特集2019.11

日本の賃金・人事評価の仕組みはどうなっている?日本型雇用の成り立ちと限界を知る
改革のために何が必要か

2019/11/15
膨大な資料から日本社会の仕組みを明らかにした『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書)の著者である小熊英二教授に、日本型雇用の成り立ちと今後の展望を聞いた。
小熊 英二 慶應義塾大学教授

職務の平等より社員の平等

──日本型雇用の特徴とは?

日本型雇用の特徴は、長期雇用と年功賃金にあると言われますが、その根底は企業を横断した基準がないことです。人事評価の基準や賃金決定の基準が企業を超えて存在しない。だから、入社時の学歴のほかは、長期に雇って働きぶりを観察するしか賃金決定の方法がない。これが結果的に「年功」になるわけです。

この仕組みの原型は、明治時代の高級官僚にあります。一部の高級官僚だけが、終身の身分を保証され、昇進とともに賃金が上がっていく。この仕組みは戦前、官営企業を中継点に民間企業のごく一部の上層職員にまで広がりました。

戦後、労働組合はこのモデルを一般の労働者に広げることを求めました。結果的に、下級事務員や工場労働者まで長期雇用と年功賃金が適用されるようになりましたが、それは各企業で適用され、企業を横断した要求になりませんでした。

──なぜ企業横断的にならなかったのでしょうか。

日本では、ホワイトカラーとブルーカラーが同じ労働組合に入っていたからでしょう。欧米の労働組合は歴史的にホワイトカラーとブルーカラーが別々の組合を形成してきました。機械工は機械工組合、事務員は事務員組合と、企業横断的に職種別の組合が発達した。階級間の格差はありますが、ある企業の機械工が他の企業に移っても、同じ機械工組合に所属していて賃金も変わらない。職務が同じなら、企業が違っても賃金が同じ「職務の平等」がある。同一労働同一賃金も、これの延長です。

しかし日本では、職種別組合の歴史がなく、戦後になって一気に企業別組合が広まった。戦前の日本では職員と工員の極端な賃金格差がありましたが、戦後の企業別組合はこれの撤廃を要求した。これに職員も賛成したのは、戦後のインフレで職員も生活が苦しかったこと、もともと職員組合の歴史がなかったことなどが挙げられます。ただしその平等は、一社内だけの「社員の平等」でした。

つまり日本の労働者は、「職務の平等」より「社員の平等」を求めたと言えます。

日本型雇用の限界

しかし、明治期の高級官僚に適用された長期雇用と年功賃金は、そもそもステータスとして与えられたもので、経済合理性はなかった。例えば、同じ仕事なのに勤続年数の長い人の賃金が、短い人に比べて何倍も高いというのは、経済的合理性からは説明ができません。

もちろん一定程度までは、熟練で生産性が上昇することはあります。欧州にも勤続年数に基づく昇給はありますが、10年か15年で昇給は頭打ちになる。そのため欧州では、昇給しない部分を補うため、公営住宅や児童手当などの社会保障が発達しました。

一方、日本では中年期に賃金が上がる年功賃金で、教育や住宅にかかわる費用も企業が負担しました。国は産業振興に努める一方、社会保障の充実に力を割きませんでした。こうした組み合わせが一般化したのが1960年代半ばです。

──この仕組みの問題点は?

横断的な基準がないため、企業を超えて専門能力が評価されることがない。また、途中退職すると不利益を被る。結果として、女性には不利になります。

またそもそも、この雇用慣行は一定以上には広まらない。もともと経済合理性で決まっていたのではない高級官僚の賃金体系を、すべての労働者に広めることはできないからです。高度経済成長で一定数まで広がりましたが、私の試算ではこの慣行が全就業者の3分の1を超えて適用されたことはありません。

2010年代後半の数値でいうと、こうした日本型雇用が適用される「大企業型」の労働者は、全就業者の約26%しかいません。その他はどうしているかというと、自営業や小企業で地元のネットワークがあり、収入は多くなくても地域の相互扶助の中で暮らしている「地元型」が約36%。長期雇用も年功賃金も、地域の相互扶助もないという「残余型」が残り4割ほどと推定しています。

実を言うと、この「大企業型」の割合は1980年代からほとんど変わっていない。変化したのは「地元型」が減って「残余型」が増えたこと。上の3割弱を占める大企業の日本型雇用はあまり変わらず、下の7割では自営業が減って非正規雇用が増え、不安定化が進んでいる。

フェアネスの追求

──「大企業型」のポジションは今後も変わらない?

わかりません。しかし、仮に維持できても問題はあります。一つは、今は「大企業型」に属する労働者でも、自分の子どもをそこに押し込むにはかなり厳しい学歴競争があること。もう一つは、下の7割の不安定化が進み、地方の過疎化や貧困の拡大が起き、地域や社会保障が不安定化すること。これらは「大企業型」が維持されたとしても問題です。

一方で「大企業型」も、量的な割合こそ変化していませんが、内実が劣化している。1970年代のある製造系大企業では、事務職の男性正社員の約40%が係長以上でした。長期雇用して年功昇進させるとそうなってしまう。そこで企業は人事考課を強化したり、関連会社に出向させたりして、賃金カーブの上昇を抑制してきました。長期雇用と年功賃金を続ける限り、この先も労働強化と質の劣化も続いていくと思います。

──課題を乗り越え、企業横断的な基準を今後つくれるでしょうか。

すぐにつくることは難しい。しかし拙著では、採用や昇進、人事異動や査定などの透明性を高めることを提案しました。この点は、今の労働者にとって不満が多いだけでなく、企業横断的な労働市場を阻害していた要因でもあるからです。

アメリカでは1970〜80年代に、性別や人種に関する雇用差別訴訟が数多く起こり、人事考課や賃金決定の過程をすべて公開するようになりました。そうなると企業は、どういう基準で採用し、昇進させたのか、公開できる明確な基準をつくらざるを得なくなった。このように企業が人事に関する基準の透明性や公開性を高めていけば、企業横断的な基準が生まれやすくなると言えます。

労働者も、みんなが全く同じ賃金になる仕組みを望んでいるわけではない。そうではなくて、納得のできる能力評価や昇進基準、つまり「納得のできる賃金」を求めているのだと思います。

非正規雇用の低賃金も、ある時期までは「納得」されていました。大企業正社員の妻や、農林水産業で持ち家のある人たちが、家計補助的に非正規雇用に就いていると認識されていたからです。しかしそうではない人が増えてくると、同じ仕事なのになぜ賃金が違うのか、という疑問が出てくる。このままでは社会的な合意が得られないことは明らかです。

納得というのは、「公正」と言い換えてもいい。労働運動を含めて、さまざまな運動の目的は、公正の追求にあります。社会の慣行は不変ではなく、人々が声を挙げ、行動して合意すれば変えることができます。労働運動がそうした取り組みをすれば、多くの人の支持を得られる可能性があるでしょう。

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