職場の防災・減災を進めよう避難指示区域の解除から2年8カ月
福島県南相馬市小高区を訪ねて
3000人が帰還し居住
福島県南相馬市小高区は、地域の大半が東京電力福島第一原発から20キロ圏内にある。そのため、原発事故後、区内の大半の地域が居住制限区域および避難指示解除準備区域に指定された。
震災から5年が経過した2016年7月12日。南相馬市の居住制限区域および避難指示解除準備区域が解除された。避難指示区域の解除から2年8カ月がたった今年3月、南相馬市小高区を訪ねた。
震災前に約1万3000人だった南相馬市小高区の人口は、今年2月28日時点で住民登録数7966人、居住者数3169人。住民登録はしているものの居住していない人も多い。南相馬市が作成した小高区の復興に関する計画では、人口想定を5000〜6000人としている。居住者数は現在でも徐々に増えており、今後も増加していくかが課題だ。
「区内にある幼稚園の昨年の園児の数は、3〜4人でしたが今年は15人くらいに増えたそうです」
こう話すのは、南相馬市社会福祉協議会小高区福祉サービスセンター所長の鈴木敦子さん。「犬の散歩をしている人やお子さんを連れた家族の姿を見るようになりました。それだけでも雰囲気はだいぶ違います」(鈴木さん)。避難指示区域の解除後、町に人の姿が戻りつつある。
買い物や病院が課題
ただ、生活上での課題は少なくない。
「買い物ができるお店を増やすことと医療体制を安定させることが大きな課題だと思います」と鈴木さんは話す。
小高区内には現在、市立病院の分院があり、医師が訪問診療などを展開しているが、病棟を設けるか、医療スタッフへの国の補助金が継続されるか、などの課題があり、市が頭を悩ませている。
買い物に関しては、震災前、区内に4カ所あったコンビニはすべて再開。スーパーも昨年12月に1店舗がオープンしたが、品数や値段を理由に、隣の原町区まで買い物に出る人も少なくない。震災前は区内にスーパーが7店舗あったが今はその1店舗だけ。「震災後8年が経過しても、この現状」と鈴木さんは語る。
「いろいろなものが少しずつ戻りつつありますが、そのたびに失ったものがたくさんあったんだなと実感します。スーパーも病院も料理店も、昔はもっとあったんだと思い出すこともあります」
復興は進みつつあるが、震災によって失われたものは確かにある。
コミュニティーの再構築へ
住民は徐々に区内に戻りつつあるが、震災前と比べると人口は4分の1程度。空き家対策やコミュニティーの活性化が課題だ。
住宅にアライグマやハクビシンといった動物が入り込んだり、イノシシや猿による農作物被害が生じたりしている。「震災前のようにコミュニティーが機能していれば動物も用心して出てこられないのでしょうけれど、人が少ないので」と鈴木さん。
一方、小高区にある39の行政区の再編を検討する声も上がる。津波被害により家が建てられなくなった地域や帰還が進んでいない地域もあるためだ。
南相馬市社会福祉協議会では、行政区の住民が自主的に開催する「サロン」に補助金を出している。小高区内では現在17カ所で「サロン」が開催されている。また、社協が主催する「サロン」も月1回、開かれているほか、要介護になる前の状態の人を対象とした交流会が週1回実施されている。
「ご近所に人がいないから交流できる場を設けてほしいという要望がありました。送迎付きなら参加しやすいということで、社協では『サロン』への送迎サービスを行っています。ただ、スタッフや経費も限られているので、受け入れ人数を多くは増やせません。ニーズは見えているのに対応しきれず残念です」と鈴木さんは話す。
南相馬市は、地域コミュニティーの再構築などを狙いとして、小高区の復興拠点施設「小高交流センター」を今年1月にオープンさせた。子育てサロンやトレーニング施設、地元野菜の直売所、カフェ・レストランなどが入る複合施設だ。
「みんなが集まって、おしゃべりをしたり、運動をしたり─。人が集まれる場所にニーズがあると思います」と鈴木さんは話す。
南相馬市では今年3月末を期限に仮設住宅と借り上げ住宅の供与が終了。仮設住宅等で暮らす被災者の支援として社協では、国の補助金で「生活支援相談員」を雇用してきたが、この補助金もなくなる見通しだ。
長期間にわたる避難生活で、3世帯住宅の世帯分離なども進んだ。住民の数も震災以前に比べ少なくなる中で、家族や住民同士のつながりを再構築することが課題の一つになっている。社協では、「サロン」での被災者などの話を聞く傾聴ボランティアなどに参加してくれる人を募集している。
交通弱者への配慮
もう一つの課題として、交通手段の確保を鈴木さんは挙げる。鉄道はJR小高駅が再開しているものの本数が少ない。前記の通りスーパーや病院も少ないので移動手段の確保は生活の上では必須条件だ。だが、高齢ドライバーが多いことから、事故の心配もある。「交通弱者に対する施策を充実させてほしい」と鈴木さんは訴える。合併前の小高町には、商工会と行政が連携した「おだかe─まちタクシー」という、「ドア・トゥ・ドア」の移動を安価で利用できる送迎サービスがあった。免許を返納した高齢者も含め交通弱者へのサービスが求められている。
鈴木さんは、2018年2月まで活動した災害復旧ボランティアセンターのセンター長も務めた。現在、社協では、草刈りや引っ越しの手伝いといったボランティアには取り組んでいない。通常の商業サービスが利用できるようになったためだ。
情報労連のメンバーもこのボランティアセンターのもとで活動した。鈴木さんは「皆さんの活動には心から感謝しています。南相馬での経験を他の地域での復興ボランティアにぜひ生かしてほしいと思います」と話す。
熊本地震から3年
「熊本地震」から3年。あの地震がもたらした建物被害は約20万戸。発災直後に避難所に身を寄せた熊本県民は18万人を超え、身を守るため車中やビニールハウスなどで寝泊まりした人々は数知れません。その後、約4万7000人もの人々が仮設住宅での生活を余儀なくされることになり、3年経過した現在も、1万9000人もの熊本県民が避難生活を強いられています。私たちはそのことを忘れてはなりません。
それでも、いま熊本では、交通インフラの整備や災害住宅の建設など、着実に復興が進んできています。また、今後予定されている世界的スポーツイベントや商業施設の開設などが、熊本の復興をさらに後押しします。
まずはスポーツイベント。「ワールドカップラグビー2019日本大会」の2試合が熊本で行われ、11〜12月に開催される「2019女子ハンドボール世界選手権大会」は22年ぶりとなる熊本開催です。世界中の人々が熊本に集まることでしょう。
また、熊本市中心部では、商業施設・公益施設(ホール)・ホテル・住宅・バンケットホール・シネマコンプレックスなど、多様な用途が一体となったバスターミナルを有する大型複合施設が建設中です。バスターミナルとしては、「日本最大級」といううたい文句となっています。開業は今年9月の予定です。
さらに、陸の玄関口であるJR熊本駅も、2021年、商業施設・結婚式場・ホテルを配置するビルとして大きく生まれ変わります。その前段の2020年には、商業施設とオフィスを兼ね備えた熊本駅北ビル(仮称)が新たに建設される予定です。九州では「博多駅」に次ぐ規模になると言われています。
本当の復興には道半ばと言えますが、いま「熊本」は、被災者の皆さんに寄り添いながら、熊本県が提唱する「創造的復興」の道を力強く歩んでいます。