特集2022.05

沖縄復帰50年
復帰に託した願いと
次の時代に託す思い
米軍という絶対的な権力との対峙
駐留軍労働者の闘いと今

2022/05/13
米軍基地で働く沖縄の人たちは、権利獲得のために命がけの闘争を繰り広げてきた。今、復帰50年をどう捉えているだろうか。闘争の歴史を振り返りながら、話を聞いた。
 栄蔵 全駐留軍労働組合
沖縄地区本部委員長

命がけの闘争

戦後、本土ではGHQが労働運動を推奨したのとは対照的に沖縄では労働組合の結成に米軍の許可が必要でした。沖縄は日本国憲法が定める労働三権の枠外に置かれていました。

米軍の弾圧と差別の中で、先輩方は全沖縄軍労働組合連合会(通称:全軍労)を結成します。1961年6月のことでした。先輩方は、米軍の目をかいくぐって職場の過半数を確保して労働組合を立ち上げ、米国に代表団を送り込みます。米軍もこうした行動により団体交渉を受けざるを得なくなります。

全軍労の結成前、沖縄の基地従業員は、差別的な扱いを受けていました。その賃金は非常に低く、米国人従業員の10分の1、本土から基地建設でやってきた従業員の4分の1程度しかありませんでした。雇用保障もまったくなく、監督者が明日から来なくていいとパスを取り上げたら終わり。トイレも米国人と分けられるなど、差別的な扱いを受けていました。

先輩方は、この状況を何とかしたいという強い思いを持っていました。そのマグマの煮えたぎるような思いと、熾烈を極めた闘いは、銃剣を突き付ける米兵に立ち向かうまさに命がけの闘争でした。今の私たちからすれば、想像を絶するものです。

全軍労結成当時の労働条件はないもの尽くしでした。先輩方は、そこから賃金を積み上げ、ボーナスの支払いを実現し、退職金制度や年次有給休暇、生理休暇などの制度を一つずつ積み上げてきました。米軍という絶対的な権力との戦いは、「全軍労闘争」と呼ばれ、沖縄の労働運動の中でも特筆される運動です。

全軍労は復帰当時、県内最大の労働組合として復帰運動をけん引する存在でもありました。

「思いやり予算」の意味

1971年、ベトナム戦争での戦費がかさんだ米国は、ドル・金の交換停止を発表(いわゆる「ドル・ショック」)し、ドル安の相場を形成します。復帰後、駐留軍労働者の賃金は円建てで支払われるようになったため、急激な円高ドル安は米軍の労務費に大きな影響を及ぼしました。さらにベトナム戦争の終結後、沖縄に駐留させていた部隊を本国に帰還させます。その反動として、米軍は大量の人員整理を始めます。

1972年当時、1万9980人いた日本人従業員は、1980年に7177人にまで減少しました。その間、全軍労(78年から全駐労)は35日間のストライキを打ち抜くなど、闘争は熾烈を極めました。

ストライキ闘争が繰り返された結果、基地機能がまひし、日米の政治問題に発展します。日米地位協定上、駐留軍労働者の賃金は米軍が負担することになっていますが、闘争の結果、駐留軍労働者の労務費を日本政府が負担することになります。1978年から日米地位協定の範囲内で福利費等、1987年に「在日米軍駐留経費負担に係る特別協定」が締結され、調整手当等8手当、1991年からは基本給の段階的な負担が始まります。

駐留軍労働者の労働条件は、現在では国家公務員準拠を基準とする賃金・労働条件改定プロセスが確定し、人事院勧告が適用されています。在日米軍駐留経費の2021年度の日本側負担は2017億円で、そのうち1555億円が日本人従業員の給与です。日本政府の負担以降、大量解雇は発生しておらず、雇用は安定的に推移し、賃金や労働条件も改定されるようになりました。

特別協定は「思いやり予算」と呼ばれますが、これは駐留軍労働者が闘いの中で勝ち取ってきたものであると理解してもらいたいと思います。駐留軍労働者にとって、雇用の安定や賃金・労働条件の改定に欠かせない命綱ともいえる存在であり、運動の1丁目1番地として取り組んでいる課題です。

はざまに立たされる駐留軍労働者

復帰後、駐留軍労働者の雇用は、米軍の直接雇用から日本政府による雇用に切り替わります。日本政府は日米地位協定で在日米軍への労務提供を義務付けられています。そのため日本政府が駐留軍労働者を雇い入れて、米軍に労務を提供します。イメージは、国が派遣元で、米軍が派遣先という間接雇用です。

しかし、米軍の許可を得ない限り、雇用主である防衛省は米軍施設区域内に立ち入ることもできません。労働災害が発生した場合も、労基署の立ち入りには米軍の許可と同伴が必要であり、十分な対応ができません。過去には立ち入りを拒否された事例も少なくありません。

日本政府は米軍との協議・交渉および事前の文書による合意がなくては、駐留軍労働者の労働条件を変えることすらできません。そのため、たとえ日本の法律が変わったとしても、駐留軍労働者には米軍の同意なしには適用されないという事態が生じます。法令の適用を求めて、防衛省と団体交渉しても、防衛省が米軍と合意できなければ適用されないのです。例えば、労働法が改正されても、それが駐留軍労働者に適用されるまで相当な時間がかかります。制裁やパワハラへの対応にも相当の時間がかかります。

このように駐留軍労働者は、国の安全保障にかかわる重要な公務に携わりながら、公務員ではないとされ、一方では他の民間労働者であれば、必ず適用される労働者法や権利を保障する国内法令もすぐに適用されません。駐留軍労働者は、日米両国のはざまに立たされ、公務員でもなければ、民間企業の労働者でもないという二つの社会的身分のはざまに置かれた、ほかに類を見ない特殊な存在なのです。

基地縮小を見越した運動を展開

その中で駐留軍労働者は、労働組合の力で労働条件の改善を図ってきました。それは、「人間回復の闘い」でもありました。その闘いがあったからこそ、現在の権利や労働条件があります。

全駐労は、連合の平和運動に積極的に参加しています。沖縄の米軍基地の縮小と日米地位協定の改定にも声を上げてきました。

基地を整理縮小すると駐留軍労働者の雇用がなくなるのではないかという疑問もあるかもしれません。しかし、米軍基地は日米同盟という国策で置かれ、駐留軍労働者の意向に関係なく日米の政治、国防策や周辺諸国の環境、経済状況の変化等に影響を受け変動します。駐留軍労働者は国策に基づく国の雇用者であり、国は雇用について最後まで責任を持つべきです。

全駐労は、基地の整理縮小は進むという前提に立って運動しています。「駐留軍関係離職者等臨時措置法」「米軍再編特措法」「沖縄振興法」などの法令の中には駐留軍労働者の雇用対策が入っています。基地の縮小を見越して国が雇用対策を施すことが重要です。

日本政府は、沖縄に基地負担をずっと押し付けてきました。その中で、沖縄の子どもの貧困率や賃金実態などは全国ワースト1という状況です。この状況から脱却するために、日本政府には果たすべき責任があります。

本土復帰から50年。そろそろ主権国家として日本が主権を発揮し、米国と対等な関係になるべきではないでしょうか。米軍と常に向き合っている駐留軍労働者だからこそ、そのことを痛感しています。沖縄の自立と米軍との対等な関係の構築が次の50年に向けて求められていると思います。

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