政治の争点は
どこに?国会で野党が「まとまる」と強くなる
「国会と選挙は別」を常識に
元毎日新聞編集委員
極めて残念だった国会
6月21日に閉会した第211通常国会は、極めて残念な内容だった。第一に、防衛費の増額に向けた財源確保法案、原発の運転期間延長など「原発回帰」を鮮明にしたGX(グリーン・トランスフォーメーション)脱炭素電源法案など、国の根幹にかかわる大型の与野党対決法案が、さしたる世論喚起もないままあっさり成立した。第二に、外国人の収容・送還のルールを変え、難民申請中でも外国人の送還を可能にする改正出入国管理法案、性的少数者(LGBT)への理解増進法案など、人権上の問題が多く指摘された法案が、逆に激しい対立と喧騒の中で成立した。
特に残念だったのは後者だ。これらは人権に深くかかわる内容だけに、本来は対決法案になってはいけない。与野党が協同して世界基準の価値観に合った法案を策定し、全会一致で可決させるのが筋だ。ところが実際は与野党間、与党内、さらには野党内で対立が先鋭化し、日本の人権意識の低さを世界にさらしてしまった。
批判に耐えられない与党
こんな国会になってしまったのは、ひとえに政権与党の「批判に耐える力の欠如」だと考える。
55年体制時代の自民党にはまだ、野党の批判をそれなりに受け止め、合意形成をめざす姿勢があったが、現在の自民党は違う。難しい法案をいくつも束ねて短期間で一気に成立させたり、多額の予算を予備費として計上し、国会の監視を受けにくくしたりと、あらゆる手段を駆使して批判の糸口をふさぎにかかる。衆院解散の可能性をちらつかせて内閣不信任決議案の提出を阻止しようとしたのも、要は自らへの批判の言葉を「聞く力」がない、ということだ。
それはおかしい。改めるべきだ。こういう言葉を「聞けない」政権与党を放置すれば、必ず国民に跳ね返る。現在ならマイナンバーカードを巡る種々の問題が、その最たるものだろう。
だから、どんなに「批判ばかり」と批判されても、野党はそんな声に屈せず、政権与党を監視し、批判の声を上げ続けなければならない。しかし、2017年に民進党が粉々に分かれてしまって以来「多弱」状態が続く野党が、国会でしっかりと大きな声を上げるのは、なかなか難しいことだ。だから言いたい。
国会で野党が「まとまる」ことに対し、支持者はケチをつけてはいけない。
国会内で「まとまる」
「多弱」とは言ったものの、ここ数年の野党の国会でのパフォーマンスは、その規模に比してかなり健闘していると思う。ただ、その出来不出来が、国会によって大きく違う。出来不出来を左右している要因が、まさに「野党がまとまっているか否か」だ。少し振り返ってみたい。
2019年臨時国会。首相主催の「桜を見る会」を巡り、共産党の質問からその「私物化」ぶりに大きな焦点が当たった。立憲民主党など野党は、会派をともにしていなかった共産党も含む大きな「闘いの構え」をつくり、野党合同ヒアリングを通じて問題点をあぶり出し、安倍政権の政治姿勢に対する世論喚起に成功した。
2020年の通常国会では、検事総長ら検察幹部の役職定年を内閣の判断で延長可能にする「特例」を盛り込んだ検察庁法改正案の成立を断念させた。新型コロナウイルス感染症対策を巡り、政府が2020年度補正予算案を組み直すという異例の事態に追い込んだ。2021年通常国会では、コロナ対策の特別措置法改正案など3法案について「野党案丸のみ」と言われるほどの修正を勝ち取った。
ところが、この年の秋の衆院選で立憲民主党が敗北すると、同党は「共産党との『共闘』」に敗因を求め、合同ヒアリングをやめるなどの挙に出た。2022年通常国会で野党は空気と化し、同年の参院選でのさらなる敗北につながった。
参院選の敗北直後、立憲民主党は2022年秋の臨時国会で、今度は「犬猿の仲」である日本維新の会との協力に踏み切り、これが世界平和統一家庭連合(旧統一教会)被害者救済新法の成立につながった。岸田政権は当初、法案自体を提出する気がなかったが、「弱小」野党がその背中を押して法案を提出させ、さらには政府案の修正まで勝ち取った。
ところが、維新との連携には、一部支持者から不満の声が上がった。翌2023年は統一地方選など大型選挙が控えていたこともあり、両党の協力関係は解消。野党の国会での存在感は、またも失われてしまった。
国会における野党とは?
相手が誰であれ、野党は「まとまる」だけで「国会で」大きな力を発揮できる。しかし、少なからぬ野党支持者が、それを良しとしない。共産党と協力すれば、連合などから反発が漏れる。維新と協力すれば、左派やリベラル系などの野党支持層が不快感を示す。「協力相手をコロコロ変える立憲民主党はブレている」との批判も起こる。
これはおかしい。「国会」と「選挙」は明確に分けて考えるべきだ。
「国会」における野党とは、政権与党(自民、公明両党)以外のすべての政党を指す。政治スタンスは真逆でも、野党各党がそれぞれの考えで政権与党を監視し、批判し、必要なことは改めさせる。それが野党の仕事である。「右から」批判する野党も「左から」批判する野党もあるが、どちらも「政権を監視し批判する」点では同じだ。
政権与党について「誰が見てもひどい」点については、野党各党は政治スタンスの違いを脇に置き、協力して批判すべきだ。「あの党とは一緒に戦いたくない」と言っていては、いつまでたっても政権与党にまっとうに対峙することはできない。「自公でなければ皆仲間」くらいの勢いで、可能な限り幅広い協力関係を模索すべきだ。
「国会」と「選挙」は別
一方、選挙における他党との協力の考え方は、国会とは全く別である。
野党が国会で連携すると、メディアは「選挙協力に発展するのか」と騒ぎ出す。小選挙区制の下、政権与党と野党側が1対1で戦う構図を作ることは、確かに重要だ。
しかし、野党が政権をかけて与党に対峙する時、死活的に重要なのは「連立政権を組める」、つまり「めざす社会像で一致できる」ことだ。これができない野党が組んで政権を奪っても、その政権は早晩瓦解する。「『非自民』であれば何でもいい」の一点で野党が無理にまとまり、失敗した民主党政権の歴史を、私たちは覚えている。
国会では政治スタンスが違っても、野党全体が「政権与党の監視と批判」の1点でまとまる。選挙では「めざす社会像をともにする」野党がまとまって、政権与党に対峙する。当然、その枠組みは違っていて構わない。
こういうことを、そろそろ「常識」にしたい。
最後になるが、この国会で「政権与党を監視し追及する」ことを捨て去った野党があったことは、極めて残念だった。
これらの政党が現在野党であることは、前回の衆院選の結果によるものだ。民意の付託を受けることなく「与党もどき」のごとく振る舞うのは恥ずかしい。与党になりたいなら、次の衆院選に勝ち、自らの手で政権を勝ち取るしかないことを、肝に銘じてほしい。