トピックス2021.04

東日本大震災から10年「つながり」を訪ねてすべての子どもたちが
愛され、守られるように
家庭的な環境を提供

2021/04/14
さまざまな事情から親と一緒に暮らせない子どもたちに、「愛され、守られている」と感じることのできる家庭環境を保障する活動を行う「子どもの村東北」。情報労連の組合員の家族もその活動に携わってきた。理事長の飯沼一宇さんに話を聞いた。
飯沼 一宇 「子どもの村東北」理事長の飯沼一宇さんは、2011年3月当時、石巻赤十字病院の病院長を務め、災害対応の最前線で指揮を執った。

石巻赤十字病院で災害対応

「すべての子どもに愛ある家庭を」──。このスローガンのもとに世界135の国と地域で活動する国際NGO「SOS子どもの村」。日本ではNPO法人「SOS子どもの村JAPAN」が、2010年に「子どもの村福岡」を開村。2014年にNPO法人子どもの村東北が仙台市に「子どもの村東北」を開村した。

「子どもの村」は、施設養育が中心の日本において、家庭養育と専門的な支援、そして市民・企業・地域の支えを特徴とする、里親制度を活用した新しい仕組みだ。東日本大震災で親を失った子どもたちはもとより、親の病気や経済的理由など、さまざまな事情で家族と暮らせない子どもたちのために、「愛され、守られている」と感じることのできる環境の中で育ってもらうことをめざし、村内に「家族の家」を建設。そこに「育親」(里親)と1〜5人の子どもたちが独立して生活するとともに、専門スタッフが常駐して家族の生活をサポートしている。

「子どもの村東北」の理事長である飯沼一宇さんは、東北大学医学部教授や日本小児神経学会理事長を歴任し、2005年からは石巻赤十字病院の病院長を務め、病院長当時の2011年3月に東日本大震災に遭遇した。

地震発生当時、東京の会議に出席していた飯沼さんは翌12日午後には石巻市内に入り、病院で災害対応に当たった。病院は震災の5年前、免震構造などを備え新築していた。さらに、災害に備え病院職員の訓練も重ねてきた。「災害は必ず来ると予測していたので、それが功を奏した」と飯沼さん。一方で、未曽有の状況の中、「無我夢中で直面する問題に対処してきた。じっくり考える時間はなかった」と当時を振り返る。

家庭の愛情のもとで

飯沼さんは翌年3月に病院を定年で退職。「子どもの村東北」の理事長に就任することになり、さまざまな事情で家族と暮らせない子どもたちの問題などに向き合うことになった。「災害や貧困、育児放棄や虐待など、さまざまな事情から親と一緒に暮らせない子どもたちがいる。そうした子どもたちに家庭的な環境を保障する方法として、『子どもの村』はモデルケースになり得る」と話す。

「子どもの村」の特徴は、家庭的な環境の中で子どもが生活できるようにすること。一般的な里親の場合、里親の自宅で養育するケースがほとんどだが、「子どもの村」では村内の専門スタッフのサポートを受けながら生活できる。

親の愛情のもとで子どもが育つ社会をつくっていきたいという思いの一環として、宮城県からの委託事業「家族再統合支援業務」にも取り組んできた。家族再統合支援業務とは、分離状態にある家族が再び一緒に暮らせるよう、通所プログラムや宿泊訓練プログラム等を活用して支援する事業のことだ。

飯沼さんは、「私たちが活動でカバーできるのは、ほんの一部だけ。まずは私たちの活動を知ってもらい、多くの人にサポートしてもらえるようにしたい」と訴える。情報労連は「子どもの村東北」に対し、「愛の基金」から支援金を助成するとともに、ブロック支部が視察するなどの活動を行ってきた。

東日本大震災から10年。飯沼さんは、「防潮堤の建設や高台への移転は進んでいるが、生活が元通りになったり、心の傷が癒えたりという意味では、まだ道半ばだと感じている」と話す。その上で、子どもたちのために、大人ができることについて次のように語る。

「今の社会はいまだ大人中心の社会。大人たちの子どもの権利に関する意識が高いとは言えない。子どもの権利や主体性にもっと目を向けて、子どもたちが伸び伸び育つことのできる社会をつくっていきたい」

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