交渉のツボ!
──労使交渉から目標管理制度まで──労使交渉に不可欠なデータ活用
収集・分析のエッセンスを学ぶ
中央大学文学部社会学専攻兼任講師
高まるデータ活用の必要性
労使で労働条件を協議していく上でデータの活用は不可欠である。春闘における賃金交渉は、会社の経営活動を通じて新たに生み出された付加価値の分配を巡る交渉であり、労働組合側は経営側の支払い能力を見定める必要があり、そのためには「貸借対照表」など財務データの収集と分析が必要である。
同時に、労働組合には組合員の仕事や生活の実態を踏まえた要求の策定が求められる。組合員を対象としたアンケートによって得られたデータは要求を根拠づけるものになる。また、企業内では分配の仕方も重要な検討事項である。分配について検討するには個人賃金のデータを集め、実態を把握しておく必要がある。労働組合には、性別や年齢によるゆがみや偏りが生じていないか、また、賃金額のバラつきは許容できる範囲に収まっているのかなど、チェックしていく役割も求められる。
このような交渉のためにデータを集め、分析していくという労働組合の基本的活動の重要性は、近年、より高まっているように思われる。アンケートの分析では、かつては組合員の中の多数派(たいていは、配偶者・子どものいる男性組合員)にスポットをあてたアプローチだけでも、それなりにモノがいえていた時代もあったように思う。
しかし、今や多くの企業で多数派を見いだすことは難しくなってきている。女性が総合職として働き続けることは一般的なことになっている。さらに、両立支援制度の充実は働き方を確実に変えてきている。
分析に携わる立場として、衝撃を受けた調査結果がある。育児のための短時間勤務の活用実態である。連合が実施し、情報労連も参加している「生活アンケート」には2018年調査で初めて勤務形態の選択肢に「育児・介護のための短時間勤務」が登場している。情報労連の結果をみると、独身者を含む女性30代の1割が該当していた。賃金や労働時間について[女性30代計]の結果は何を代表しているのか、問われてしかるべき状況になっている。ワーク・ライフ・バランスの支援施策が充実するに従って、ライフの多様な現実が人事・賃金データの多様さへとより直接的に反映するようになっている。データの収集・分析においても、組合員の多様な実態を損なわずに、データを収集し、分析できるようなスキルがより求められるようになっている。
アンケートは高い回答率をめざし、偏りの回避を
人事・賃金データの収集に関しては、社内での労使関係によっては経営側のデータを共有し、分析することもあり得るだろう。ただ、そのような企業であっても、労働組合が独自にデータを収集することも重要である。
人事・賃金データとしては、賃金額のほかに、例えば、人事評価制度の運用実態のようなものがある。「公平・公正な制度として運用されているか?」などの価値観を伴う設問は、誰がデータを収集したのか、どのような尋ね方をしたかによっても結果は変わってくる。また、賃金額と他のデータと関連付けて検討しようとする場合には、労働組合が独自にデータを収集することが必要になる。
このデータ収集の場面では、コロナ禍となってからはウェブアンケートを活用する労働組合が増えている。しかし、ウェブアンケートは紙に比べると組合員からの回収の難易度は数段高い。アンケートへの協力有無が不可視化されるために、十分な数のデータが集まらなかったり、回答者の偏りも生じやすい。性別、職種など属性における偏りがあれば、データ自体の説得力を損なうことにもなりかねない。ウェブアンケートによりデータを収集する場合には、高い回答率をめざし、偏りの発生を回避することが、いっそう重要なポイントとなっている。
平均値は実態を反映しているか
収集したデータ全体での平均値は、組合員の全体像を知るのには役立つ。ただし、全体像のみでは組合員が多様化する中で実態を見誤る恐れもある。
賃金データであれば、まず、散布図を作成して年齢ごとの賃金のバラつきを視覚的に捉えることは必須である。散布図に各年齢の平均値のグラフを書き込んで、賃金額の分布と乖離があるようであれば、平均値は組合員の実感に基づかない数値であり注意を要する。
バラつきは分位数を使えば数値によっても表現できる。分位数とは、第1十分位数(データを大きさの順に10の節にわけ、下から1つ目の節にある賃金額)や第9十分位数(逆に上から1つ目の節にある賃金額)などのことである。賃金の最低ラインなどを検討するための材料となる。
また、データの項目同士を掛け合わせて集計すれば(クロス集計)、特定の層の課題や特徴を浮かび上がらせることができる。例えば、[性別]と[昇進意欲]を掛け合わせる、などである。一般的に女性の[昇進意欲]は男性を下回り、年齢とともにその差は広がる傾向がみられる。相関係数などの指標を使えば両者の結び付きの強さを数値で表すことができる。
ただ、ここで注意が必要なのは、[性別]と[昇進意欲]とに関連性(相関関係)がみられても、それが即座に女性だから昇進意欲が低い(因果関係)とはならないことである。第三の要素が影響していて、実はこれらの関係は直接的につながりのない見せかけの相関、いわゆる疑似相関である可能性を検討する必要がある(図)。この事例であれば、むしろ、家事・育児との両立の難しさであったり、職場での担務の割り振り方など、第三の要素を検証しなければ、交渉でも建設的な議論はできないだろう。
収集データは労働組合の財産
データの持つ説得力は、内容、結果によっても変わってくる。よくある設問として[職場生活への満足度]があるが、不満をゼロにするには非現実的であり、交渉では“不満はあるものでしょう”といなすような反応もあるだろう。しかし、このようなデータであっても、時系列での比較ができれば、“満足度が低下している”など違った説得力を持たせることができる。労働組合が集めてきたデータは財産なのである。特に企業内における制度変更の結果を判断することが必要な場合には、時系列で蓄積してきたデータは判断の基準になり得る。
統計的センスを身につけるために
データは交渉における説得力ある根拠となる。しかし、データを読み間違うリスクとも背中合わせでもあることを忘れてはならない。読み間違いを完全に回避することはできない。むしろ、読み間違いを指摘され、気付くことで、より適切な分析に近づくことができる。統計的なセンスを身に付いていくためには、データを巡り議論を交わすプロセスこそが大切である。