特集2020.03

労働組合は、だから必要だ!労働組合にまつわる「呪いの言葉」の解きかたとは?

2020/03/13
「労働組合なんて入っても意味がない」──。そんな、労働組合にまつわる「呪いの言葉」を解くには何をすべきだろうか。『呪いの言葉の解きかた』の著者である上西充子・法政大学教授に聞いた。
上西 充子 法政大学教授

権力の構造

『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)という本を書いた時は、「ハラスメント」という言葉を使いませんでした。でも、読者から「ハラスメントがテーマの本ですね」と言われ、「呪いの言葉」は、ハラスメントでもあると気付きました。

ハラスメントとは、権力を持つ人が、声を上げた人や声を上げようとする人を押さえ付ける行為。そうした権力の構造に人々が向き合う必要があると思ったのが、この本を書いた動機です。

例えば、「仕事ばかりしていると婚期を逃す」「男を立てるべき」という言葉は、「呪いの言葉」です。そこには、女性たちを押さえ付ける権力の構造があります。女性たちはある種の「生きる知恵」として、その言葉を受け止めてきましたが、「呪いの言葉」を浴びせられ続けると人々はそれを内面化してしまうのです。

働く人たちも、「呪いの言葉」を内面化しています。「労働組合なんて意味がない」「会社ににらまれたくない」という言葉も、権力を持つ側から発せられた「呪いの言葉」を、働く人たちが内面化してしまった結果だと思います。

この構造を意識しない限り、労働組合がなぜ必要かという本当の意味も見えてこないと思います。労働組合とは本来、そうした権力の構造に対抗するための組織だからです。

労働者一人ひとりでは、会社や資本家に対抗することができません。だから、働く人たちが労働組合という組織をつくって、団体で交渉する権利が保障されています。働く人たちを押さえ付けようとする権力の構造があって、それに対抗するために労働組合があるのです。

その構造を直視しなければ、労働組合が必要な理由も本当の意味で理解できないと思います。「労働組合なんて役に立たない」という言葉は、権力の構造を維持するために発せられる言葉です。働く人たちを押さえ付けようとする権力の構造を直視してこそ、そこに対抗する術が生まれます。

働く人たちが内面化してしまった「呪いの言葉」のベールを1枚ずつ引きはがし、働く人たちが自分の置かれた状況を客観的に眺めることができるようにすることが、まず大切です。

安心して語れる場

権力の構造に向き合えなければ、悩みを一人で抱え込むしかありません。

今年公開された、日本の刑務所内の更生プログラムを取材した映画『プリズン・サークル』では、刑務所内で受刑者同士が、自分の生い立ちや犯した罪などについて語り合う更生プログラムの様子が描かれています。

受刑者たちは、社会から犯罪者だと見られ、自分が何を言っても責められると思っているのですが、このプログラムを通じて、自分が受けた児童虐待やいじめなどの傷を受け止められるようになり、その結果として、自分の犯罪行為を受け止められるようになります。それが可能なのは、そこが「安心して語ることができる場所」だからです。映画では「サンクチュアリ(聖域)」と表現されています。

自分と同じ立場の人たちが、他の場所では言いにくい葛藤を語り合い、共有できるようになると、人々は自分の置かれた状況を客観的に見られるようになります。映画でも、プログラムに参加したばかりの受刑者は、最初はただ黙っているだけでした。しかし、徐々に自分のことを語れるようになると、人は変わります。

労働組合も実はそういう場所なのではないでしょうか。働くことの悩みを安心して語ることのできる場。会社の評価と無関係に、あなたのことを守ると言ってくれる安心できる場。働く悩みを共有することで、自分の置かれた状況を客観的に見られるようになり、次に何をすべきかを理解できるようになります。労働組合が、働く悩みを語り合える「サンクチュアリ」であってほしいと思います。

日常の経験から解きほぐす

「呪いの言葉」を解くためには、日常の中に潜む権力の構造に、まず気付くことです。例えば、アルバイトのタイムカードが15分単位の職場があったとします。法的には1分単位で計算しなければいけないので、法律違反です。そのことを指摘しても、見直そうとしない場合、そこには権力の構造があります。

ほかにも、例えば、子どもが黒いセーターがほしいと言ったのに対し、母親が赤いセーターなら買ってあげると言う時、そこには権力があります。

権力というと、人を監獄に閉じ込めたり、身体的な虐待を加えたりするような過酷なイメージを持つ人もいるかもしれません。そうした極端な例は、確かに恐怖を抱かせますが、権力の構造はもっと身近なところにもあると気付いてほしいと思います。

「呪いの言葉」を解くためには、さまざまな事例を通じて、日常的な権力関係に気付くこと、それに対して異議申し立てをしていく訓練が大切です。そのためには、身近な事例を通じながら、「声を上げても大丈夫」「声を上げたことで変えられた」という小さな成功体験を積み重ねることが重要だと思います。

「灯火の言葉」を掛け合う

2015年に日本で公開された映画『サンドラの週末』は、主人公のサンドラが、病気休職明け直前に、職場に復帰できないと電話で告げられる場面からスタートします。サンドラの夫は、会社は理不尽だから闘うべきだと主張しますが、夫の言葉はサンドラを行動させることにつながりません。

一方、サンドラは、同僚のジュリエットに促されて社長に直談判をしに行きます。そこでもサンドラは何も言うことができません。しかし、ジュリエットが社長と交渉してくれたことで、社長から職場復帰を認めるための再投票の約束を何とか引き出すことに成功します。

大切なのは、次のシーン。ジュリエットはサンドラに対して、「姿を見せたから譲歩したのよ」と言い、それに対してサンドラが「そう?」と答える場面です。当事者であるサンドラが社長の目の前に姿を現したからこそ、社長は譲歩したのであり、サンドラがそこにいたことに意味があったと励ますのです。サンドラはそのことで、自分が行動したことに対する自信が芽生え、次の行動に移ることができました。

つまり、権力の構造に気付いてもらうのと同時に、声を上げ、行動したことを認めてあげることが、次の一歩を踏み出すために非常に大切な役割を果たすということです。できないことを責めるのではなく、できたことを認めてあげる。その方が人は次の行動に向かえます。「呪いの言葉」がどんな意図で発せられるかを可視化するとともに、それに立ち向かうための「灯火の言葉」を互いに掛け合うことが、権力の構造に対抗するために、重要だと思います。

その意味で、2018年に財務事務次官のセクハラ問題があった時に、新聞労連などが声明を出したことを評価しています。権力の構造に対して、対抗できる理論があると示すとともに、声を上げた人を孤立させないという意味でも、大きな役割を果たしたと思います。

新入社員の中には、「失敗したらダメ」「社会人と学生は違う」とおびえながら働き始める人もいるでしょう。そんな時、労働組合は、働くことの疑問や不安について、安心して話すことができ、おかしいことを変えていける場として存在してほしいと思います。

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