「非雇用」のいまとこれから安さ優先が翻訳にも悪影響
発注者側の品質意識が低下
大量発注が生む低価格化
翻訳には、書籍などを訳す出版翻訳と、産業の現場で生じる文章を訳す産業翻訳がある。出版翻訳者の収入は、近年一冊あたりの印刷部数が減ったため激減しているが、産業翻訳の状況も厳しい。両方を手掛ける高橋さきのさんに、主に産業翻訳の現状について聞いた。
個人請負の翻訳者が仕事を受注する場合、ルートは主に二つある。大本である「ソースクライアント」から直接受注する場合と、「エージェント(翻訳会社)」経由で受注する場合だ。
「エージェント」は、「ソースクライアント」で発生した仕事を自社の社員や社外の翻訳者に割り振るいわば一次請負のような企業で、その規模は、一人企業から上場企業までまちまちだという。
高橋さんは、近年の翻訳業界の変化をこう指摘する。
「ソースクライアントからの仕事は、以前はその翻訳物を使う部署から発注されていました。それがここ十数年、発注専門の別部門から大量発注されることが増えています。これが価格低下の一番の原因です」「翻訳物を使用する部署は翻訳の質を評価できますし、低価格で発注した仕事の質が悪ければ、次はもっと高価格のエージェントや個人翻訳者に発注します。つまり、質が価格にフィードバックされ、価格が維持されてきたわけです」「このフィードバックがきかなくなりました」
その結果、翻訳単価は値崩れし、翻訳の質も下がったという。高橋さんは、「当然、企業活動にも悪影響が出ているはずです。安物買いの銭失いではないでしょうか」と話す。
機械翻訳の登場
近年ではそこに、「機械翻訳」の登場という変化も絡む。機械が「翻訳」した訳文は、質が悪くて使い物にならないが、それを人手で整え、ポストエディットすれば、「人間が翻訳した訳文と遜色ないものが、安く速くできる」と宣伝されるわけだ。だが高橋さんは「ポストエディットを行っても、まともな訳文にはなりません」「ポストエディットが価格を下げる口実になっている状況です」と話す。
そのうえ、「ポストエディットの仕事をしていると言葉に対する勘がくるってしまい、翻訳の仕事など到底できなくなってしまう」のだそうだ。労働者の使い捨てということだ。
「翻訳には(1)原文の意味を理解しながら『読む』ステップと(2)訳文を『書く』ステップが必要です。大量のデータを確率論的に処理する機械翻訳には(1)が決定的に欠けているため、訳文は、『原文との情報整合性の怪しい高校英作文未満』の数珠つなぎになってしまうのです」
発注者側の教育を
「翻訳というのは、(1)原文の情報を過不足なく反映させた、(2)すとんと腑に落ちる読みやすい訳文を届ける仕事です」と高橋さんは話す。翻訳のこうした側面について発注者側の認識が低下していることが最大の問題だと高橋さんは指摘する。
「発注者側ができあがった翻訳の品質を判断できなくなっています。どういう翻訳が良い翻訳なのかを発注者側がわかっていないと、翻訳物を使用する現場に支障がでます」と強調する。
例えば、特許に関する翻訳には、膨大な技術知識と法務知識が必要なのだが、こうした安さ優先の現状で、きちんと法的権利を取得できる翻訳が生産されているのか、不安を覚えると高橋さんは言う。
「自動車部品の品質が大切なのと同じで、翻訳も品質が大切なのです」
高橋さんは、人材育成への悪影響も懸念している。特に心配なのが、クラウドソーシングの広がりだ。最低賃金をはるかに下回る価格も問題だが、翻訳者とソースクライアントやエージェントとの関係が希薄化してしまったら、翻訳の質など守られようもないと指摘する。
高橋さんは「労働組合は個人請負労働者にも目を配ってほしい」と訴える。「フリーランスも雇用労働者と同じように働いています。雇用されているかどうかにかかわらず、一人ひとりの生活する権利という観点で一緒に考えてほしいと思います」