「新時代の日本的経営」から30年
雇用システムはどう変わったのか?うまく行き過ぎたポートフォリオ
「非正規雇用」依存からの脱却を


非正規雇用の増加
日経連の「新時代の『日本的経営』」が、非正規雇用に与えた影響は大きかったと思います。当時の日本企業は、人件費の拡大に敏感になっていました。同時に当時の日本には正社員と非正社員の処遇格差を規制するような法律や、有期雇用を規制する法律がほとんどありませんでした。こうした状況で企業が非正規雇用を拡大するのは自然な流れでした。
企業は、非正規雇用を単に増やすだけではなく、戦力として活用するために教育制度を充実させてきました。その結果、管理的業務を担う非正規雇用が増えました。加えて、専門職でも非正規雇用が増えました。中でも目立つのが女性比率の高い専門職での増加です。具体的には保育士や保健師、カウンセラーなどが挙げられます。こうした仕事は資格や教育が必要な専門職にもかかわらず、非正規化の波が広がっています。特に公務労働における専門職の非正規化が顕著です。
雇用ポートフォリオでは、「高度専門能力活用型グループ」の活用が掲げられましたが、現実的には専門職の非正規化が起きています。これは「高度専門能力活用型」が「雇用柔軟型グループ」に引き寄せられていることを意味します。
うまく行き過ぎたポートフォリオ
正社員よりも格段に安い賃金で、解雇しやすい労働者を、企業の業績や景気動向に合わせて柔軟に活用できるようになったという点で、日経連の雇用ポートフォリオはうまくいったといえるでしょう。しかし、その方向があまりにうまく行き過ぎた結果、日本社会は停滞しているのだと私は思います。
それは、非正規雇用に依存する構造が生まれたことです。実際、私が調査した事例でも、市場シェアが高く、業績好調の企業であっても、製造現場の8割以上が非正規雇用というケースがありました。これは企業が非正規雇用に依存した結果、まともな待遇を提供する力を失っていることの証左の一つです。
まともな待遇というのは、決してぜいたくな条件を指すのではありません。例えば、1日8時間労働や週休2日、病気休暇といった、ごく基本的な処遇のことです。こうした最低限の条件すら守ることのできない状況は、社会の持続可能性の側面からいっても無理があります。
EUでは、有期雇用に対する規制や職務ベースの賃金規制が存在し、低賃金構造が温存されづらい仕組みがあり、それが産業の新陳代謝を促しています。これに対して日本では、法規制の弱さや正社員中心の労使関係が、安価な労働力に依存する企業を延命させてきました。その結果、日本は低賃金構造から抜け出しづらくなっているのではないかと思います。
多様な人材を生かせない日本企業
企業の意思決定が「長期蓄積能力活用型グループ」に偏ることで、日本企業は多様な人材を生かせていません。
「無限定正社員」がベースである「長期蓄積能力活用型グループ」に女性が入っていくことはいまだに難しい現実があります。女性正社員が増えていたとしても、長時間労働や転勤などを理由にキャリアを継続できなかったり、昇進を諦めたりしている人が多くいます。
このことは、日本企業が企業経営において多様な人材を生かせていないことを意味します。その結果、日本企業では同質的な人材が意思決定を行うことで、生活者向けの新しい製品やサービスを生み出せていないのではないでしょうか。
多様な人材が企業の意思決定に参加するようになれば、新しい製品やサービスが生まれる可能性が高まります。その際にも現在の処遇格差を是正することが重要になります。例えば、パートタイム労働者に中核的な業務を任せるだけでは意欲は高まりません。実際、パートの店長に話を聞くと、正社員との待遇差は依然として大きいことがわかります。その方が人件費を大幅に抑えられるからです。しかし、働く側もその差を理解しています。それで意欲を持てと言われても限界があります。つまり、仕事の中核にかかわるだけでなく、それにふさわしい処遇があって初めて、高い意欲を持って働けるのだと思います。
非正規雇用の処遇改善を進めるためには、正社員の働き方を見直す必要があります。長時間労働や転勤といった負担を残したまま正社員と非正規雇用の処遇を同じにすれば、正社員の不満が残ります。その意味でも、正社員自身が長時間労働や転勤を前提とした働き方を望んでいるのかを問い直すことが重要です。
社会政策との組み合わせ
非正規雇用の処遇改善のためには、企業内の取り組みだけではなく、社会政策も求められます。というのも企業内で配分できるパイには限界があるからです。
現在の日本では、生活に必要なものは、「自分で稼いだお金で買う」ことが前提になっています。勤労者にとって特に負担が大きいのは教育費と住宅費です。例えば、教育費の負担を軽くしたり、公的住宅の選択肢を広げたりすることで、賃金を補完できます。このように賃金と社会保障を組み合わせることで処遇格差の是正を進めることができます。
その意味で、雇用保険を充実させることも重要です。失業手当の金額が少なかったり、支給期間が短かったりすると、働く人は嫌な仕事でも無理して働かざるを得ません。これは悪い労働条件でもそれを受け入れて働く人が出てくることを意味し、大企業の正社員にとっても無関係ではありません。働く側が仕事を選べるという意味での労働市場の流動化を実現するには、雇用保険の充実に加えて、職業訓練を受けられる時間的・経済的な余裕が必要です。
「安くても高品質」からの転換
こうした改革が実現した結果、労働者のコストは、「高くつく」はずです。つまり、ある程度の賃金が保障され、家族形成ができる社会保障システムを整えるとすれば、社会的コストがそれなりにかかるということです。
その結果、そうした労働者を雇っても成り立つような事業でなければ、企業の継続は難しくなります。言い換えれば、企業側にも十分な「もうける力」が求められるということです。そのことが、事業構造を変える原動力になるのではないでしょうか。
これまでの日本企業は、無限定正社員や女性の非正規雇用、さらには下請け構造に支えられながら、「安くても高品質」の製品をつくり、海外に輸出してきました。それは日本が「新興国」であるうちは可能な戦略でした。しかし、今はそうはいきません。社会を維持するためにも労働者にまともな待遇を提供しなければなりません。だからこそ、「安くても高品質」から、「妥当な値段で高品質」の製品やサービスに転換する必要があります。
これまでの仕組みで成功してきた経営者や労働者にとって、この転換は怖いことかもしれません。しかし、時代の変化に合わせて持続可能な社会をつくるためには、働き方を見直す必要があります。