戦後80年
過去と現在をつなぐガザの事態を放置できない
日本から声を上げる理由


歴史を踏まえた認識を
ガザ地区で今起きていることの始まりは、2023年10月7日にあるわけではありません。1948年のイスラエル建国を起点に考えるべきでしょうが、少なくともイスラエルがガザ地区を完全封鎖した2006〜2007年にまでさかのぼる必要があります。ガザ地区は、その頃から長期にわたり人類史上まれにみる異常な環境に置かれてきました。
イスラエルの建国で周辺地域の住民が難民となってガザ方面に追いやられていき、「ガザ地区」が形成されました。当初は難民でもイスラエルに出稼ぎに出たり、国外に逃れたり、人の移動がありました。しかし2006〜2007年のイスラエルによるガザ地区の完全封鎖後は、それすらできなくなりました。電力などのインフラはイスラエルにコントロールされ、ガザ地区は電力危機に頻繁に見舞われました。物資の搬入も管理され、住民の健康状態は悪化し、下水処理場が稼働できないことで衛生状態も悪化し、2010年代後半からは人が住めない環境であることがたびたび指摘されてきました。
イスラエルによるガザ地区の占領政策は、人権団体などから「アパルトヘイト政策」だと指摘されてきました。そこで起きていたのは、単なる占領とはいえない人種差別政策でした。
こうした状況は、「天井のない監獄」と呼ばれ、ガザ地区の人たちは、押し込められた監獄の中からドアをたたくようなぎりぎりの状態での生活を強いられていました。ハマスによる越境攻撃はこうした中で起こりました。その行動を正当化するわけではなく、2023年10月の出来事は、こうした歴史の延長線上にあることを理解する必要があります。
日本ではイスラエルとパレスチナが対等な力関係で争い続けているというイメージが根強くありますが、実態はそうではありません。両者には極めて大きな力の差があり、イスラエルが軍事的に制圧してパレスチナを占領しているのに対し、パレスチナはその支配下で抵抗を続けている。こうした関係性すら認識されていないことに課題を感じています。
ジェノサイドの意味
2023年10月以降は、この状態がさらに悪化しました。起きていることに対して、言葉が追い付かないようなひどい状態です。忸怩たる思いがあります。
南アフリカは2023年12月、イスラエルがガザ地区で「ジェノサイド」を繰り広げていると主張して、国際司法裁判所に対応を求めました。また、国際人権団体がイスラエルによるガザ地区の攻撃をジェノサイドにあたるとした報告書を公表したり、国連の特別委員会や人権理事会の調査委員会が、イスラエルの行為をジェノサイドであるとして非難する報告書を公表したりしています。
ジェノサイドという言葉は一般的に大量殺りくという意味で使われます。しかし本来の意味はそれにとどまるものではありません。1948年に国連で採択されたいわゆる「ジェノサイド条約」は、ジェノサイドを「国民的、人種的、民族的または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われた」行為として定義しています。この行為には、「集団構成員を殺すこと」のほかに、「肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること」や、「集団内における子どもの出生を防止することを意図した措置を課すること」「集団の子どもを他の集団に強制的に移すこと」なども含まれています。ナチスによるホロコーストや、ルワンダの大量虐殺がジェノサイドの事例とされています。
このようにジェノサイドは、人間集団の根源的な生存基盤を破壊する行為として概念づけられました。ここには、すさまじい人種差別があり、それを実行させる法的措置や暴力が存在しています。
日本のメディアは、ジェノサイドという言葉を大量殺りくという意味だけを捉えて、使用をためらいがちですが、言葉の意味を踏まえて現状を伝えるべきだと思います。私たちも臆せず、その行為に対して声を上げるべきだと思います。
広島からのメッセージ
こうした現状に対して、私は2023年10月以降、声を上げる必要があると考えた人たちと一緒に、広島の原爆ドーム前でスタンディング行動を行ってきました。原爆ドームの前でプラカードを掲げて立ち、SNSを通じて世界にメッセージを発信することが狙いです。次第に賛同する人が集まり、毎日誰かが交代で立つようになり、今年の春先まで1年以上続きました。
また、スタンディング行動だけではなく、学習会やデモ行進も実施しました。とりわけ昨年6月には、広島市が8月6日の式典にイスラエルを招待する方針であることが報じられたため、その撤回を求める署名活動やデモ行進を行いました。広島市に対しては、「平和市長会議をリードする広島市として、ジェノサイドに対して責任ある行動をとるべき」と要請しました。
ドーム前でのスタンディング行動に対する反応は、非常に好意的なものでした。周囲の人からも応援の声が届き、予想以上に前向きな反応がありました。
抗議デモに数万人が集まる国外と比べると日本の運動の規模は小さいと言わざるを得ません。それでも、活動をする中で運動が広がっていく実感もありました。例えば、デザイン力を生かしてプラカードやステッカー、Tシャツといったグッズをつくってくれたり、語学力を生かして海外のニュースを翻訳してくれたり、自分の得意なことを生かして活動に参加してくれる人とたくさんつながれました。また、アラブ人など国外にルーツを持つ人が主体となった活動に日本人も一緒に参加する動きのようなこれまでにない動きもありました。新しいつながりが生まれたことに小さな希望を見いだしています。
ガザを放置できない理由
広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉が刻まれています。この言葉は、日本や広島だけではなく、世界のどの場所であっても同じような悲劇を繰り返してはならないというメッセージだと思います。私たちは原爆がもたらした被害を語り継ぐだけではなく、現代の世界で起きている出来事にもっと目を向けるべきだと思います。
平和運動の視野が狭くなってしまう背景には、日本がかつて行った植民地支配に対する記憶が抜け落ちてしまっていることがあるのではないでしょうか。パレスチナ問題の背景には、イスラエルによる植民地支配があります。その意味で日本が植民地支配の歴史を忘れてしまっては、この問題の本質を捉えることはできません。
1990年の湾岸戦争以降、日本の安全保障政策の変容と中東は深いかかわりがあります。遠い地域の出来事ではなく、自分たちに直接かかわる出来事として認識してほしいと思います。
ガザ地区で起きているのは、人間性の浸食ともいえるような事態です。そのような事態を放置しておいて、私たちは次の世代に対して何を語りかけることができるでしょうか。次世代に人間性が保たれた世界をつなぐためにも、ガザ地区での出来事を放置することはできません。