特集2020.05

気候変動問題に向き合う気候変動と資本主義
経済のあり方を変えなければ気候変動は止められない

2020/05/15
気候変動という危機に直面する私たちは、現在の社会システムをどう変革すればよいのか。グローバル資本主義からの転換を訴える斎藤幸平・大阪市立大学准教授に、私たちがめざすべき方向性について聞いた。
斎藤 幸平 大阪市立大学准教授

気候変動と資本主義

──気候変動の危機をどう捉えていますか。

自然災害の深刻化は明らかです。オーストラリアやアメリカ・カリフォルニアでの山火事、日本での台風や豪雨など、何十年に一度といわれる自然災害が世界各地で頻発しています。気候危機はもう始まっていると意識をすぐに転換する必要があります。

人類は、産業革命以降に燃焼した化石燃料のうち半分を、たったこの30年間で燃やしてしまいました。地球上のあらゆる資源や労働力を搾取して、市場化・商品化する、グローバル資本主義は明らかに持続可能ではありません。

こうした経済のあり方は、短期的に見れば確かに、私たち、特に先進国の人々の生活を豊かなものにしたかもしれません。しかし、50〜100年という長いスパンで見れば、持続不可能な社会を生み出した非常に罪深い行為だと言えます。

──気候変動と資本主義の関係性をどのように捉えればよいのでしょう。

化石燃料を猛烈な勢いで燃やし、世界中に市場をつくり、より遠くに、より早く、よりたくさんのモノをつくって、売る。これこそグローバル資本主義が基本的に行ってきたことです。

それは、石炭や石油といった何千万年もかけて凝縮されたエネルギーを瞬間的に大量に使うことで成り立つシステムです。過去に生まれた資源を徹底的に絞り取ることで一時的に経済活動を加速させているにすぎません。過去を搾取し、未来の可能性を奪っているのです。

それに対抗する動きもこれまでなかったわけではありません。1980年代後半には気候変動問題に取り組もうという機運が醸成された時期もありました。

ところが、数年後にソ連が崩壊し、グローバル資本主義が隆盛すると、楽観的な未来予測が社会を覆い尽くし、結果的に貴重な30年間が失われてしまいました。

──温暖化の背景には政治的な変化もあったということですね。

ソ連崩壊後、アメリカ型の資本主義を広めることが、人々に自由と繁栄をもたらす唯一の道であるというイデオロギーが強まりました。左派やリベラルも、グローバル資本主義こそ唯一の道であるという考え方を受け入れてしまいました。その結果、環境政策・環境経済も基本的には市場・マーケットの原理に取り込まれたものになっていきます。

2018年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者のウィリアム・ノードハウスの考え方もそうです。彼の1990年代の論文は2100年までの気温上昇を3.5度に抑えるためには炭素税をどれくらいにすれば、経済成長とのバランスを崩さずに設定できるのかというモデルを示したものですが、私たちが今直面しているのは、それよりもはるかに厳しい事態です。2030年までの気温上昇を1.5度に抑えようとすれば、経済成長に歯止めをかけなければいけないのは明らかです。

経済成長からの脱却

──経済成長しないとはどのようなイメージでしょうか。

今、世界の富は、ごく限られた一握りの人たちが持っています。その富をうまく分配するだけでも状況を改善する余地は十分にあります。

新型コロナウイルスの危機の中でも、人々の暮らしを支えるために働き続けている人たちがいます。医療従事者だけではなく、病院を清掃する人、食事を提供する人、ゴミを回収する人、スーパーの従業員、保育や介護の分野で働く人、物流、公共交通の人たちなどです。

こうした仕事は社会を再生産するために欠かせません。ところが、こうした仕事で働く人たちは低賃金の場合が多く、投資銀行やコンサルタント会社で働く人たちが高い賃金を得ている。こうした奇妙な転倒が起きるのは、経済成長を優先した結果です。お金に直結するものが高く評価され、社会に必要なものほど低く評価される。経済は何のためにあるのかが問われています。

この話は一見、気候変動と関係ないように思えますが、そうとも言えません。実際、保育や介護のようなケア労働は二酸化炭素の排出量も少なく、環境負荷は低いからです。マルクス的に言うと、使用価値の生産を重視した経済システムの移行が求められている、ということです。

──具体的に何が求められるでしょうか。

資本と対峙することなく社会を変えていけるという発想から脱却する必要があります。これからの人々の暮らしや地球環境を重視する運動は、明確に反資本主義を掲げなければいけません。

