特集2018.04

家族の視点から働き方を見直す「仕事」と「家族」男性の働き方を見直すために「男性学」が提供する視点とは?

2018/04/16
性別役割分業の見直しには男性の「働き方改革」が不可欠だ。男性が当事者意識を持ってこの問題に向き合うためにはどうすればよいのか。「男性学」の視点から考える。
田中 俊之 大正大学准教授
著書に『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA)、『<40男>はなぜ嫌われるか』(イースト新書)、『男が働かない、いいじゃないか!』(講談社+α新書)など

性別役割分業という前提

日本はいまだに性別役割分業を前提にした社会です。確かに、多くの女性が出産後も働くようになりました。でも、その女性たちの大半は時短勤務やパートです。「男は仕事、女は家庭」の変形バージョンに過ぎません。

日本の性別役割分業の前提とは何でしょうか。学校を卒業した男性が定年までフルタイムで働き続けることです。その前提があまりに強固なので、女性は出産後などに、主婦になるかパート従業員になるかの選択を迫られます。共働き世帯が増えているとはいえ、それは女性の働き方が微修正されているに過ぎず、男性の働き方は変わっていません。

重要なのは、男性が定年までフルタイムで働き続ける前提が変わっていないことです。この前提を疑わなければ、日本社会の仕組みは変わりようがありません。女性の働き方をいくらフレキシブルにしても、男性の働き方を変えなければ、家庭のことを担うのは女性だからです。

「男性学」の視点

そこで、私が講演などでお話ししている「男性学」という視点が役に立ちます。あらかじめ断っておくと「男性学」という学問はありません。あるのは、男性性研究という分野です。現代のジェンダー論では、男性や女性という性別を前提にして学問を語ることは不可能です。そのため、男性という性別を前提とした学問は成り立ちません。

ですが、労働組合や市民向けの講演で複雑なジェンダー論を話しても、多くの人に関心を持ってもらうのは困難です。だから、性別が社会によっていかにつくられているのかという話はいったん脇に置きます。その上で、性別が自分の生き方や考え方にどう影響を与えているのかを考えてもらうようにします。そこを出発点にすることで、ジェンダーの分野にも興味を持ってもらえると考えています。

「男性学」は、男性が男性だからこそ抱えている悩みや葛藤を対象にしています。よく例に挙げるのは、男性の自殺者数が女性のおよそ倍に及ぶことです。同じ社会の中で暮らしているにもかかわらず、自殺者の数が男女でこれほど違うのは、自殺という行為に性別が影響を与えているとしか考えらません。講演では、その背景に「男だから弱音を吐いてはいけない」とか「悩みをいうのは恥ずかしい」という意識があるのではないかと話しています。

同情されないおじさんたち

性別がその人の生き方や考え方に影響を与えるということは当然、男性の問題でもあります。でも、講演などを依頼してくる担当者は、ダイバーシティ推進部の女性が多くて、男性たちの当事者意識は低いのが実態です。だから、講演などでは、男性たちに気付いてもらうために、「男性だから、こういう悩みもありますよね」という話をします。

一つ例を挙げます。「おじさんが長時間労働をしてもかわいそうじゃないよね」という話です。おじさんたちはいつも疲れています。それがデフォルト。生き生きなんてしていません。疲れて電車の中で口を開けて寝ていたら、周りの若者たちから「キモい」と思われます。でも、同じことを女性がし始めたら、社会はどう感じるでしょう。長時間労働はおかしいと思うはずです。そういう話をすると受講者の表情が変わります。

おじさんたちが長時間労働をしてもかわいそうだと思われないのはなぜでしょうか。それは、社会がおじさんを雑に扱っているからです。と同時におじさん自身が自分を雑に扱っているからです。「おじさんたちは、自分が長時間労働するのは当たり前だし、体調が悪くても無理して会社に行くのは当たり前。時間がないから病院に行かない。こうしたことを正当化していませんか。それは怖いことではないですか」。そう問いかけると受講者のおじさんたちは「怖い」とうなずきます。

「腑に落ちる」ことが大事

男性中心の雇用慣行を変えようという建前を言われても、腑に落ちていない人がとても多いと感じています。女性活躍推進や男女平等参画も、ピンとこない男性が多いから、政策や施策に一貫性がありません。

だから、まずは腑に落ちるとか、「ああ、そうか」という体験が必要だと思います。「男性学」というアプローチに対しては、学問的には一般の人たちに寄り過ぎているという批判があります。けれども、小難しい話をするより、少しでも身近な例を挙げて、参加者に気付きを得てもらわないと意味がありません。

そのため、講演では「図書館に行くと何をしているかわからないおじさんがいますよね」と話します。定年後、友だちのいないおじさんが行くところがなくて、何時間でも過ごせる図書館にいるんですよ。そういう話をすると参加者は自分の経験と私の話を接続してくれます。

多くの人の関心は、社会のことよりも私的なことに向いています。その中で、より多くの人々に響くアプローチは、「そういうことあるよね」「あるある」という体験です。自分の体験を振り返ることから社会の問題に目が向くのだと思います。「男性学」は、そうしたアプローチの一つです。

男性たちは今がチャンス

男性たちに向けては、今がチャンスだと訴えています。男性が仕事を犠牲にして、家事や育児に自分の能力を振り分ける。これをする男性はこれまで異端児扱いされていました。けれども今は、政府が女性活躍促進とか働き方改革という旗を振っています。職場の上司がその政策の真意を理解しているかどうかはさておき、男性の家事・育児参加を表立って否定することはできなくなりました。これはチャンスです。

それでも、男性が育児休業を1年間取ろうとすれば当然波風が立ちます。男性の働き方という自明性に対する抵抗ですから。労働組合はこういう時頼りになれる存在でいてほしいです。組織の中で生きていくのに仲間の存在は大切です。

女性差別は今も根強くあります。男性が女性より苦しい思いをしているとも言いません。それでも、おじさんたちは社会から雑に扱われていると思います。長時間労働をしていても誰も同情してくれません。そうである以上は、自分が自分を雑に扱っていることに気付かないといけません。そこを自分の人生のあり方を考えるスタートにしてほしいと思います。

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