特集2023.04

組織を強くする
人が集まる、人が生きる組織とは?
「人的資本経営」で企業を強くする
人と仕事のマッチングが最重要

2023/04/12
近年、よく聞くようになった「人的資本経営」。その実践は企業をどのように強くするのだろうか。働く人にはどのような影響があるのだろうか。識者に聞いた。
守島 基博 学習院大学教授

人的資本経営の背景

人的資本経営とは、人材を最も重要な資本とみなし、それを有効活用して企業価値を高める経営戦略です。以前から人は大切な資源だといわれてきましたが、現在では企業価値を向上させるために、人的資本の活用が不可欠になっています。

製造業ではかつて、性能の良い機械を購入するなど、人材以外の資本を活用し、企業価値を高めることが大切でした。しかし今日では人材に投資をし、その価値を高めることが、企業価値を向上させる上で重要な鍵となっています。

多くの企業は、従来のビジネスモデルや商品・サービスの改良や改善では、競争力を維持できなくなっています。価格競争に巻き込まれず企業が成長するためには、イノベーションや新規事業など、新たな付加価値を生み出す必要があります。その創造は人にしかできません。つまり、成長のためには、新たな価値創造が必要であり、そのためには人材への投資が必要ということです。

また、投資した人材が価値を生み出すためには、人材マネジメントが重要です。労働者のニーズが多様化する中で、それに合わせた方法が求められるようになっています。

人的資本経営はこのように企業価値の向上、人材マネジメント改革という二つの側面から注目が集まるようになっています。

日本的経営との違い

これまでの日本的経営も人を大切にするといわれてきました。いわゆる日本的経営は、雇用を守り、給与を毎年引き上げ、人材を育てるという形で、まさに人そのものを大切にしてきました。

人的資本経営はそうではなく、資本としての人を大切にします。単に人を大切にするだけではなく、人的資本としてその人をしっかり活用することまで踏み込むのが人的資本経営です。

例えば、AさんとBさんという2人の従業員がいて、Aさんの方が優秀だとします。それでもBさんの持っているスキルや専門性の方が自社の戦略にマッチしているなら、Bさんを活用するのが、人的資本経営の考え方です。

人的資本経営には三つの柱があります。一つ目は、人材を人的資本として大切にすること。人材が資本として価値を発揮できるように、活躍できる場所を提供したり、育成したり、人材が活躍できるようにすることが含まれます。

二つ目は、企業戦略との結び付きです。人材の育成や活用は、あくまで企業戦略と結び付いていなければなりません。

三つ目は、情報開示です。投資を呼び込むために、人的資本の活用や獲得のための取り組みを開示する必要があります。

人的資本への投資とは

人的資本の価値を高めるためのわかりやすい投資は、人材育成ですが、それだけではありません。私の考える最も重要な投資は、人と仕事のマッチングへの投資です。人的資本を最大限に生かすためには、重要な仕事に対して、最適な人材を当てはめる必要があります。

ただし、これは柔軟な配置転換ができれば良いというだけでなく、人と仕事がマッチングしなければ意味がありません。例えば、3年に1度、全員を単純にローテーションするのではなく、人の能力をしっかり把握して、企業の戦略とマッチさせることが重要です。

戦略に人材を当てはめるためには、人材の専門性や能力、スキル、コンピテンシーなどを把握しておく必要があります。単に担当した職務の羅列ではなく、その中で、その人がどういう仕事をして、どのような経験をしてきたのか、さらにはチームで協働してきたのかなど、その人の経験内容も含めて「見える化」することが重要です。

人材の能力などを把握するためには、現場のマネジャーがメンバーを個別に評価する仕組みが重要になります。具体的には「1on1」や「コーチング」のように個別の従業員としっかりコミュニケーションを図る仕組みが必要であり、その中で従業員を総合評価していくことになります。一言でいうと、人的資本経営のためにはタレントマネジメントが大切だと言えます。

人的資本経営の情報開示

人的資本経営において情報開示が必要なのは、企業が株主に対して人的資本活用の状況を示し、投資を呼び込むためです。しかし、現状では開示すべき情報を理解している企業は多くありません。

情報開示で重要なのは、個々の人材を生かすために何をしているのかです。例えば、タレントマネジメントに投資しているのか。人材育成に関しても、一律の教育訓練制度ではなく、個人のキャリアプランに基づいて研修内容を選択できているのかなどが問われます。人的資本経営を進める上では、こうした情報こそ開示していくべきです。

労働組合との関係

労働組合にとって、人的資本経営はどのような意味を持つのでしょうか。人的資本経営は、従業員の能力開発や評価、ワーク・ライフ・バランスを含めた環境整備を通じて、従業員が最大限の力を発揮できるようにすることです。このようなアプローチは、人を大切にする経営手法として、働く人にとってもプラスになります。

ただし、人的資本経営には、厳しい側面もあります。人的資本経営では企業が一人ひとりの雇用を重視するとは限らないからです。そのため、働く人は自分の価値を高めて、企業戦略にマッチする能力やスキルを身に付ける必要があります。このことによって、自分に合った仕事を選ぶ範囲も広まることになります。

欧米型の人的資本経営は、戦略が先に決まり、それに合わせて人材の配置を決めていきます。一方、日本では、今いる人材のポテンシャルを含めた価値を再認識し、それをもとに戦略を策定する方法論が十分にあり得ます。労働組合としては、従業員の「伸びしろ」を含め、その価値を把握し、育成し、活用すべきことを企業に訴えることができます。また、労働組合自身が教育訓練を提供することで、人的資本の価値の向上を支援することも可能です。

雇用の流動化?

人的資本経営が進めば、戦略に人材を適合させることで雇用の流動化が生じるという議論もあります。しかし、人的資本経営において求められるのは、従業員一人ひとりを大切にし、投資を行い、最適なポジションに配置して活躍してもらうことであり、雇用を流動化し解雇を自由にすることではありません。アメリカのようなやり方では、人材の潜在能力を見落とす可能性もあります。一度辞めていった人材が戻ってこないという問題も起こります。人口がどんどん少なくなる中で、単に人を入れ替えるのではなく、人の潜在能力を引き出し、適職で活用するためにも一定の解雇規制は必要です。

人材マネジメント改革に取り組まなければ、日本企業はグローバルな競争に負けてしまいます。最近は人的資本経営という言葉がよく使われるようになりました。でも「はやり」で終わってしまえば、組織は変わらないままです。人的資本経営という呼び名にこだわらず、その真の目的を明確にして人事改革に取り組むことが必要です。

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