「就職氷河期」は再来するか
懸念される経験の格差
大根仁監督作品『SUNNY〜強い気持ち・強い愛〜』を観た。もともとは韓国映画であり、世界的な人気となっている。日本版は、90年代半ばと現代をつなぐものとなっている。人生の甘さと苦さにあふれた作品ではあるのだが、本作品に登場するルーズソックス、短いスカートで渋谷の街を歩き、カラオケやプリクラではしゃぐコギャルたちを見ると、エネルギーを感じるし、失われた時代の入り口とされる90年代にも楽しい瞬間はあったのだと再確認した。
1974年生まれで、1993年に大学に入学し、1997年に社会に出た私は「就職氷河期世代」と呼ばれる。ここ数年、「ロスジェネ代表」としてコメントを求められる機会も増えた。そのたびに戸惑う。この世代も実に多様である。「就職氷河期」という言葉が誕生したのは1992年で、流行語大賞の部門賞に選ばれたのは1994年だ。もっとも、就職率がより悪化したのは2000年代前半だ。自分が代表していいのかと戸惑ってしまう。
「就職氷河期問題」について語るときには、その時代の若者たちが就職で苦労したこと、その後、不安定な生活を送ることを余儀なくされたことが取り上げられる。それだけではなく、正社員で安定した生活を送っているかのように見える層においても、喪失感を胸に生きているということを直視したい。つまり、数字だけではなく、心情も理解しなくてはならない。
新型コロナウイルスショックで「就職氷河期再来」が懸念されている。もっとも、これはややメディアが悲観論をあおっている感もある。就職情報会社各社のデータでも、勤務先の大学で学部のキャリア委員長を担当している実感値からしても、求人はメディアであおるほど減っていない。明確に変化したのは説明会や面接のオンライン化、就活期間の長期化である。
しかし、それだけだろうか? 前述したように、心情的な就職氷河期化が起きていないか。エアラインやホテル、旅行代理店をめざしてきた学生は絶望している。そして、単に就職活動だけではなく、今までと比べると大学生活は確実に不自由なものとなっている。図書館で本や資料を閲覧することも、勉強することもできない。サークル活動も停滞しているし、仲間と会うこともできない。少なくともこの半年間、大学生活は制約のもとにあり、上の世代と比較した経験の格差が生まれていることは直視するべきだろう。そして、社会に出てからも変化には戸惑い続けることだろう。すでに今年の新人においては、配属変更、研修のオンライン化の弊害、自宅待機など、上の世代とは違う絶望を味わっている者もいる。
政府も経団連も、就職氷河期再来の阻止を叫んでいる。なんとしてでも、若者が希望の持つことのできる社会にしなくてはならない。ただ、そのためには雇用の機会の確保だけでは十分ではない。少なくともこのような心情的就職氷河期状態を意識するべきであり、地に足のついた、新しい働く喜びの創造が必要だろう。若者が安心、安全に働くことができる社会と会社にするために、労組関係者は議論をし、提言をしなくてはならないのだ。