今や罰ゲーム?
日本の管理職を変えよう
俗流若者論、若者劣化論というものがある。若者を劣化したと決めつけ批判したり、偏ったデータ、間違った事実をもとに若者を論じるものだ。若者や世代を語っているようで、実はどの年齢にも共通する傾向であることもある。若者の選択が一見すると奇異に見えたり、理想とする若者像とずれていたりするようで、実はまっとうな選択であることもよくある話だ。
メディアで紹介されるたびに、違和感を抱くのが、若者が管理職や経営者をめざさないという現象である。「今どきの若者は、偉くなりたくないのか?」と、上昇志向がないなどと断じられる。諸外国に比べ日本の若者には夢がないなどのデータと合わせて、いつの間にか若者批判の大合唱になる。
いい加減にしてほしい。若者が管理職や経営者をめざさないというのは、実はごくまっとうな選択ではないか。特に日本の管理職はいまや、罰ゲームと化している。管理職になった瞬間に、今まで経験していなかったマネジメント業務が発生する。メンバーは新卒入社の男性を前提とした組織ではない。組織に多様性は大切だが、マネジメントの難易度は上がる。ビジネスの難易度も上がっている。組織を運営しつつ、新たな価値の創造に取り組まなくてはならない。メンバーの長時間労働を避けるために、やりくりをしなくてはならない。指導の仕方も変わっている。メンバーに対するハラスメントはもちろんNGだ。1on1など、丁寧な面談による指導をしなくてはならない。結果として、管理職に過剰な負荷がかかってしまう。メンバーの仕事の埋め合わせをするために、自身が長時間労働をしなくてはならないこともある。管理職の体調不良、さらには過労死・過労自死なども起こっている。
よく昔の漫画やドラマでは、管理職は偉そうだとか、逆に自らは働かずにメンバーに働いてもらっているなどの図が描かれていた。しかし、今どきの管理職は牧歌的なものではない。
キャリアの断絶も問題だ。管理職となった瞬間に、プレーヤーとしての仕事から離れなくてはならないこともある。ずっと現場で仕事をしたい、同じ仕事を極めたいという人にとっては管理職になることは必ずしもうれしいことではない。プレーヤーに対して管理職と同じかそれ以上の賃金を支払う取り組みは各社で模索され、試行錯誤が繰り返されている。管理職にならない選択肢も尊重するべきだ。
こう考えると、若者が管理職になりたくないと考えるのは至極まっとうではないか。若者が悪いのではなく、現状の管理職のあり方に問題があるのだ。なお、これは「若者は◯◯をめざさない」という現象の多くに当てはまる。経営者も政治家も同様ではないか。
管理職のあり方、働き方について見直したい。古巣リクルートでは、管理職に求められる能力・資質の見直しが行われた。この見直しによって、女性の管理職候補者の数が増えたという。つまり、今までの管理職のあり方がずれていたということだ。
管理職の働き過ぎに気を付けなくてはならないが、そのためにも管理職の果たすべき役割の見直しが必要だ。これにより、管理職の顔ぶれが一気に多様になる可能性がある。管理職を志望する若者だって倍増するかもしれない。組織もきっと活性化するだろう。