常見陽平のはたらく道2018.06

ハラスメントと組織
「昔はそれくらいあった」を超えて

2018/06/13
面白くない思いをする人が生まれる連鎖を断ち切るために、私たちは何をすべきか。

セクハラ問題が話題となる今日このごろ。SNSを起点とする世界的な「#MeToo」ムーブメントの波が来ている。前財務事務次官のセクハラ問題を始め、日本でも社会的な問題となっている。

この問題については「昔はそれくらいのことはよくあった」という話になる。加害者が50代以上の場合はその感覚が批判されたりもする。

たしかに、私の記憶では80年代くらいまでのドラマや漫画、アニメは、少年・少女向けのものや、地上波で放送されるものを含め、今ではセクハラやパワハラだと言われるシーンがよくあった。男性が女性の体に触れる、性的な発言をするなどである。

よく昔の作品においては、手塚治虫作品など名作と呼ばれるものを含め「この作品には差別的な表現が含まれていますが、当時の時代背景を考慮し、そのまま掲載しています。ご了承ください」という断り書きがある。そのうち、80年代くらいまでの作品が再販売される際には「この作品にはハラスメントと言われる表現がありますが〜」という表記が付くのではないかと私は見ている。

これは企業においてもそうだ。私が会社員になったばかりの90年代後半はハラスメントに対する啓発が始まって間もない頃だった。宴会はもちろん、事業部の集会においても、今ならセクハラだと言われかねない芸なども披露されていた。普段の日常的な職場の飲み会においても、アルコールの強要などは日常茶飯事だった。当時の会議は、毎日がパワハラまがいだった。特に営業の会議は、時に怒号が飛び交った。灰皿を投げる上司もいた。

その後、コンプライアンスが重視されるようになり、その一環としてハラスメントに関しても学んだ。やや余談だが、芸人の小島よしおがパンツ一丁で「そんなの関係ねぇ」と連呼する芸でブレークした際、「小島よしおさんのあの芸を社内のイベントでまねする際は、着衣のもと行ってください」という通達があったという事件が、以前の勤務先ではあった。笑えるようで、時代の変化を感じる案件である。

昔話はこれくらいにしよう。「昔はこれくらいのことはよくあった」と言いたいわけではない。この「昔」は、実は誰もが傷付いていたのではないかと問いたいのだ。

さらりと昔話を書いてきたが、面白おかしく語っているつもりはまったくない。特に会社における宴会芸は、自分がする(させられる)側だったわけだが、その芸を見て傷付いた女性社員などがいるだけでなく、やっている自分もつらかった。猛烈に忙しく働きながら、業務の合間を縫って芸の練習をし、さらには職場の仲間に半裸をさらし熱演しなくてはならないのである。周りの先輩、上司からも同情の声があった。店も迷惑だっただろう。芸をさせられた私や同僚は、加害者にさせられた上、被害者でもあったのではないか。

ハラスメントについて個人の不祥事という文脈の報道が多いと感じるが、組織の問題としても捉えたい。誰もが面白くない思いをする連鎖を断ち切るにはどうすればいいかを考えたい。労働者の人権後進国からいかに脱するかを考えよう。

常見 陽平 (つねみ ようへい) 千葉商科大学 准教授。働き方評論家。ProFuture株式会社 HR総研 客員研究員。ソーシャルメディアリスク研究所 客員研究員。『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)、『「就活」と日本社会』(NHKブックス)、『なぜ、残業はなくならないのか』 (祥伝社)など著書多数。
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