「新時代の日本的経営」から30年
雇用システムはどう変わったのか?人事の観点から見たポートフォリオ
変化の本質を探り対応策を考える


ポートフォリオとは何か
ポートフォリオには、雇用ポートフォリオのほかに人材ポートフォリオという考え方があります。前者の目的は、雇用形態を特定の軸に沿って整理すること。後者の目的は、企業の戦略や目標に沿った必要な人材の組み合わせです。個別企業ではまず、人材ポートフォリオで必要な人材像を示した上で、雇用ポートフォリオで各カテゴリー人材の雇用形態を考えるという関係だといえるでしょう。
日経連の「新時代の『日本的経営』」が示した雇用ポートフォリオは、当時の労働市場や経済情勢を前提にしたものでした。報告書の10年前の1985年には労働者派遣法が制定され、派遣という働き方が登場し、またサービス業が拡大する中でパートタイム労働者が増えていました。そうした時代背景で生まれたのが日経連の雇用ポートフォリオです。
背景には産業構造の変化がありました。製造業中心からサービス業へと産業構造の転換が進む中で、需要の変動に対応できる柔軟な働き方が求められるようになっていました。その中で、非正規雇用を単なる補助的な労働力としてではなく、人材戦略の中にきちんと位置付けて処遇する必要性を示すものだったといえます。日経連の報告書は、非正規雇用を拡大させる契機になったと語られることもありますが、その狙いは柔軟な働き方を企業戦略の中に正当な働き方として位置付けることだったのです。
日経連の雇用ポートフォリオでは、「長期蓄積能力活用型」と「雇用柔軟型」の間に「高度専門能力活用型」という人材グループが置かれました。日経連としてはこのグループを拡大したいと考えていたようですが、実際にはあまりうまくいきませんでした。
30年間の変化
日経連が示した三つのタイプは、現状を分析する上で今も有効だといえます。ただ、それぞれのカテゴリーを見ると細分化が進んでいます。例えば、「長期蓄積能力活用型」では限定正社員が登場し、「雇用柔軟型」でもさまざまなタイプが現れ、処遇も細分化しています。
また、「高度専門能力活用型」では、雇われないで働くフリーランスが増えています。特に専門性の高い人たちは、雇われて働くよりも自分のスキルを生かしてプロジェクトごとに契約する働き方を選ぶようになっています。こうした動きは、日経連の報告書では想定されていませんでした。というのも、報告書は雇われて働くことを前提としていたからです。高度な専門性を持つ人たちは、雇われることを選ばず、むしろ自律的に働くスタイルを選ぶようになっています。日経連の報告書は、こうした動きを予想するイマジネーションが足りなかったのかもしれません。その意味で現状を分析する場合、「雇用ポートフォリオ」ではなく、雇用を前提としない働き方を含む「労働供給ポートフォリオ」という視点で捉えるべきだといえるでしょう。
ポートフォリオの未来
ポートフォリオの各カテゴリーが細分化することで企業にとっては選択肢が広がっています。この考え方を突き詰めると、究極的には一人ひとりとの個別契約が企業にとって重要になります。つまり、「長期蓄積能力活用型」や「雇用柔軟型」のように大きなカテゴリーではなく、Aさんとはこういう条件、Bさんとは別の条件というように、個人との契約が基本になるということです。
こうした考え方を人事の世界では、「I-deals(アイ・ディールズ)」と呼びます。例えば、在宅勤務やスーパーフレックスのように働く側が自分に合った条件を求め、それにマッチする企業を選ぶ時代になってきています。企業も人手不足の中で、個人の希望に柔軟に対応することが求められています。
一方、企業側で、個別契約が広がり、プロジェクト単位で人を集めるような人材活用が広がると、長期的な人材育成は少なくなっていくでしょう。長期的な人材育成は、経営層を育てるために一定程度は残りますが、かつてのように新入社員全員が幹部候補というわけではなく、その対象がキャリア初期から絞り込まれることになります。
その場合、幹部候補でない人は、転職することもあるし、その時その時の経営戦略などに応じて企業にとって入れ替え可能な存在として位置づけられることもあるでしょう。つまり、人材ポートフォリオの観点から見ると、長期的に育成される経営者候補はごく限られた人数になる一方、高度な専門性を持つ人材はプロジェクト単位で企業と契約し、それ以外の人は労働市場の中を移動しながら働く──。こうしたポートフォリオへの転換を想定することができます。
「ジョブ型」への移行
このポートフォリオが働く人にとって厳しいのかどうかは、社会保障のあり方によっても変わります。例えば、スキルを磨いておけば働く機会を見つけられる労働市場があり、生活を支える社会保障が整っていれば、働く人が必ずしも不利になるわけではありません。むしろ、自分のライフスタイルに応じて柔軟に働ける社会になる可能性があります。
ただ、働く人が自らのキャリアを主体的に選び取れるためには、「このポジションには、こういうスキルや経験が求められ、こういう処遇が与えられる」という条件を企業がある程度明確にする必要があります。これは、いわゆる「ジョブ型」への転換だといえますが、働く側にも自分のスキルを常にアップデートすることが求められます。
スキルや処遇の標準化を図るために、最も変わるべきなのは政府です。政府はこれまで、「正社員が最も望ましい働き方」という前提で政策を設計してきました。しかし、これまでの正社員モデルはある意味「絶滅危惧種」になっています。その現実を直視し、政策を再構築する必要があります。具体的には、スキルの標準化や労働市場における情報提供を政府がより積極的に進めていく必要があります。またその中で、賃金がこれまでのように年齢とともに右肩上がりにならなくても生活できる社会システムを構築することが求められます。
労働組合に求められること
こうしたスキルの標準化が進めば、現在の「ジョブ型正社員」と非正規雇用の境界線もあいまいになっていくでしょう。スキルの標準化は、非正規雇用の処遇改善にもつながります。仕事内容や求められるスキルが明確になれば、雇用形態にかかわらず、それに見合った適切な処遇を得られるようになるからです。
一方、経営層になるために長期育成される人はジョブ型である必要はありません。こうした人材は、ジョブへの適合ではなく、会社に対するコミットメントが求められるからです。そのためジョブローテーションを通じて幅広い仕事を経験する人材育成は残ると考えられます。
人材ポートフォリオがこのように変化するとすれば、労働組合も大企業正社員だけを対象にし続けるのは現実的ではありません。フリーランスで働く高度専門人材やジョブ型で働く労働者などに活動の範囲を広げて、労働組合の社会的なミッションを見つめ直す必要があります。