特集2021.01-02

「コロナ」から考える政治と生活帰属を失いばらばらになる人々
今こそ連帯と共同性の政治を

2021/01/15
新型コロナウイルスの感染拡大は、人々の政治意識にどのような影響を及ぼしたのか。戦後のリベラルデモクラシーの基盤が弱体化する中で何が求められるのか。労働組合に求められる役割などについて聞いた。
吉田 徹 北海道大学教授

──コロナ危機は人々の政治に対する意識を変えたでしょうか。

コロナ危機によって日本社会の政治への関心が飛躍的に高まったようには思えません。アメリカ大統領選挙の投票率が歴史的に高かったのは、新型コロナウイルスによる死者数が30万人を超えるなど、行政のあり方が人々の命や生活に直結することを有権者が目の当たりにしたからです。アメリカや欧州と比較して危機のレベルも異なり、そこまでの状態ではないでしょう。

ただ、新型コロナウイルスへの対応という意味では、都道府県、市町村レベルの政治への関心が高まったと言えるかもしれません。国政レベルでは、信頼できる新たな選択肢が有権者に伝わらない限り、積極的な政治参加につながりません。現状では、与野党から選択肢が示されているとは言えません。

日本社会は、経済成長が止まると人命が失われる構造になっています。だから、「経済優先」か「人命優先」か、という狭い選択肢を国民は迫られることになります。コロナ危機では、その社会が持っていた矛盾や脆弱性が強まる形で露呈しました。今回の事態を経済と人命を天秤にかけない社会づくりに向けて、議論を深めていかなければなりません。

──危機の中で声を上げた人たちもいました。

確かに、コロナ危機において、さまざまな人や組織が政治に対して声を上げた結果、国や地方自治体を動かすというケースが見られました。さまざまな領域で声を上げ、成果を積み重ねることは、政治参加を促進するために依然として有効な手段です。

とはいえ、そうした活動をできる層と、そうした活動にアクセスできない層の分断も浮かび上がりました。地域や家族、職場のような、伝統的に個人が帰属してきた共同体が衰退した結果、人々が孤立していったことがその背景にあります。ばらばらになった個人は、いまここにあるシステムに対して、従属的な立場に追いやられます。あるいは、瞬間的・短期的な判断に基づいた政治参加しかできなくなり、それが極端な政治選択をもたらすこともあります。人々が連帯し、何らかの共同性・所属性を持ち、その中で一定の責任を負いながら政治参画を果たすことが、いまこそ重要になっていると思います。

──人々がばらばらになるとどのような社会的リスクが顕在化しますか?

個人が帰属集団を失い、ばらばらになった結果として、二つの問題が想定できます。一つは、社会の不条理に対して、帰属集団を通じた解決が図れないために、個人による社会への暴力が発露すること。もう一つは、その反作用としての「ひきこもり」です。

先進国に共通する現象として、中間層が衰退しており、その結果、これまでと異なるラディカルな選択に引き寄せられる人々が増えています。

中間層とは、安定した仕事を通じて、予測可能な人生を描くことができる層のことです。先進国では戦後はじめて、中間層が社会の多数を占めることができたことで、政治体制は安定し、革命と戦争の時代を脱することができました。しかし、1970年代以降の産業構造の変化、技術革新、人口動態に伴い、中間層は衰退しています。その結果として大きな現状変更、最近の言葉でいえば「キャンセル志向」を持つ人々が増えています。

ラディカルな選択肢には、左派的なものもあれば、右派的なものもあります。前者は未来志向ですが、後者は「Make America Great Again」という言葉に象徴されるような過去へと回帰する志向です。こうした二つのラディカリズムがぶつかると、人々は後者を選びがちです。まだ見ぬものを選ぶより、過去にあったものの方が確かなものに見え、失われたものを取り戻すと訴えた方が、人々の心を捉えやすいからです。イデオロギー的な観点で人々が右派的なラディカリズムを選択しやすい背景には、このような心理があります。

──左派的な訴えは広がるでしょうか。

左派的なラディカリズムの訴えの一つが「脱資本主義」です。

資本主義が何を指すかにによって答えは変わりますが、貨幣を中心とした資本主義そのものを止めるのは難しい。貨幣は時間と空間を超える性質を持ちますが、それによって人間の自由が拡大するという側面があります。その欲求を止めるには、強権的で、全体主義的な政治を許容しないとなりません。

しかし、資本主義がもたらしている負の側面を修正しなければならないのも事実です。富の偏在は社会を不安定にさせ、潜在成長率を損なわせるという認識は、経済界、経済学界を含め、ここ数年で広がってきました。そのための人智が問われています。

戦前に、資本主義の問題を政治的に解決しようとしたのが、コミュニズムとファシズムでした。戦後の西側諸国はその反省を踏まえ、自由民主主義体制を構築しました。民主主義を基盤とした強い国家を通じて資本主義を抑制的にするという方法です。それが戦後のリベラルデモクラシーのコンセンサスであり、福祉国家や社会国家の成立につながりました。

しかし、そうした戦後合意は、冷戦終結とグローバル化の進展によって崩れていきました。戦前のような全体主義でもなく、あるいは、社会を不安定にする革命を起こすのでもなく、資本主義をどう手懐けるのか、難しい問題に直面しています。

──労働組合はどのような役割を発揮できるでしょうか。

労働組合は政労使からなる戦後コンセンサスの中で、資本主義を抑制する機能を期待され、その役割を果たしてきました。労組を含む伝統的な共同体が衰退する中、個人が共同体にコミットしたいと思えるような自発性をどのように調達するかが問われています。職場であれば、賃金だけでなく、労働を通じて得られる社会的・文化的な承認をどのように提供できるかが問われているのではないでしょうか。

問題は、そのような広い意味での「報酬」が減っていることです。「報酬」が減ると、人々は「報酬」を増やそうとするのではなく、今持っている「報酬」を失わないよう、防御的な行動を取るようになります。その結果、新たな運動に参加することが難しくなっていく。

共同体が衰退しているとはいえ、そこに所属することで得られるものがあれば、人々は共同体に参加します。働くことで得られる喜びや承認が変化する中、労働組合がその変化を認識し、フォローするような形で、新しい運動を展開できるかが問われています。若者を中心に社会貢献に対する意識は高まっています。そうした意識を取り込んだ運動を展開できれば、集団への帰属性や共同性を高めることは十分に可能でしょう。

人々が連帯し、共同性や所属性に基づいて、政治的思考をすることは、政治にとっても、経済にとっても、かつてなく重要になっています。労働組合が働く人たちの共同体として役割を発揮するために、人々の意識の変化を積極的に捉え、それをリードする存在でもあることを自覚しなければなりません。

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