特集2022.05

沖縄復帰50年
復帰に託した願いと
次の時代に託す思い
自分たちの声は届いているのか?
アイデンティティーに悩む若者の声

2022/05/13
復帰後生まれの若い世代は、復帰50年をどう捉えているのだろうか。声を上げても伝わらない現状がある中、日本と沖縄は同じ国なのかと悩む若者もいる。
元山 仁士郎 「辺野古」県民投票の会
元代表

歴史の中の米軍統治

高校までの授業の中で近現代史、特に第二次大戦以降の歴史を学ぶ機会が少ないといわれています。私もそうでした。6月23日の「慰霊の日」に向けた平和学習の中で、沖縄戦を学ぶことはありましたが、高校の授業で米軍統治下の沖縄の歴史を学んだ記憶はありません。

沖縄戦については、体験者の話を聞いたり、対馬丸のDVDを見たりして、沖縄戦がいかに悲惨だったかを学びました。多くの生徒は、「戦争は二度と起こしてはいけない」と感想文に書きますが、なぜ戦争が起きてしまったのかというところまで考える機会になっていたかというと疑問です。

米軍統治下の沖縄の歴史は、学校以外でも触れることはほとんどありませんでした。沖縄の多くの若者にとって米軍統治下の沖縄を学ぶ機会はほとんどないのではないでしょうか。

私自身は最近になって家族から当時の話を聞くようになりました。私の母は復帰当時、大学生でした。地域によって差はあったようですが、中学生や高校生も復帰運動に参加し、学校の中で集会を開いたり、デモ行進に参加したりしていたようです。ただ、親とこうした話をするようになったのも、私自身が基地問題などの運動にかかわるようになってからです。

日本における沖縄の基地の過重負担や沖縄経済の現状を理解するためにも、沖縄の歴史を学ぶ必要があると感じています。それが本土との格差を是正するための第一歩になるはずです。しかしながら、近年では、沖縄戦における「10.10空襲」や、「集団自決」への軍の関与に触れない教科書も増えています。まずは歴史をしっかり学ぶ必要があると思います。

復帰で困難になったこと

5年前の地元メディアによる沖縄県民意識調査では、約8割の人が日本に復帰してよかったと回答し、復帰を肯定的に捉えていました。復帰前に比べて、インフラが整備されたり、経済が発展したり、物質的な豊かさは得られたことが大きいのだと思います。

一方、復帰から50年がたっても、米軍基地の過重負担は変わりません。沖縄の歴史を学び直した上で復帰をどう捉えるかを聞いたら、結果は変わるのではないでしょうか。

復帰したことで難しくなってしまったこともあります。米軍統治下時代には、人権蹂躙などひどいことがたくさんありました。ただ、その中でも沖縄の人々が、その声をアメリカ政府に直接伝えることはできました。日本復帰後、アメリカ政府との間に日本政府が入ることで、沖縄の声が伝わりにくくなっているのではないかと思います。日本政府に要求しても、アメリカに伝えてくれず、アメリカ政府に訴えても、日本政府にたらい回しされ、責任の所在があいまいになり、問題が解消されないまま物事が強引に進められてしまう。こうした状況には、復帰運動を一生懸命頑張った人たちも失望しているはずです。個人的には、今のような復帰とあり方とは、別の選択肢はなかったのかと思うこともあります。沖縄の声を責任者・意思決定者に直接伝えられ、交渉できる枠組みが必要だと感じています。

沖縄のアイデンティティー

2013年、当時、那覇市長だった翁長雄志さんらが銀座でデモ行進をした際、「売国奴」や「日本から出ていけ」というような罵声を浴びせられました。

かつては、沖縄県民が本土に出てきて差別的な言動を受けるようなこともたくさんありました。現在40歳代後半の人も若い頃、東京に出てきたときに差別的な発言をされた経験があったといいます。

1990年代後半になると、沖縄出身のアーティストの活躍などもあり、メディアなどでも沖縄の文化、自然が積極的に発信されるようになり、沖縄に対するイメージは変わったと思います。

しかし、そうした好意的なイメージも表面的なものにすぎないと感じることもあります。翁長さんらが受けた発言や、米軍ヘリパッド建設に反対する人が機動隊員から受けた「土人発言」がそのことを象徴していると思います。

沖縄では1990年代後半から、国連の先住民の権利を議論する委員会の中で、沖縄出身者が発言し、先住民としての権利を訴えるなど、沖縄のアイデンティティーを形成する運動が展開されてきました。

そうした中、2012年頃から翁長雄志さんが先頭に立って「オール沖縄」の運動が形成されていきます。翁長さんがそこで訴えたのが、「イデオロギーよりアイデンティティー」でした。

2019年に辺野古新基地建設の埋め立ての賛否を問う県民投票で、約7割の「反対」が示された後、当時の岩屋防衛相が「沖縄には沖縄の民主主義があり、しかし国には国の民主主義がある」と発言しました。その発言を聞いて、沖縄と日本は違う国なのかと感じた人も少なくないはずです。

国はその後も、沖縄の声を聞き入れようとせず、強引に辺野古の新基地建設を強行しています。声を上げても聞き入れられない状況が続く中で、自分たちは本当に日本の主権者なのかという気持ちを持つ若者が増えていると感じます。復帰から50年がたって、そう考える若者が増えているのはなぜなのか。沖縄の声が届きづらい制度、構造があることを念頭に、基地問題を日本社会全体で考えるべきではないでしょうか。

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