特集2022.12

物価上昇に向き合う
賃上げから日本経済を回す
「稼ぐ力」の低下が招く円安
労働組合の要求が底上げの原動力に

2022/12/14
日本経済の「稼ぐ力」の弱さが、円安のスパイラルを招いている。価格転嫁を賃上げにどうつなげ、日本経済の底上げを図るべきか。エコノミストに聞いた。
熊野 英生 第一生命経済研究所
首席エコノミスト

円安と日本経済

──円安の背景として、日本の経済力の低下する指摘があります。どう捉えればいいでしょうか。

最近の円安は、日米の金利差によっておおよそ説明がつきます。ただ、もう少し長いタームで見ると異なる事情が見えてきます。為替相場が円高に最後に振れたのは2012年ですが、当時と比べると円高になる要素は少なくなっています。

象徴的な数字は、貿易赤字です。2022年度上半期の貿易収支は過去最大でした。貿易収支だけではなく、サービス収支も赤字が膨らんでいます。所得収支が、貿易・サービス収支の赤字を補って経常黒字を維持していますが、黒字幅は大幅に減少しています。日本の資金が海外に流出しているといえます。

エネルギーや食品などの輸入物価が高くなれば、それを購入するためにより多くの円をドルに換金することが必要になり、そのことが円安をさらに加速させています。

円安がしばらく続くと輸出が増え、貿易収支を黒字化する力が働くのですが、今回はそうした力があまり働いていません。日本の「稼ぐ力」が弱まっていて、それが貿易赤字につながり、さらなる円安を招くという構造的な円安スパイラルが生まれています。

──「アベノミクス」は、円安を誘導し、輸出型製造業からの好循環をめざすはずでした。

日本の稼ぐ力は、まったくなくなったわけではありません。自動車や工作機械は堅調です。一方で、半導体などのIT分野の力は強くありません。

日本の中小・中堅企業は技術力を持っています。中小企業は、これまで国内企業とのやりとりが多く、価格転嫁がうまくできていませんでした。技術を持つ中小企業が海外に販路を拡大すれば、日本経済が「稼ぐ力」を伸ばす余地は十分にあります。

1980年代に日本の輸出が伸びたのは、家電製品をはじめ競争相手のいない市場に進出し、ブランド力や技術力を確立できたからでした。ところが、日本企業はそうした体験をあまり記憶していません。競争相手がひしめく「レッドオーシャン」に飛び込んでも価格競争に巻き込まれるばかりです。競争相手のいない分野で、「グローバル・ニッチ・トップ」をめざせばパフォーマンスは高くなるはずです。

価格転嫁と物価上昇

──輸入物価が上昇する中で価格転嫁が課題になっています。

BtoBの素材産業では、ここ1年近くで価格転嫁をする企業が増えてきました。しかし、系列の川下にいる中小企業は、苦しい状況に追い込まれています。メーカーは、価格転嫁を拒否すると行政指導が入るため、むやみにそれをしませんが、実質的に価格転嫁を阻むような事例も聞いています。例えば、10%の価格転嫁が必要なのに3回に分けて3%ずつ上げていくような事例もあるそうです。

価格転嫁を認めさせるためには、収益管理や品質管理部門の担当者と交渉しても、らちが明かないことがほとんどです。価格転嫁のためには、会社全体で意思統一した上で、相手の会社の社長や副社長クラスの権限を持つ人と交渉することが大切です。

──価格転嫁を賃上げに結び付けるためのポイントは?

中小企業は、原材料価格の高騰に対して、設備投資や人件費などの固定費を調整して帳尻合わせをしています。こうした対応が一般化すると、仕入れ価格が高くなる一方、販売価格が抑制されます。つまり、人件費を上げるためには、販売価格を上げなければいけません。

また、一般的に経営者は、生産数量が増えなければ、固定費負担が減らないと考えます。そのため、生産数量の増加が見込めるときにだけ、固定費を増やします。

ただし、今起きている事態は、これとは違います。仕入れコストが上がっているだけで、生産数量は増えていません。つまり、仕入れコストを価格転嫁しても変動利益が増えるだけで生産数量は変わらないので、経営者は賃上げをしようとしないということです。

だからこそ労働組合の役割が期待されます。労働組合が消費者物価の上昇分を踏まえて人件費(固定費)の増額を要求する。そうすると経営者は固定費の上昇を販売価格に上乗せせざるを得ず、価格転嫁の力になります。

労働組合が、原点回帰して、生活コストが上がっているから賃金を上げてほしいと要求することは、日本経済の底上げにとっても重要です。

物価上昇によって家計の負担は増しています。そのしわ寄せは、貯蓄率の低下として表れています。これは働く人たちの将来不安を併発します。人々の将来不安の高まりは、消費の低迷をもたらします。つまり、賃上げをしなければ、貯蓄率の低下と将来不安の増大につながり、国内景気がいっそう悪化することを意味します。

政府やメディアは高年齢労働者の低賃金にとても無自覚です。働き手が70歳代までの就労を余儀なくされている一方、企業は高年齢者雇用を社会福祉だと捉え、安いコストで高年齢者を働かせています。高年齢労働者の増加が、日本全体の労働コストを下げる要因になっています。年齢で差別するのではなく、成果に対して配分する賃金制度を整備する必要があります。

人的投資の必要性

──この間、企業の過剰貯蓄の傾向も指摘されてきました。

企業の過剰貯蓄の傾向はあまり変わっていません。コロナの経済ショックで、蓄えのあることが一定程度効果を発揮しましたが、その経験が過剰貯蓄の成功体験となり、再び貯蓄を積み上げる傾向へと企業を走らせています。

しかし、金融庁をはじめ、企業存続のためのバックアップが充実しているため、過度な「カネ余り」は必要なくなっています。日本企業は1990年代から節約志向を強め、設備投資や研究開発費、人的資本形成にお金を使わなくなりましたが、成長のために投資をしなければじり貧に陥ってしまします。グローバル企業は日本ではなく国外に投資をしていますが、国内への投資も行い、相乗効果を狙ってより大きな成果を追求していく必要があります。

──円安・物価上昇の今後の動きをどう見ていますか?

一時的に円高の方向に向かうことはあるとしても、今年3月上旬の110円や115円といった水準に戻ることはないでしょう。欧米の消費者物価指数が来年以降マイナスになることはなく、円安傾向が継続もしくは進むことを展望しつつ対応する必要があります。物価上昇に伴う実質賃金の低下が続けば、将来不安に伴う過剰貯蓄と消費低迷が続き、それが稼ぐ力を弱くさせ、円安のスパイラルから抜け出せません。賃上げによってこの流れを転換させなければいけません。

特集 2022.12物価上昇に向き合う
賃上げから日本経済を回す
トピックス
巻頭言
常見陽平のはたらく道
ビストロパパレシピ
渋谷龍一のドラゴンノート
バックナンバー