常見陽平のはたらく道2016.04

「1億総活躍」を「1億総搾取」にしない

2016/04/20
「活躍しろ」と言われても、活躍する基盤がなければできない。活躍を強制してもいけないはずだ。

「保育園落ちた日本死ね!!!」というタイトルの匿名ブログが話題になっている。ご覧になった方も多いかと思うが、まだ読んでいない人は検索して原文をご一読いただきたい。ネットから飛び火し、国会でも話題になった。関連したイベントまで開かれた。

「便所の落書き」「誰が書いたかわからない」などと言う政治家がいたようで胸が痛んだ。もちろん、表現には過激な部分がある。ただ、これもまた日本の会社と家庭の問題を端的に描いているのではないだろうか。だからこそ、これだけ賛否両論ありつつも、共感を呼んだのではないか。

私たち夫婦には子どもがいない。今年で私は42歳、妻は41歳。子どもを授かるのがこんなに大変だとは思っていなかった。若いころに見たテレビドラマでは、妊娠発覚で未婚のカップルがあたふたするシーンがよく描かれていた。避妊について教育を受けたこともあるし、ドラマでもあたかも避けるべきことのように扱われていたが、このように子どもを授かることに苦労する時代になるとは思っていなかった。

しかし、授かったところで保育園に入ることができるかという問題が待っている。この「保育園落ちた日本死ね!!!」というエントリーに書かれたことは「便所の落書き」どころではなく、すでに出産・育児に関して見聞きしていた情報と、それに対する曖昧な不安が凝縮されているように思う。

「1億総活躍」なる言葉が話題となる今日このごろだ。ただ、このエントリーが問題提起したように、そのための基盤はとても盤石と言える状況ではなく、発展途上だ。この「1億総活躍」なる言葉は美しい言葉のようで、「1億総搾取」になるのではないかと不安になる瞬間がある。まずは生きること、承認されることが大事なのであって、誰でも彼でも活躍しろという脅迫が怖い。活躍する人の多様性や方法もそうだが、活躍するレベルの多様性も議論しなくてはならない。

このコラムでも何度も指摘しているが、特に女性の活躍については、出産をし、育児もし、もっと働くようにと言っているようにも聞こえ、女性に何でもかんでも押し付けているかのように見える。性別役割分業が話題になるが、何でもかんでも押し付けるのは分業とはいえない。分業を装った強制になってしまう。

性別で役割を分担するのではなく、それぞれの会社や家庭においての役割分担を考えることこそが、持続可能なモデルだし、「役割分担」が行われている状態だと言えないか。

ちなみに、わが家では料理や買い物、ゴミを出すなどは完全に私の仕事となっている。掃除の中でも、モノの整理・整頓は私の仕事だ。それは、私に向いているからであり、私の方が得意であるからだ。

役割を分担することを装った押し付け、強要では会社も社会もうまくまわらない。家庭も、である。ましてや、そのための土台を会社や社会が用意しないというのならなおさらだ。「1億総活躍」なることを叫ぶのであれば、そのための土台づくりと、人に活躍を強制しない、役割を押し付けないという考えが必要ではないだろうか。

常見 陽平 (つねみ ようへい) 千葉商科大学 准教授。働き方評論家。ProFuture株式会社 HR総研 客員研究員。ソーシャルメディアリスク研究所 客員研究員。『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)、『「就活」と日本社会』(NHKブックス)、『なぜ、残業はなくならないのか』 (祥伝社)など著書多数。
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