世界的な潮流を見れば、バーニー・サンダースが掲げたビジョンは長期的には反資本主義そのものであり、若者たちから熱烈な支持を得ています。グレタ・トゥーンベリもそうですが、システムの転換を迫る運動が若者たちから出てきています。

日本はいまだ温室効果ガスの削減目標が2030年までに26%という低い目標のままです。つまり、経済成長を前提とする限り、この程度の対策しか出せないのです。科学者が求める対策を取るためには、資本主義に挑まざるを得ません。

政治家たちはさまざまなしがらみからそれを実行に移さないどころか、化石エネルギーへの課税、投資の撤退には及び腰で、富裕層を優遇し、新自由主義的な政策を取ってきました。温室効果ガスの排出に規制をかけ、課税を行い、ローカルな生産へ切り替えていく。現在のグローバル化したシステムの下では、こうした改革を企業が自発的に行うことは期待できません。だからこそ、社会運動は資本主義に対抗せざるを得ない。これはグレタも明確に主張することです。

グリーン・ニューディール

──経済成長は労働者も求めてきました。どう考えればいいでしょうか。

日本の労働組合は、企業の成長によって分配のパイを大きくし、生活を改善する運動を展開してきたため、企業の成長の論理に飲み込まれてしまう弱点があります。気候変動対策でも、企業の業績悪化を心配して、積極的に取り組めないという悪循環に陥っています。

ただ、考えてほしいのは、企業が生き残るためという名目で行われた構造改革によって、働く人たちは豊かになったのか、ということです。この30年間の新自由主義的な政策の下、公共サービスが削減され、非正規雇用が増え、不安定・低賃金労働者が増えました。これではだめだと気付かなければいけません。

グリーン・ニューディールがなぜ重要なのかというと、気候変動に優先して取り組むだけではなく、資本主義を変える取り組みでもあるからです。これまでグローバル資本主義の下で苦しめられてきた労働者の生活を改善するための取り組みでもあるのです。

具体的には、インフラ改革を通じた安定した雇用の創出や、エネルギー効率の良い住宅の増築、公共交通機関の無償化やケア労働者の処遇改善などです。労働者を搾取するシステムは自然も必ず搾取します。自然の搾取をやめさせるためには、労働者の搾取もやめさせる必要があります。

──グリーン・ニューディールの元手となるお金や予算はどう考えればいいでしょうか。

お金の問題を考える際にも、資本との対峙を避けて通るわけにはいきません。みんなが負担する「消費税」にしても、お金をいくらでも刷れるという「MMT」にしても、大企業や富裕層にお金を払わせるという議論を避けています。お金をいくらでも刷ることができれば階級闘争はいりません。どこかで資本と対峙しなければ、表面上は環境問題に対応しているように見えても、自然や労働者が搾取される構造は変わらず、資本の論理に容易に回収されてしまうでしょう。

どんなものでも商品化していくのが資本主義です。今求められているのはその反対で、商品化の領域を減らしていくことです。

例えば、新型コロナウイルスへの対応を市場原理に任せれば、人々は多額のお金を払わなければ入院できなくなるでしょう。市場の原理と対峙し、商品化された領域をみんなのものにする、無償化された「コモン」の領域を増やしていかなければいけません。それが『未来への大分岐』という本で最も伝えたかったことです。

新型コロナウイルスと気候変動

──新型コロナウイルスは気候変動問題にどのような影響を及ぼすでしょうか。

経済の落ち込みからの回復を図るために、消費や生産をこれまで以上に増やそうとすれば、気候変動対策は後退する可能性があります。一方、経済が落ち込んだままでは、気候変動対策への投資も行われない懸念があります。

今回の危機は、新自由主義イデオロギーの下で公共サービスが削減されてきた否定的な影響を露呈させました。新型コロナウイルスの危機が落ち着いた後に、新自由主義的な政策を転換させ、人々の暮らしに財政を振り向ける運動が出てくるのかが決定的に重要です。例えば、本当に必要なワクチンや治療薬は人類共通の財産、「コモン」として管理されるべきではないか。そうした議論が出てくるかどうかが重要です。

日本では、自粛要請とそれに伴う補償が議論されていますが、生きていくために必要なものが、そもそもこれほど商品化されている現状はおかしいのではないか、生きていくために必要なものを「コモン」化する動きが必要なのではないか、そうした要求が出てくればフェーズが変わってくると思っています。そのことを期待しています。

2019年1月にベルリンで行われたデモ(ウィキメディア・コモンズ)
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