特集2022.05

沖縄復帰50年
復帰に託した願いと
次の時代に託す思い
沖縄の歴史と実相を見て、聞いて、感じる
自分ごととして考え、行動しよう

2022/05/13
沖縄の復帰50年にあたり、情報労連は何を訴えていくのか。沖縄の歴史と実相を学び、自分ごととして考え、行動してほしい。
安藤 京一 情報労連中央執行委員長

「1972年5月15日 沖縄の祖国復帰は実現した しかし県民の平和への願いは叶えられず 日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された しかるが故に この碑は喜びを表明するためにあるのでもなく ましてや勝利を記念するためにあるのでもない 闘いをふり返り 大衆が信じ合い 自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うためにこそあり 人類が永遠に生存し 生きとし生けるものが 自然の摂理の下に 生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある」

これは、沖縄本島北端辺戸岬にある「全国のそして全世界の友人へ贈る」と銘した「祖国復帰闘争碑碑文」の一節である。沖縄県祖国復帰協議会議長「桃原用行」氏(初代全電通沖縄県支部委員長)の言葉である。

沖縄の本土復帰から今年で50年となる。桃原氏の思いは伝わったのか。今も警鐘は鳴らされ続けている。

沖縄が背負わされてきた苦難

復帰50年にあたり、沖縄の歴史を振り返り、今日まで背負わされてきた苦しみや怒りを感じ、願いを共有し、次代に向けて行動していく機会としたい。

太平洋戦争末期、沖縄は本土防衛の捨て石とされ、戦力で圧倒的に勝るアメリカ軍から「鉄の暴風」と表現されるほどの激しい砲撃を受け、12万人余りもの尊い命が奪われた。このうち一般住民の犠牲は9万4000人にも上ったといわれる。

敗戦後は、アメリカの施政下に置かれ、1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約により、日本は主権を回復し国際社会に復帰したが、沖縄は切り離され、アメリカの軍政下に置かれた。沖縄の人にとって「4.28」が「屈辱の日」とするゆえんである。

アメリカは、「銃剣とブルドーザー」によって、住民の土地を接収し、基地建設を進めた。人権蹂躙に対しても不平等な決まりに泣き寝入りするしかなかった。米軍支配への怒りと祖国復帰への思いが大きな運動となり、1972年5月15日に本土復帰へとつながった。

しかしながら、日本復帰を果たしたものの、米国の支配は色濃く残るとともに、日本政府は沖縄に負担を押し付けてきた。基地あるがゆえに事件・事故が後を絶たず、被害者は不条理な日米地位協定により、我慢と怒りを強いられてきた。

世界一危険と言われる「普天間基地」の返還は実現していないどころか、辺野古に新たな基地建設が進められている。県民投票や各種選挙を通じて「反対」の意思が何度も示されている。「軟弱地盤」などの問題もある。にもかかわらず、政府は、民意を無視し、あらゆる問題にふたをして新基地建設を強行している。沖縄の人たちの平和を奪い、自由と民意をないがしろに進めている新基地建設に「反対」の声を上げていかなければならない。

自分ごととして考える

戦後77年、復帰50年、私たち一人ひとりは沖縄の現実に向き合ってきたのか。今なお続く沖縄の人たちの行き場のない苦しみと怒り、不条理な実情に、私たち自身の問題として目を向けなければならない。

桃原氏からの贈られた言葉をかみしめて、沖縄の歴史と実相を見て・聞いて、一人ひとりが自分ごととして考え、未来に向かって行動する機会にしたい。

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