東日本大震災から10年「つながり」を訪ねて取り戻しつつある日常
居住者の半数は65歳以上
高齢者が安心して暮らせる街に
落ち着きを取り戻しつつある街
福島県沿岸部に位置する南相馬市。市南部の小高区は東日本大震災後の福島第一原発事故で、大半の地区が避難指示解除準備区域などに指定された。
震災当時の人口は1万2840人。震災から10年。今年2月末現在、小高区内の居住人口は3768人にまで減った。避難指示解除準備区域の解除後、居住人口は徐々に増えてきたが、近年は頭打ちになりつつある。
避難指示解除準備区域の指定が解除されたのは、震災から5年4カ月後。「若い世代は避難先で新しい生活拠点をつくっているため、時間が立つほど戻ってくるのが難しい」。南相馬市社会福祉協議会・小高区福祉サービスセンターの鈴木敦子所長はこう話す。現在、小高区の居住者の半数以上を65歳以上の住民が占める。高齢化への対応は大きな課題だ。
震災から10年。街には、復興拠点施設である「小高交流センター」や、子どもの遊び場「NIKOパーク」などができた。震災前にはなかったカフェも区内に5カ所できた。「暮らしは落ち着いてきた。人口は少ないけれど日常は保たれている」と鈴木さんは話す。
一方、震災前、7店舗あったスーパーは1店舗に。一時期2カ所あった薬局は1カ所になった。「生活の利便性はなかなかはかれない」と鈴木さん。高齢者の移動手段も依然として課題だ。地域には500円で利用できるワゴンタクシーがあるが、本数は多くない。高齢者の免許返納などに伴う「交通弱者」の課題は全国共通だが、小高区も同様の課題を抱えている。
元通りには戻らないが
震災後、社会福祉協議会では住民同士のコミュニケーションをサポートしてきた。しかし、昨年以降、新型コロナウイルスの影響で、住民が集まる「サロン」系のイベントの開催が難しくなり、中止や規模の縮小を余儀なくされている。
そうした中でも、生活支援相談員が高齢者などを直接訪問する活動は続いている。鈴木さんは、「生活支援相談事業で、住民の声を吸い上げる機会が圧倒的に増えた。住民がどんなことで悩んでいるか、何を不便に感じているか伝わりやすくなった。住民にとっても定期的に訪問してくれて、話を聞いてくれる安心感がある。大きな成果があった」と強調する。こうした取り組みを通じて、困った際には社協が相談先の一つとして認識されるようになった。
ただし、生活支援相談事業は、期限付きの復興事業の一つだ。「復興事業ではなくても、こうした仕組みがあった方がいい」と鈴木さん。今後の課題の一つだ。
震災から10年を振り返ってどう思うかを尋ねた。
「震災当時は10年たてば震災前の日常に戻れると簡単に考えていたが、そうではなかった。避難指示解除まで5年4カ月かかり、その後の動きが落ち着いてきたと思ったらあっという間に10年がたっていた。震災前には戻らないと認識しながらも、生活をまっとうしていきたい」と鈴木さんは語る。
今後、めざすのは高齢者が暮らしやすい街づくりだ。「高齢者が暮らしやすい街は、若い人たちも安心して歳を重ねることができる街。そういう街にしていきたい」。
2月中旬、福島県で震度6強を観測した地震の際には、住民同士が安否確認を行ったり、社協のデイサービスの職員が窓ガラスの割れた住民(利用者)の部屋の片付けを手伝ったりするなど、住民同士で助け合った。
震災から10年、落ち着きを取り戻しつつある街を、安心して暮らせる街につくりあげる取り組みが続いている。