気候変動問題に向き合う気候変動問題に立ち向かう若者たち
「本気で変えたい」「私たちは無力ではない」
(フライデーズ・フォー・フューチャー 略称FFF)
環境問題に取り組むきっかけ
「自然と触れ合うのが当たり前の環境で育ったので、自然に対する特別感はありませんでした。環境を守ろうという思いも、高校に入学するまであまりありませんでした」
栃木県那須町の出身。幼少期から那須の豊かな自然と触れ合ってきた。
中学校を卒業し、都市部の高校へ進学。そこで地元・那須の自然の豊かさに気付いた。
「都会は空気が汚いし、ゴミもたくさん落ちているし……。それで地元の自然が特別であることに気付きました。地元への愛着が生まれて、環境問題への意識が芽生えました」
大学へは、持続可能な地域社会のあり方を研究したいと進学。そこで社会問題を研究するサークルに所属し、講演会やイベントに参加しながら気候変動問題の知識を深めていった。
ただ、実際の活動にすぐにつながったわけではない。行動を起こすようになった背景には、大学1年生のときのとある出来事がある。実家のすぐそばで、原発事故の除染土の最終処分の実験が行われることになり、その時、反対したかったが、どうやって行動すればいいのかわからず、とても悔しい思いをした。
「自分は何のために学んでいるんだろう。ただ学んでいるだけじゃだめだ、そんな思いが強くなりました。それが階段を上る一つのきっかけでした」
その後、労働問題などに取り組むNPOにボランティアとして参加。社会問題を解決するプロセスを学んだ。
グレタさんの影響
さらに、「衝撃を受けた」出来事があった。2018年12月、グレタ・トゥーンベリさんの存在を知ったことだ。
「デモクラシー・ナウというアメリカのインターネット・メディアでグレタさんのことを知りました。私より年下の15歳の彼女が、たった一人で世界を動かしている、そのことにすごく衝撃を受けました。それまでの自分は無力で、何もできないと思っていましたが、グレタさんを知って、私にも何かできる、絶対に何かしたいと強く思うようになりました」
グレタ・トゥーンベリさんが「学校ストライキ」を始めたのは、2018年8月。その後、その運動は各地へと広がり、2019年3月には世界で100万人以上が参加する大規模な抗議活動が展開された。世界で活動する人たちの思いが益子さんにも届いた。
「2019年9月に日本で3回目のデモが行われることになって、今しかないという思いで地元で運動を立ち上げる決意をしました」
そうして2019年9月上旬、Fridays For Future Nasuを立ち上げた。那須町は人口が少なく、高齢化も進んでいるので、若者へのアウトリーチが難しい。そのため、デモに向けては、SNSでの呼び掛けのほかに、それまで講演会やシンポジウムなどでつながった人たちに声を掛けた。その結果、デモ当日には40人弱が集まった。
デモでは、迫り来る気候変動を危機として認識してほしいと強調した。
「気候変動を危機として認識することが日本には絶対に必要です。グレタさんが言うように、科学の声にきちんと耳を傾けて、『まず知ろうよ』ということを訴えたかった」
「もう一つは、このままでは未来がないという焦りです。現在の社会システムを変えなければ、私たちの未来はありません。私たちには、システムチェンジが必要なんです」
知ることの大切さ
「知ることがとても大切でした。無関心というより無知識だったので…」
知ることが行動につながった。
「知らなければもっと楽に生きられたかもと思うことはあります。でも、気候変動をはじめ、世界で苦しんでいる人たちがいる事実を知ってしまった。それを無視することは、事実を切り捨てることと同じです。そんなことはできないし、絶対に向き合い続けようと決心しました。このままでは、被害者がさらに出ることはわかりきっています。だから、本気で変えたい」
2020年1月にかけては、那須町での「気候非常事態宣言」の採択に向けて動き出した。町議会議員全員に手紙を書いて、「気候非常事態宣言」の紹介議員になってくれるように依頼。賛同してくれた議員を訪問して、内容について議論を重ねた。2月には議会事務局に請願書を提出。3月の町議会で請願をベースにした「那須町気候非常事態宣言」が可決された。ただそれで満足はしていない。
「請願を出すのは生まれて初めて。活動の中で知り合った70代、80代のベテランの皆さんがノウハウを教えてくれました。宣言は採択されましたが、『理念法』はいくらでも掲げられます。それに合わせて現実を変えていけるかが大切。もっともっとボトムアップしないといけないと思っています」
「授業ストライキ」
那須だけではなく、大学のある仙台でもFridays For Future Sendaiの活動に参加。大学では、金曜日の2時間目の授業をボイコットして、その時間にスタンディングデモを行う「授業ストライキ」を決行した。
「日本で『授業ストライキ』を実際にやったのは、これが初めてではないでしょうか」
大学構内で「ストライキ」を展開していると、仲間が増えた。
「『クール』とか、『モラル的に素晴らしい』と声を掛けてくれて、留学生や他大学の人も含めて、10人くらいメンバーが集まりました。すごく希望が見えました」(「理解のある先生だったので、単位はきちんと取りました」と少し笑う)。
ただ一方で、海外に比べて日本の気候変動に対する市民運動が弱いことに課題も感じている。
「若い世代は、社会運動に対する忌避感がすごく強くて、『ストライキ』という言葉を聞いただけでも『なにそれ』っていう感じです。東日本大震災以降の原発問題も知らないし、『SEALDs』のことも記憶にない。社会運動をすることが『危ない』っていうイメージがあります」
「だから、どういう風に共感を得ながら、活動を広げていくのかは難しいなと思っていて、いつも悩んでいます。でも、時間は限られています。事態を変えていくためには、誰にアプローチして、どこを変えなければいけないのか、戦略的にやっていかないといけません。もっと若い世代、小中学校にもアプローチをしていきたい」
世代を超えて
気候変動問題が世代間の問題だとされることに違和感を抱くこともある。
「70代、80代の人とも一緒に活動しますが、『若い人ががんばれ。私たちはもう先が長くないから』と言われると、正直イラッとすることがあります。『若者ががんばっている』ではなくて、もっと一緒に考えてほしい」
30〜50代の働く世代にも伝えたいことがある。
「気候変動問題に興味はあっても、長時間労働のせいで活動に参加できない人もいます。気候変動問題は一部の活動家だけが取り組むものではなくて、社会のみんながかかわるべきこと。働く人たちが自分の会社の中で、行動を起こすこともすごく大切です。気候変動問題に対して何ができるかを考えてほしいです」
新型コロナウイルスの影響で、仲間と集まるデモなどを行うことが難しくなっているが、悲観はしていない。事態収束後に経済活動が活発化したときに気候変動問題を主要なテーマにできるか、ウイルス対策の中で露呈したぜい弱な社会保障・福祉のあり方を見直せるか、仲間とともに議論を重ねている。
「自分は無力で何もできないと思う人もいるかもしれませんが、私たちは無力ではありません。確実につながっているし、自分の置かれた場所でできることが必ずあります。私たちは一人ではありません。皆さん、ぜひ一緒に戦いましょう」