特集2017.12

「賃上げ」へ動く要求しないと賃金は上がらない
労働組合は「ボイス」を挙げるチャンス

2017/12/14
人手不足が進んでいるのに、賃金は伸び悩んでいる。その背景には複数の要因がある。賃上げに向けて何が必要なのか聞いた。
玄田 有史 東京大学社会科学研究所教授
著書に『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』(慶應義塾大学出版会)。

賃下げされたくない心理

『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』という書籍を今年4月、編集・出版しました。総勢21人の労働経済学者などにその理由を分析してもらったところ、その理由はどうも単純ではなく、複数の要因がありそうだということがわかりました。

書籍では、「需給」「行動」「制度」「規制」「正規・非正規」「能力開発」「年齢」という七つのポイントでその要因を分析しました。労働組合に特に関係がありそうなポイントからお話ししましょう。

書籍の中では、「行動」=行動経済学の観点から説明した論文があります。その内容は、労働者側の意識が賃上げの抑制要因になっているという指摘です。労働者は、賃下げに対して強い恐怖感を持っています。そのため、たとえ現下の人手不足を背景に賃上げをしても、将来的に業績が悪化したら、賃下げされてしまうかもしれない。であるならば、いまの賃上げにそれほどこだわらない。そのような精神構造・ジレンマがあるのではないかという指摘です。

データで見ても、過去10年間で月例賃金の引き下げを一度もしなかった企業ほど、最近でも賃上げをしない傾向が指摘されています。一方で、いま賃上げをしている企業は、以前に賃下げをした企業が多い。このように、賃金水準を守る努力をしてきた企業ほど、賃上げに踏ん切りがつかないという面があるという分析は、労働組合に与える示唆も大きいと思います。

要求しないと賃金は上がらない

では、こうした心理的な制約がある場合に、どのように対処すべきでしょうか。月例賃金の減額よりも、一時金の減額の方が、労働者の心理的抵抗は弱いようです。そのため、現下の人手不足での労働者のがんばりには、まずは一時金で応えていく。将来的に業績が悪化したら、一時金を減額する。そのように、月例賃金より一時金にメリハリをつけてもいいのではないでしょうか。

1980年代まで日本企業は、労使の信頼関係を前提に一時金の額に柔軟性を持たせてきました。苦しい時は我慢してもらうが、業績が伸びたら反映するという信頼関係です。しかし、労働組合の組織率もあって、そうした労使関係が衰退してきました。がんばった分を賃金に反映しないと労働者のモチベーションは上がりません。

賃金は需給関係によって左右はされますが、アダム・スミスの「神の見えざる手」によって自動的に上がったり下がったりするとは限りません。むしろ大事なのは「発言」です。労働組合に加入せず、「企業の内部留保は増えているのに賃金が上がらない」と、遠くから叫んでみても、誰かが賃金を上げてくれるわけではありません。労働組合が要求をしなければ賃金は上がりません。労働組合は、いまこそ発言(ボイス)を挙げるチャンスです。労働組合への期待と信頼を回復してほしいと思います。

高齢者と女性

賃金が上がらない背景には、高齢化の影響もあります。この10年間で労働市場の人手不足を補ってきたのは高齢者と女性でした。とりわけ、この両者は、増加する非正規雇用の重要な要因となってきました。

需要と供給の話で考えると、高齢者や女性は、若者や男性より賃金に応じて行動や変化をしやすいと言われています。高齢者や女性は、若者や男性より賃金の変化に敏感で、賃金を少し上げただけでも、労働者を一定程度確保できるという意味です。つまり、賃金の変化に敏感な高齢者や女性が人手不足を補ってくれたので、賃金をそれほど上げないでも企業は労働力を確保できたということです。

ただ、この観点からすると、労働参加を支えてきた団塊の世代が70代に入り始めることに加え、女性の就業率もいわゆる「M字カーブ」の底が上昇しているので、高齢者と女性の労働参加も収束傾向にあります。高齢者と女性の追加の労働参加が少なくなって、供給に限界が見えてくるとすれば、賃金が上昇する可能性があります。2019年や2020年あたりは一つのめどとして注目できるでしょう。

就職氷河期世代と能力開発

賃金が上がらないことで消費への影響が語られていますが、その点では消費が本来旺盛なはずの30~40代の消費が停滞していることも本の中で指摘してきました。40代前半の大学卒(大学院卒も含む)の男性の月給を2010年と2015年で比較すると、後者では平均して約2万3000円も低くなっていました。これは衝撃的な数字で、これだけ低くなれば、消費が回らないのも当然です。

いわゆる「就職氷河期世代」(30代後半から40代前半)は、就職できたとしても、若い頃に過酷な労働を強いられてきました。しかし、その中でスキルアップしたと自覚した人は限られていて、多くの人が退職や転職を余儀なくされました。一方で、たとえ会社に残っても、ボリュームゾーンである上の世代がつかえて昇進・昇格が難しく、就職氷河期世代は不遇な環境におかれてきました。これでは消費は増えません。経済を回すためには、就職氷河期世代を二度と作らないことは大切です。

その点、日本企業における能力開発が衰退していることが、賃上げにも影響していることも指摘しました。賃上げの対象になる人材を企業が育てていないということです。能力開発をしなければ、賃上げにもつながりません。一つの企業で対応するのが難しければ、企業の枠を超えて、業界や地域という単位で人材を育成する機運を高めていかないといけません。

賃上げへの共感

社会学には、「ストロングタイズ」と「ウィークタイズ」という概念があります。前者は長期間にわたって密な関係を築くもの。後者は、いつも一緒にはいないけれど、違いを認めつつ学び合う関係です。

日本の労働組合の場合、「ストロングタイズ」こそ、絆だと思っている節があります。たしかにそれで成功した時代もありましたが、いまはそれだけで成功する時代ではありません。むしろ、自分たちと違う状況の人たちと付かず離れずの関係の中で、学び合いながら、次のステップに進んでいく。そのような緩やかな絆を持つ社会でなければ、乗り越えられません。

私は、今後の働き方を展望する際に、「プロジェクト型雇用」がポイントになると思います。3年や5年といったスパンの中で、専門的な知識・スキルを持った人材がプロジェクトごとに集まる働き方です。このような働き方が広がれば、労使や働く人同士のコミュニケーションのあり方も「ウィークタイズ」が重視される方向へ変わっていきます。

多様性を重視するダイバーシティマネジメントの中でも、プリンシプル(原理・原則)を共有することは大切です。互いの違いを前提とし認め合いながらも、あることに関しては共通の行動原理に基づいて、つながっているということです。

労働組合は、何のために働く人たちが集まっているのか。単に組合員数を増やすだけではなく、共感してくれる人との信頼関係を増やすこと。そうした人たちと緩やかな関係をつくること。それが労働組合のエネルギーやパワーにつながっていくはずです。

賃上げに向けて、そのような共感をどのように生み出すのか。それは、労働組合の皆さんが考えてほしいと思います。

特集 2017.12「賃上げ」へ動く
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