特集2021.10

交渉のツボ!
──労使交渉から目標管理制度まで──
交渉上手になるにはどうすべき?
「交渉学」を労使交渉に生かす

2021/10/13
労働組合活動の基本となる労使交渉。労働組合の目標達成のために、使用者との交渉をどう進めればいいのか。「交渉学」から学べることとは?
田村 次朗 慶應義塾大学法学部教授
一般社団法人
交渉学協会 理事長
日本説得交渉学会 会長

交渉学とは何か

「交渉学」と、「交渉術」は異なります。世間では交渉には「勝った・負けた」というイメージがつきがちですが、交渉学はそうした駆け引きのための「術」ではありません。互いのミッションを共有し、信頼関係構築に努め、Win-Winの結果をめざすのが交渉「学」です。日本には、近江商人の「三方よし」(「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」)という言葉がありますが、交渉学はまさにその精神にマッチした学問と言えます。

「勝った・負けた」で交渉すれば、互いの関係は悪化し、信頼関係は構築できないでしょう。そうした交渉が正当化されるのは、相手との関係が継続しない1回きりの交渉だけです。関係が続く相手との交渉では、そうはいきません。

例えば、「論破」という言葉があります。論破された相手がその理屈に納得し、満足するのならいいですが、多くの場合一時的な勝利にしかならず、その後、打ち負かした相手と良好な関係を築くのは困難になります。

繰り返しになりますが、交渉は勝ち負けではないということ。互いを理解し、信頼関係構築に努め、双方とも満足する結果を見いだすことが重要なのです。

体系化した交渉を学ぶ

交渉学は、約50年前にハーバード大学ロースクールのロジャー・フィッシャー教授が体系化しました。日本で交渉学を教える際、私は次の3点を最初に示し、体系立てて解説しています。

(1)論理(2)準備(3)現場──の3つです。

1番目の論理は、自分の論理と相手の論理を融合させること。そのためには、相手の論理を理解し、自分の論理と融合する点はどこかを探る必要があります。

2番目は、準備です。相手の論理を知るためには、良い質問をすることが必要ですから、そのための事前準備が欠かせません。交渉上手とは、実は「聞き上手」であることなのです。

3番目は、現場です。互いの立場を前面に出した交渉は、どちらの立場が正しいかという意見のぶつかり合いになりがちです。そこで、相手が最終的に何を求めているのかという、利害に焦点を当てると相手の論理が見えてきます。傾聴して、相手の利害を引き出すことができれば、交渉は前に進みやすくなります。

労使交渉の特徴と課題

労使交渉という交渉は、互いの立場が非常に強く出やすい交渉です。労働組合は組合員の立場を代表し、会社側は経営者の立場を代表して交渉に臨むため、どちらの立場が正しいかという、立場を巡る交渉になりがちです。しかしこれでは、双方が納得できる合意を模索する交渉は望めません。交渉学で最もやってはいけないと言われる類型である「二分法の罠」、すなわち二者択一の議論は、見直すべき交渉スタイルです。

対話のプロセスをきちんと経た交渉でなければ、よりよい合意は得られません。団体交渉の最初に、互いの立場を明確にするポジションメイキングのようなものはあってもいいかもしれませんが、双方の一致点と相違点を明確にし、相互理解を通じて問題解決をする、という対話を行うのがよいのではないでしょうか。

交渉・対話のための準備

対話とは、簡単に言うと、対立する事柄を建設的に話し合うことです。話を合わせるだけの「会話」と、「対話」は異なります。

交渉・対話のためには、5つのステップに沿った準備が大切です。

1つ目は、状況の把握です。まずは交渉相手と自分の状況を客観的・俯瞰的に把握すること。相手の顧客や関連会社などステークホルダーの状況も把握しましょう。

2つ目は、交渉相手とミッションを共有することです。ミッションとは、交渉を通じて最終的にどのような利益を獲得したいのか、合意によってどのような新しい価値を生み出したいのか、といったイメージのこと。労使関係であれば、「会社の事業を成功させる」だけではなく、「社会に貢献できる企業になる」などもいいでしょう。

3つ目は、具体的な目標の設定、ターゲットの設定です。ここでは、「最高目標」と「最低目標」を設定し、相手のターゲティングとのズレを意識しながら、どうすれば最高目標に近い合意を得られるかを探っていきます。

クリエイティブ・オプション

そして4つ目、ここが、交渉における最大のポイントです。それが交渉の選択肢や条件をどれだけ形成できるか、すなわちオプションをどれだけ持つことができるかという点です。

交渉ではお互いが要求をぶつけ合うだけでは、合意は成立しません。問題解決に向けた創造的な解決策、「クリエイティブ・オプション」を見いだす必要があります。相手のニーズを探りながら、自分たちのニーズとも合致するオプションをどれだけ創造できるかが合意形成のポイントです。

アメリカの労使紛争では、弁護士が間に入って、合意を目的としないブレインストーミングの場を設けることがあります。ここであらゆる選択肢をテーブルに乗せることで、ターゲティングの方向が変わる可能性が生まれます。

例えば、福利厚生の充実や女性が働きやすい職場環境の整備など、創造的なオプションを形成できれば、賃上げ以外のオプションで合意できるかもしれません。オプションの話をどれだけ広げられるかが交渉のポイントです。

5つ目は、どうしても合意できない場合の代替案を考えておくことです。交渉学では、「BATNA(バトナ)(Best Alternative to Negotiated Agreement)」と呼ばれます。合意を急いで安易な妥協をしてしまうことを防ぐのに役立ちます。

このように、これまでのような使用者に回答を求めるだけの交渉ではなく、クリエイティブ・オプションを活用した交渉をどのように展開していくか、その上でいかにミッションを達成していくかが、今後の労使交渉の課題と言えるのではないでしょうか。

交渉上手なリーダーを育てる

使用者に比べて労働者の立場が弱いという構造は、今の時代も変わりません。その意味で労働組合の役割がなくなることはありません。しかし一方で、使用者や組合員に対して、さまざまな選択肢を示せる労働組合が求められるようになっているのではないでしょうか。

アメリカには、「優秀なリーダーほど自分の意思決定に自信がない」ということを実証した研究があります(ダニング・クルーガー効果)。一般的に、自分の決定に自信がある人の方がリーダーに適していると思われがちですが、この研究はそうではないことを明らかにしました。例えば、組合員の声をきちんと汲み取れていたか、多様な声を反映できたか、そういうことを振り返る、「自信のないリーダー」の方が、遥かに優秀なリーダーだと言うのです。

これは、権威型のリーダーより、適応型のリーダーの方が優秀であることを示しています。自分は何でもわかっていると思い込むリーダーは、過信によって判断を誤ってしまうことがあるのです。

これからの労働組合のリーダーに求められるのは、多様な組合員の意見を取り入れながら、それを交渉に反映させていく能力です。交渉上手な人は、「聞き上手」なのです。「無知の知」を理解したリーダーを育成できるか。そこが交渉上手なリーダーを育成する決定的なポイントになると強調しておきたいと思います。

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