組織を強くする
人が集まる、人が生きる組織とは?変わる社会運動のあり方
人が集まる社会運動とは?
支持されない社会運動
──日本の社会運動は他国に比べ盛り上がっていないように見えます。
ISSPという国際調査で日本のデモ参加率はとても低いです。西欧では30%を超える国がある一方、日本は3.8%。アメリカやオーストラリアは20%台、韓国は10%台です。日本の水準は国際的に見てかなり低いといえます。
この調査からわかるのは、日本では社会運動が世間一般から理解されづらい状況にあるということです。筑波大学の山本英弘准教授が日独韓を対象に行った国際調査では、日本は社会運動に参加している人の有効感は低くないものの、人々が社会運動に感じる代表性はとても低いことがわかりました。社会運動が自分たちを代表していると感じる人の割合は、ドイツでは約70%に上る一方、日本は約30%しかありません。賃上げのような多くの人にかかわるテーマを労働組合が訴えても、自分に関係のないと思う人が大部分を占めるということです。
──なぜそうなっているのでしょうか。
学生運動などが華やかだった1970年代と比べて、社会運動に対する支持や社会的合意は明確に低くなっています。ただ、支持が得づらくなっているのは、社会運動の側の問題だけとも言い切れません。例えば、自民党が「自助」中心の政策を進めてきたことや、「自己責任」のように新自由主義的な価値観が強くなってきたことも無関係ではありません。
また、日本は基本的に消費者運動が強いのですが、その一方で労働者としての側面が軽視されてしまったと分析している研究者もいます。
プロジェクト型の運動
──他方、若い世代は社会問題に関心がないわけではなく、SNSなどを用いた運動が支持されることもあるようです。
若いアクティビストの人に話を聞くと、組織に属することを忌避する傾向があるように感じます。実態としては組織やコミュニティーを作って活動しているものの、組織に属しているとは言わず、一時的に活動に参加しているという人が多いです。
背景には多様性を尊重する若者の価値観があるのだと思います。自分の価値観を他人に押し付けるのが嫌な一方で、自分の価値観も尊重してもらいたい。そう考える若者にとって、同じ組織に属するということは、他者に価値観を押し付けたり、他者から押し付けられたりするように感じるのかもしれません。
若いアクティビストの人たちから最近よく聞くようになった言葉は、「プロジェクト」です。組織に属するのではなく、イシューを明確にした短期型のプロジェクトに集うことで、組織のしがらみを意識せず活動できます。例えば、「女性団体」という大きな枠組みの組織に属するよりも、「生理の貧困」のような個別テーマの活動の方が参加しやすいということです。
20代のアクティビストの中には、人をたくさん集めることに主眼を置かない人もいます。SNSでうまく発信すれば、リアルに多くの人を集めなくても目標を達成できるという成功体験があるからです。
──価値観に合わせて運動のあり方も変わっているのですね。プロジェクト型の運動にも課題はあるでしょうか。
プロジェクト型の運動は、参入と退出が容易である一方、課題の解決に時間がかかる永続的な運動には不向きという課題があるかもしれません。労働組合は、仕事の中身をよく知るためにも継続的な活動が求められます。そのため労働組合の活動そのものをプロジェクト型にすることは難しいと思います。けれども、プロジェクト型の運動を社会運動の入り口にすることはできます。労働組合活動に参加する入り口が多様化していると肯定的に捉えられると思います。
また、リアルに多くの人を集めない運動のあり方は、これまでの労働運動とは異なるものかもしれません。労働組合は、「数の力」で労働条件の改善を勝ち取ってきた歴史があるからです。
社会運動には、二つの達成の方法があります。一つは、賃上げや法改正のように制度を変えること。もう一つは社会の意識を変えることです。前者には制度を支えるだけの社会的合意がおのずと必要になるわけですよね。その最もわかりやすい形が数や組織になるわけですが、後者はそれらがなくてもできる。SNSを使って人々の意識を変えることも社会運動の効果ですが、それを強調しすぎると制度を変えることに結び付かないかもしれません。
労働組合には、職場のさまざまな人が集まって活動するという特徴もあります。プロジェクト型の運動は、多様性をうたいつつも、同質性に守られている側面もあり、運動自体がエコーチェンバーを起こしがちです。職場という単位をベースにしつつ、気の合わない人とも一緒に活動する労働組合の活動は、ある意味、多様性が求められる活動なのかもしれません。
労働組合への期待
──組織に属することを嫌がる傾向は今後も続くでしょうか。
社会運動の活動家は他人に自分たちの価値観を押し付けているという批判もありますが、私は逆の印象を受けています。最近のアクティビストの人たちは、価値観の押し付けをこれほど嫌う人たちはいないというくらい、人それぞれの価値観を大切にします。組織化しない、強制しないことが重視されています。こうした価値観は今後も続くと考えられます。その意味では、強制や動員が求められる運動との折り合いをどう考えるかが課題ですね。
──これまでの労働組合の活動のままでは折り合いが悪そうです。
ただ、自発性だけで社会運動が成り立つのかというとそうではありません。組織の側が人々に働き掛けて価値観を伝える運動も必要です。特に労働運動はそうだと思います。なぜなら若い人は労働者の権利を学ぶ機会がほとんどないからです。例えば、若い人たちは、職場の冷蔵庫を新しくしたり、寮にエアコンをつけたりすることも労働組合にできることだと知りません。その結果、若い人たちは労働者としての自分を大切にしないまま働き続けています。
私が社会運動に接してきて一番大切だと感じた価値観は、「〈わがまま〉を言えるようになる」ということです。「わがまま」といっても、大それたことではありません。例えば、疲労がたまってきたから半日年休を使うとか、職場に傘立てがほしいとか、そういう小さなことでも十分です。キャリアの浅い労働者は、「病院に運ばれるレベルじゃないと過労じゃない」とか、「毎日2時間の残業は当たり前」とか、自分を厳しい方へ追い込みがちです。そうでもしないと職場に居続けられないという漠然とした切迫感を抱いているからです。
そうした人たちに対して、「こんなことを言ってもいいんだ」と思わせることが労働組合のとても大切な役割なのだと思います。
労働組合は、組織の基盤が他の社会運動に比べてしっかりしているので、価値観を伝えるとか、人を育てるとか長期的な活動ができます。若い人たちが「わがまま」を言ってもいいんだと思えるような場所であれば、人が集まる活動になるのではないでしょうか。