準、賃金制度をどうするかといった議論が真に有効になるには、労使コミュニケーションがすでにあることが前提であり、細かい賃金についての要求方法はその基盤づくりの次に来る問題です。職場の状況が多様化する中で、全体で共有できる的確な目標設定を見定めなければいけません。
労働組合に所属していても、組合が何をしているのか知らない人はたくさんいます。運動の中で組合を理解していかなければ、それを外に発信することなどできません。交渉相手に自分たちの主張を伝えることも大切ですが、組合員が自分たちの運動を知り、その大切さを実感することこそがまずは重要です。そうして頭で考えた政策ではなく、経験に基づいた言葉を一人ひとりが隣の誰かに語ることこそが、ひいては社会に組合の存在意義を発信することにつながっていくことでしょう。
運動の基盤から
かつてのように、どの企業でも賃上げ交渉が行われていたフェーズではなくなりました。運動として大きな目標を共有するためには、何のために賃上げが必要なのか、現在の春闘において優先すべきは何か、突き詰める必要があります。
組合役員が要求書をまとめ、交渉した経験がなければ勝ち取れるものも取れません。労働組合がなければ、労使で話し合う場すらないのが実態です。
いきなり賃金の上げ幅や水準を議論してもあまり意味がありません。継続した労使協議の場を設置できるのか、労使で一定の信頼関係を築けるのか、組合役員の交渉をどうサポートするのか。運動の基盤づくりこそが何よりも大切です。
産別の中にはこうした地道な運動を仕事としてだけではなく、コツコツとやっている人たちがいることを私は知っています。その重要性を理解しながら、ときにはこんなことで本当に良いのか迷うこともあるでしょう。しかし、皆さんの歩む道こそが労働運動の正道であり、言葉にせずともその姿が本当の意味で人々に労働運動が何かを語り尽くしていると私は思います。