日本の賃金・人事評価の仕組みはどうなっている?企業横断的な職務給は日本で広がるのか
職務給が不要だった理由
日本で職務給が根付かなかったのはなぜか。理由にはさまざまな議論がありますが、戦後に限って言えば、1950年代後半から長期雇用が定着し、転職が例外になったことが挙げられます。
高度経済成長期に、企業はたくさんの従業員を毎年雇い入れました。経済成長で企業収益が伸びていたこともあって、従業員は転職することなく、その企業で長く勤めるようになりました。
また、経済成長に合わせて企業は事業所をどんどん増やしていきます。企業は従業員の配置転換でこれに対応しましたが、その際、課題となるのが賃金制度です。一つの職務に賃金額が一つだけの単一レート職務給では、配置転換のたびに賃金が上下してしまい、柔軟な対応ができません。一方、勤続年数や従業員の職務遂行能力を測る職能給では、配置転換をしても賃金額は変わりません。人事評価の基準は、企業横断的に職務の内容で評価するのではなく、転勤などの配置転換にどれほど対応できるのかといった企業内での忠誠度が評価の基準になりました。
こうした環境では、職務給は不要であるどころか、有害にすらなります。企業内での職務給が不要になれば、企業の枠を超えた職務評価はもっと不要になります。
欧州の職務評価
他方、欧州で職務評価の手法が個別企業に導入され始めたのは1950〜60年代です。その一つの要因となったのは、ILOで100号条約(同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約)が1951年に採択されたことです。男女の賃金格差を是正するために、職務評価が必要だったのです。
確かに、欧州ではそれ以前から産業別の職種別賃金はありましたが、それは職務評価によって決まるものではありませんでした。職務評価は、男女の賃金格差を是正するために導入されたのです。
日本の場合、違う企業に行っても同じ額の賃金であるべきだという考え方は根付きませんでした。戦後初期に、労働組合が要求した「電産型賃金」は、企業横断的な賃金体系としてはほとんど普及しませんでした。また高度経済成長期には、多くの企業が成長していて、同一の企業に居続けても賃上げや昇進が行われるため、労働者にとっても転職は必要ありませんでした。転職が必要なければ、企業横断的な基準も必要ありません。企業内で職務給が必要とされず、企業横断的な基準も求められなければ、企業横断的な職務給は必要なかったのです。
長い過渡期にある日本
こうした傾向はバブル期まで続きました。ただ、1990年代後半から変化は徐々に起きています。
職能給的要素は今も根強く残っていますが、職務評価は大企業において、すでにかなり広く導入されていると考えるべきでしょう。そのことは職務評価を企業に提案する経営コンサルタントの隆盛からもわかります。企業が職務評価を導入するのは、ISO基準に沿うために職務を明確化する必要性があるからです。
とはいえ、職務評価の結果は、処遇に全面的には反映されず、その一部が役割給として反映されているに過ぎません。職務評価は行っているものの、賃金・雇用体系に一部しか反映していません。
人事評価にも同様の傾向が見られます。従来の日本型雇用の人事評価の特徴は、抽象度や主観的評価の比重が高いことでした。この傾向は依然として根強くありますが、職務基準での評価に少しずつ移行する傾向も見られます。例えば、やる気や協調性といった「情意考課」が減少していること、目標管理制度などを導入し、人事評価の結果を本人に伝え、納得度を高める取り組みもその一環です。
このような変化の背景には、日本型雇用慣行が人材獲得競争において必ずしも優位ではなくなっていることがあります。そのわかりやすい例が、外国人や女性労働者の獲得競争です。長期勤続が前提で、短期的には損をする日本型雇用慣行は、こうした人材の獲得競争では優位に働かないのです。
職務評価・職務給のメリット
企業の枠を超えた職務評価・職務給のメリットは、日本型雇用慣行の下で長期勤続し、その収入のみで家計を支える男性正社員の視点からは、ほとんど見えません。しかし、その視点を外して考えるとメリットばかりです。
例えば、大きなメリットは転職しやすくなることです。まず、大企業で働いている人でも転職によって労働条件が低下することが少なくなるでしょう。また、転職しやすい環境は、無理な転勤を断る理由にもなり、共働きにも有利に働きますし、男性正社員の企業依存度を下げることもできます。そして、雇用形態間の格差是正にもつながります。男女がともに働き続けられることが、私は現在の日本で最重要だと考えますが、これを前提とすると企業横断的な職務給はメリットばかりと言えます。
企業横断的な職務給を導入すると賃金カーブがフラットになるという懸念があります。しかし、職務給であっても賃金カーブが日本より右肩上がりの国があります。それはドイツです。その理由を知るには研究が必要ですが、職務給だからといって賃金カーブが上がらないというわけではないのです。
日本型雇用慣行はバブル期までは企業競争力の根源だと考えられてきましたが、最近ではそう考える経営者は少なくなっています。人材の獲得競争が進む中で、従来の日本型雇用が根深く残る産業・企業と、そうではないところとの差がはっきりし、まだら模様になっています。
労働組合にできること
では、労働組合は企業横断的な職務評価の導入のために何ができるでしょうか。一つは、企業内での職務評価と人事評価を、できる限り職務基準で行う方向へ促進することです。また、現在すでに行われている職務評価を企業内での雇用管理や人事管理にもっと反映させるよう促進するといいでしょう。
企業内での職務評価が広がれば、それが企業横断的に使われる可能性が高まります。産業別労働組合は企業内の職務評価を産業内に拡大する方向で運動を展開してほしいと思います。とりわけ、IT業界の技術者の雇用は、すでに流動化しています。企業横断的な職務基準をつくりやすい産業と言えるでしょう。
具体的な取り組みの例として、離職者や中途採用者の労働条件調査を実施してほしいです。離職理由や転職前後の労働条件の変化を調査することで企業横断的な基準作りに活用できます。運動のスローガンとしては、転職しても労働条件が下がらない労働組合運動ということになるでしょう。
年功給・職能給でないとすれば、多数は職務給になるよりほかありません。日本型雇用慣行の弊害を乗り越え、男女がともに働く社会を実現するためにも、企業横断的な職務評価が重要なのです。