東日本大震災から10年「つながり」を訪ねて失われた防風林の再生へ
健康で美しい海岸めざし
地域の人々とともに
2万数千本の苗木を植樹
仙台湾沿岸部には、40数キロに及ぶ松の防風林があった。東日本大震災の津波で防風林は壊滅。海岸の風景は一変した。
宮城県名取市の閖上地区も津波の被害を大きく受けた。同地区で防風林の再生をめざして活動しているのが、「ゆりりん愛護会」だ。会は2006年に発足。もともとは海岸に自生する「ハマボウフウ」の再生を目的にした市民団体だったが、東日本大震災以降は、防風林の再生に取り組んでいる。会は、震災で活動をともにしてきた仲間を7人失った。
防風林を再生する活動は、苗木の育成から始まった。菌類学者の小川眞氏の協力を得て、わずかに生き残った松から種子を取り出し、育てた苗木を震災4年後の2015年から海岸に植え始めた。
その後、秋と春の年2回、植樹祭を実施し、クロマツの苗木を植えている。秋の植樹祭の際には、情報労連宮城県協議会のメンバーが参加。毎回500〜600本の苗木を植えている。
会の活動で、これまでに植えた苗木の本数は2万数千本に及ぶ。会の代表を務める大橋信彦さんは、「活動当初に植えた苗木は20センチくらいでしたが、いまでは背丈が2メートルを超えるほどに成長しました」と説明する。防風林の再生は着々と進んでいる。
震災から10年。大橋さんは、「災害公営住宅や商業施設ができたり、道路が整備されたり、ハード面の復興は進みました。一方、ソフト面、心の復興という意味では、人によって違いはありますが、やっとスタート地点に立ったところではないでしょうか」と話す。
災害公営住宅では、高齢者の孤立化が問題になっている。
大橋さんは「海岸の空気の良いところで一緒に苗木を植えられたらと考えたりしますが、苗木を植えようと呼び掛けるだけでは、なかなか足を運んでもらえません」と話す。そこでアイデアを加える。「クロマツ林には、『松露』というキノコが生えます。地元では『ショロンコ』という愛称で呼ばれる懐かしいキノコ。苗を植えるだけではなく、『ショロンコ』が採れますよと呼び掛ければ参加してくれるかもしれない。お年寄りの皆さんにも来てもらって元気のおすそ分けをしたい」
大人が夢を語る
大橋さんがめざすのは、「健康で美しい海岸の再生」だ。ハマボウフウの花が咲き、スナガニが走り回る海岸の景色を取り戻したいと考えている。「1000年に一度の災害は、1000年に一度の再生のチャンス。健康で美しい海岸を再生したい」と意気込む。
その主役は、地域の子どもたちだ。会では、地元の小学校と連携して、環境学習に取り組んできた。「地域の自然に関心を持つ子どもたちが増え、地域の活動に参加する楽しさを感じてもらえれば、もっといい地域社会になっていくはず」と大橋さんは話す。
労働組合との絆も深まった。会では今年、労働組合による社会貢献活動を紹介する連合のウェブサイト「ゆにふぁん」でクラウドファンディングを実施し、100万円の目標額を超える寄付が集まった。「労働組合の皆さんの力で自分たちだけではとても集められないような大きな寄付が集まりました。感謝の言葉しかありません」
大橋さんの活動の原動力となっているのは、「夢を持つこと」だ。大橋さんは、「大人が夢を持てなくて、どうして子どもたちが夢を持てるでしょうか」と訴える。そう考えるからこそ、「情報労連の皆さんもぜひ夢を持ってください」と呼び掛ける。「健康で美しい海岸の再生」という夢に向かって、大橋さんの活動は続く。