特集2016.03

労働時間に上限規制を長時間労働は労働力を使い潰す
上限規制で発想の転換を

2016/03/17
長時間労働は働く人の命や健康だけでなく、社会そのものを蝕んでいく。私たちは、長時間労働に依存した社会からの脱却に真剣に取り組むべき時期に来ている。『ルポ過労社会』で働き過ぎの実態を検証した中澤誠さんに聞いた。
中澤 誠 (なかざわ まこと) 東京新聞記者
1999年中日新聞入社。東京新聞横浜支局、中日新聞社会部などを経て、東京新聞社会部所属。著書に『ルポ過労社会 8時間労働は岩盤規制か』(ちくま新書)、共著に『検証ワタミ過労自殺』(岩波書店)。

長時間労働依存社会

─『ルポ過労社会』の取材の中で印象に残ったことは?

2012年と14年に東証一部大手100社に対して、「36協定」で定めた残業の上限時間の調査をしました。1カ月80時間以上残業できる協定を締結している企業が、いずれの調査でも7割を超えていたことは大きな衝撃でした。この調査結果は、日本社会が未だに長時間労働に依存した社会であることを色濃く反映していると思います。

印象に残っているのは、経団連への取材です。担当者は「過労死は重要な問題だが、法律で残業時間の上限を定めるなど、労働規制を強めれば、企業はますます活力を失い成長が望めなくなる」と答えました。企業のホンネが垣間見えるようでした。働く人の命と健康がないがしろにされていると感じました。

─長時間労働が是正されない背景は?

先ほどの残業時間の上限調査で、2014年に残業の上限時間を引き上げた企業がありました。引き上げた理由を尋ねると、ある企業は「業務が集中している時期でも全社員が協定時間を守るため」と回答しました。つまり、ルール違反にならないようにルール自体を緩めたということです。そこに長時間労働を是正しようという意識はうかがえません。長時間労働を前提とした働き方から抜け切れていないのです。

皆さんと同じIT業界の方にも取材させていただきました。システムエンジニアたちの働きぶりは異常でした。過大なノルマと無理な納期。下請け構造の下層に行くほど過酷です。長時間労働をしないと業務が回らない。経営者の順法意識が希薄で、違法労働がまかり通っているのです。裁量労働制を悪用し、本来なら適用対象にならない労働者が不払い残業や長時間労働を強いられる事例を目の当たりにしました。

裁量労働制に関しては、安倍政権が労働基準法を改正し、適用対象を拡大させようとしています。今でさえ経営者が都合のいいように、法律を拡大解釈して悪用するケースが後を絶ちません。対象拡大によって、さらに犠牲となる労働者が増すのではないかと懸念しています。

労使自治の限界

取材の中では、労使自治の限界も感じました。日本の労働法制では、1日8時間を超えて労働させることは違法です。罰則規定もあります。にもかかわらず、日本では当たり前のように残業が行われているのは、労使合意があれば例外的に残業を認める36協定という抜け道があるからです。労使合意さえあれば、いくらでも残業の上限を延ばすことは可能です。36協定は本来、長時間労働に歯止めをかける制度で、労働者側が拒否すれば残業もできません。以前、過労自殺を起こした企業を取材したとき、会社側が一方的に36協定の内容を決めている実態を知りました。労使合意とは名ばかりの協定は、この企業だけに限りません。労使自治と言っても、雇用される側の労働者の立場は弱いものです。労使自治の仕組みが労働者を本当に守ってきたのかという疑問を抱きました。働く人を使い潰す「ブラック企業」が跋扈している現実を見れば、労使自治に委ねるだけでは限界があるように思います。

著書では労働基準監督官の座談会も掲載しましたが、取り締まる側もマンパワー不足などの理由で十分に監視の目が行き届いていません。抜け穴だらけの法制度と取り締まる監督官不足からくる規制の脆弱さが、「違法でも見つからなければいい」という経営者側のモラル低下を招いているように思います。これでは本気で長時間労働を是正しようという姿勢は生まれません。

─長時間労働を是正するためには?

この前の軽井沢のスキーツアーバス事故もそうですが、あちこちで規制緩和の弊害が背景と思えるような事件や事故が起こっています。本来、規制緩和とセットで機能しなければならない「事後チェック」が十分に働いていないのです。経済成長に前のめりになるあまり、チェック機能が疎かにされてきたというのが、この十数年来の日本の姿です。脆弱な規制を見直し、ルール違反を許さない監視体制を構築していくべきだと思います。

長時間労働に関しても、労使自治に委ねるだけではなく、企業に一定の強制力を持つ法制度を整えるべきだと思います。それは36協定の抜け穴をふさぎ、勤務間インターバル制度のように1日単位で働き過ぎを防いだり、月単位で労働時間の上限規制を設けたりすることです。

ただし、現行の制度の中でも、長時間労働に歯止めをかけることはできるはずです。それは、36協定の適正化です。36協定は労使合意が原則です。労働者側が拒めば、会社は従業員に1分たりとも残業させることができないという強力な武器です。労働組合が本気で長時間労働撲滅を考えているのなら、「過労死ラインに届くような残業の上限時間はのめません」と会社側と徹底的に闘えばいいのです。

─「過労社会」は私たちの暮らしにどう影響するでしょうか。

過労死や過労自殺、長時間労働による精神疾患により貴重な労働力を使い潰すことは、労働人口が減少する中で社会的損失だと言えます。女性や高齢者が働きやすい環境をつくる上でも長時間労働は逆行しています。

目先の利益だけを追わない

長時間労働は、働く人だけにとどまらず、そのサービスを利用する人たちの生命をも脅かすことがあります。軽井沢のバス事故は原因を調査中ですが、4年前に乗客7人が亡くなった群馬県の関越道のバス事故は過労による運転手の居眠りが原因とされています。規制緩和で新規参入が急増。安値競争に拍車がかかり、安全対策のコストや運転手らの待遇にしわ寄せが及んだことが背景にあります。私たちは長時間労働がもたらす弊害に、もっと目を向けるべきではないでしょうか。

今の日本では政府も企業も目先の利益や成長を達成することにきゅうきゅうとなっています。今を乗り切るためだけに労働力を使い潰すようなやり方を続けていると、逆に成長力を失ってしまうでしょう。今さえよければいいのでしょうか。将来の世代に禍根を残していいのでしょうか。長時間労働の防止に向けて発想の転換が求められていると思います。

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