「接待問題」で浮かび上がった
飲み会の意思決定を考える
愛煙一家に育った私だが、タバコはいっさい吸わない。ただ、会社員時代に困ったことがあった。「タバコ部屋会議」の輪に入れないのである。喫煙者たちのコミュニティができており、そこでの連帯感が苦手だった。実際にビジネスで困ったのは、その場で情報交換や、意思決定にかかわる話が行われてしまうことだった。まさに、蚊帳の外だ。
同じ嗜好品、酒もそうだ。ここ数カ月、政治家や官僚の「飲み会」「接待」「会食」が問題となっている。今回はこの問題を議論する際の「あってはならない」という正義感あふれる話を、あえて手放して考えたい。人はなぜ、酒を飲みながら仕事関連の話をしたがるのか。四半世紀ほど前の、私が学生の頃も「飲みニケーション」は見直さなくてはならないという言説があった。会社の飲み会を断る若者像も何度も紹介された。しかし、この飲み会文化は脈々と受け継がれている。
問題が指摘されつつも、仕事関連の飲み会が続いているのは、メリットがあるからだろう。酒を酌み交わすことにより、本音で語り合うことができる。普段の会議以上に長い時間を過ごすことができる。想いを共有することもできる。関係性を深めることもできる。
ただ、この飲み会による仕事の情報共有、意思決定は言うまでもなく、問題は大きい。タバコ部屋以上に、排他的であり、参入障壁が高いのである。「お酒が飲める(あるいは、その環境に身をおける)」人に限定される。育児や介護など家庭の事情がある人、健康上の不安を抱える人などは排除されてしまう。役職、年次、さらには組織によっては派閥などにより、その飲み会に呼ばれるかどうかで、すでに選別されてしまっている。
いくら仕事の場だとはいえ、酒が入ると、何が起こるかわからない。さまざまなハラスメントを誘発しかねないという問題もある。飲みの席で、本音を伝える、想いを共有するのは美談のようで、酒が入りながら、説教をすると単なるパワハラになってしまうことがある。身体的な暴力を誘発させることもある。セクハラもそうだ。異性に対する性的な言動にはもちろん注意したい。それだけではなく、実は同性同士のセクハラに注意をしたい。例えば、いわゆる下ネタは同性同士の集まりで、自然にその場で出たとしても不愉快に感じる人がいる。オブラートに包んで書くが、2次会で、「接待を伴う飲食店」に行こうと誘うのもそうだ。その場を盛り上げようと、芸をするのも要注意である。その種類や、強要したかどうかによっては、ハラスメントになり得る。
これらの性質を考えると、飲み会での意思決定は不適切と言わざるを得ない。飲みの席でしか言いにくいことなどは、普段の会議で話すのもよいだろう。働き方改革の時代ではあるが、夜の飲み会が実質的に打ち合わせになっているのなら、会議の時間やあり方を見直すのも手だ。懇親を深める場を普段の業務時間に設けるのも一案である。
新型コロナウイルスショックで飲み会や、そもそも人と会うことが減った。ただ、飲み会なしでもなんとかやってはいける。飲食を否定しているわけではない。仕事と酒の関係を根本的に見直すべきである。