トピックス2021.07

東日本大震災から10年「つながり」を訪ねて「東北お遍路」で1000年先まで記憶をつなぐ
失った分、手に入れたものも

2021/07/13
福島県新地町の旅館「朝日館」で女将をしていた村上美保子さんは震災後、地域をつなぐ活動をしたり、震災の記憶を語り継いだりする活動を展開してきた。震災から10年を経て今感じることは何か。失ったものはたくさんあったが、手に入れたものもあった。
東北お遍路プロジェクトの岩沼千年の森除幕式
村上 美保子

交流イベントでつながる

村上美保子さんは、福島県相馬郡新地町にあった、明治創業の老舗旅館「朝日館」の女将。旅館と自宅を2011年の東日本大震災の津波で失った。

村上さんは、震災から2週間後にブログ「朝日館の女将のてんてこ舞日記」を再開。その後、震災体験を語ってほしいという要望を受けて、『命の次に大事なもの』という紙芝居を携え、全国各地で講演してきた。その数は、2011年から5年間で400回を超えた。

村上さんは、古くから津波被害を受けてきた三陸沿岸の岩手県岩泉町で育った。幼少期から地震が起きたら、津波が来るので逃げるように教わってきた。

東日本大震災の際も津波が来るとすぐに直感した。新地町出身の夫は、津波は来ないと言ったが、言い聞かせて避難した。新地町では116人が犠牲になった。避難せず亡くなった人も多かった。その経験からも、村上さんは、地震が起きたら逃げるよう講演で訴え続けてきた。

仮設住宅に移転してから半年後に、住民の孤立を防ぎたいと、仮設住宅の集会所で「エコたわし」(アクリル毛糸で編むたわし)をつくり、販売する活動を始めた。売り上げたお金で、餅つき会、お花見、芋煮会、ビンゴ大会、日帰り温泉ツアーなどを開催。4年後に仮設住宅の住民がいなくなるまで続けた。

高台の団地に引っ越した後、「エコたわし」の活動に参加したメンバーから「仮設はよかったねぇ。楽しかった。団地は交流がなくて寂しい。仮設に戻りたい」と言われた。

その声を聞いて何かしなければと行動を起こした。復興庁の「心の復興事業」に申請し、団地で交流イベントを行うことにした。寄せ植え教室、そば打ち教室、流しそうめん、ミニSL──。4年間にわたり毎年、年に7回イベントを実施。当初は7人だった参加者は、最後の年には毎回60人集まるようになった。新型コロナウイルスの影響で、昨年2月のイベントを最後に開催できなくなってしまったが、交流イベントで「団地が明るくなった」と村上さんは振り返る。

「東北お遍路プロジェクト」

このほかに、村上さんが力を注いできたのが『東北お遍路プロジェクト』だ。震災の体験を1000年先まで語り継ぐ場として、福島県から青森県の沿岸部に巡礼地を設ける活動だ。巡礼地は公募の上でメンバーが現地を訪問。さらに有識者による外部の創生委員会を設置し、認定している。現在93カ所が巡礼地に認定されている。

プロジェクトでは、著名な俳人である夏井いつき氏などの協力を得て、俳句・写真コンテストを実施している。「コロナが収束したら、ぜひお遍路を回ってほしい」と力を込める。

今年2月、福島県を震度6強の地震が襲った。村上さんの自宅も準半壊の被害を受けた。「10年のうちに2回も被害を受けるなんて夢にも思わなかった」

震災から10年。「あっという間だったという人もいるが、私にとってはすごく長かった」と振り返る。

村上さんは、20年前に最愛の娘をがんで亡くしている。津波で娘の遺骨もお墓も流された。あれもこれもなくなった。

震災はつらい経験だったが、娘を亡くした経験に比べればたいしたことないと思えた。娘の死さえなければ幸せな人生だと思ってきた。だが、震災を体験したことで、そのことも大切な経験だと思えるようになった。震災後、新しい仲間とのつながりも生まれた。「なくなったものはたくさんある。でも、それと同じくらいにたくさんのものを手に入れたという思いもある」と村上さんは話す。

旅館の女将をしていたので、人を集めたり、楽しいことをしたりするのが得意だ。楽しく生きるがモットー。「震災があってつらいことも悲しいこともあったから、みんなで楽しく暮らしたい」

被災前の朝日館前
震災直後の朝日館前
交流事業での手芸教室
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