勉強した人は報われるのか?
学び直しを考える
困った。昨年、茶の間で受験をテーマにしたドラマ『ドラゴン桜2』『2月の勝者』を見ていたら、4歳の娘がハマってしまった。人が頑張っている様子を見るのが好きなようだ。もっとも、今から「私には無理」などと言い出したのだけれども。
「なぜ、勉強しなくてはならないの?」と子どもに聞かれたら、どう答えるだろうか? わかること、できることが増える、視野が広がり人生が楽しくなるなど、きれいごとを言ってしまう。自分の経験からすると、間違っていない。親としても教育者としてもそう言い切りたい。ただ、勉強した人は「報われて」いると言えるだろうか?
日本は二重三重にこじれた学歴社会である。学歴とはタテとヨコに分解できる。タテの学歴は最終学歴であり、ヨコの学歴は学校歴である。最終学歴による生涯年収差などは明らかになっている。
ただ、いまの日本で「学歴」として想起するのは、ヨコの学歴だ。たとえば旧帝大、早慶などの大学ランクである。就活シーズン真っ盛りで、この時期は「学歴フィルター」に注目が集まる。昨年はある就職情報会社が「大東亜以下」という言葉が記載されたメールを配信した件が話題になったが、大学のラベル・レベルに関する採用上の区別・差別はいつもネット炎上を誘発する。
格差がどの親のもとに生まれたかで決まる「親ガチャ」が流行語になった。教育格差の原因の一つだ。「教育にお金がかかる」という言葉の意味は一様ではない。大学卒業までの教育費捻出に苦労する人、私立の中高一貫校に進学するための塾代に苦しむ人ではその意味は異なる。
しかし、日本は、博士課程修了者、博士号取得者に対して冷たい世の中なのだ。博士号を持っていても、必ずしもアカデミックポストに就職することはできないし、民間企業も積極的に採用しているわけではない。大学教員同士で「大学院進学をめざす学生にするべきアドバイス」を議論したところ「働かなくても35歳まで食える環境」という意見が出た。脱力したが、間違ってはいない。
博士課程修了者の年収も決して恵まれているわけではないし、男女や分野による格差が顕著だ。1月下旬に文部科学省科学技術・学術政策研究所が発表した「博士人材追跡調査」によると博士課程修了翌年度の年収について、男性で最も割合が高い層で400万〜500万円未満、女性は300万〜400万円未満だった。女性の年収が低いのは、女性の割合が高い人文科学分野の額が100万〜200万円未満と低いためだ。博士課程を修了するのは最短でも20代後半だ。この年令の年収としては高いとは言えない。むしろ、学歴を
人生100年時代は働き続け、学び続ける時代だ。「学び直し」がキーワードとなっている。大学院進学を考えるビジネスパーソンもいることだろう。20代から研究者をめざすコースとは異なるものの、学んだ人にはどんなリターンがあるのか。リターンなど求めるな、勉強はきっと役に立つというのも正論ではあるが、トップレベルに学んだ人が必ずしも報われていない社会であることも直視しなくてはならないのだ。