特集2018.03

労働組合って何するところ?何をしている?連帯の気持ちを表現することから「ストライキのある風景」が戻ってくる

2018/03/15
日本で少ないストライキ。その現状をどう捉えたらいいだろうか。ストライキの歴史と機能を知ることで今後の展望を探る。
金子 良事 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

ストライキの機能:失われた祝祭

ストライキには大きく分けて二つの機能があります。一つは、「祝祭」としての機能。もう一つは、「交渉の最終手段」としての機能です。ストライキ権と呼ばれるものは、後者の機能のことを指します。労使協議が決裂して、しかるべき手続きに沿って実施される限定された権利のことです。

ストライキ権が法律として確立してきたということは、ストライキの際にどのような行為なら許されるかの範囲を明確にし、権利を「限定」したとも言えます。

逆説的ですが、ストライキが法認されていなかった戦前の日本ではもう少し広い形でストライキが認められる可能性がありました。もちろん戦前はストライキだけでなく、団結権や団体交渉権も法的に認められていません。しかし、司法省は1910年代にやむを得ないストライキに関しては実態的に認めるという判断をしており、現在では違法となる「山猫スト」のような所定の手続きを経ないで発生するストライキでさえも容認される可能性がありました。ただし、戦後、法的にストライキ権が認められたこととは決定的に異なる点があります。最大の違いは、戦後は今なおILOの勧告を無視し続けて労働基本権を制限されてきた公務労働を除けば、正当なストライキであれば損害賠償を受けなくなったことです。

1910年代は米騒動など、異議申し立てがさまざまな場所で起きた時代でした。そうした異議申し立ては交渉の最終手段という機能もありましたが、祝祭としての機能も持ち合わせていました。デモやストライキといったある種のイベントに参加することは、そのこと自体に祝祭としての機能があるのです。

高度経済成長を経て、石油危機をきっかけにストライキの発生件数は減少します。ストライキの祝祭としての機能も、そうした時代背景の中で忘れられていきました。

ストライキはなぜ減少したのか

ストライキがなぜ減少したのかについては、さまざまな議論があります。民間で象徴的なのは鉄鋼部門で、鉄鋼部門は1950年代までストライキをどんどん打っていましたが、労働組合は敗北を重ねました。それ以降、労働組合はストライキではなく、労使交渉を重ねることで労働条件を高める戦略を選びました。実際、鉄鋼各社は高い労働条件で応えました。

高度成長期にはストライキ数自体は増加しましたが、その一方でストライキが形骸化したとも言われています。春闘に伴って実施されるストライキも、どうしても生きるため、食べていくため、という切実さが失われました。豊かになったのですから当然です。

公務労働の世界でも、石油危機の直後の1975年の「スト権スト」が大きな転換点となりました。ストライキは東西冷戦下において、資本主義や資本家に対抗するための手段として労使交渉の枠組みにとどまらない機能を期待されることもありましたが、そのような役割ももはや期待されなくなります。政治ストは終焉に向かっていくのです。

「祝祭」機能の再発見

ストライキというと、会社を倒産させてでも追い詰めてやるべきだとか、ストライキは絶対にやるべきではないとか、両極端である必要はありません。実際にはその中間でいい。総評議長だった太田薫も、労使交渉ではギリギリまで粘って取れるところは取る、妥協するところは妥協するというスタンスで、会社をつぶすためのストライキではありませんでした。

ここ数年の反原発デモや安保法制反対デモなどを見ていると、デモやストライキの祝祭的機能が感覚的に思い出されている、あるいは再発見されていると言えるように思います。反原発デモの最中には、原発の入り口の前で盆踊りのように踊っている参加者がいました。それは交渉としての機能ではなく、祝祭としての機能が発揮されている場面だと思います。

最近話題になったストライキとしては、川崎臨港バスや相鉄、九州商船が実施したものがあります。当該労組の執行部にとっては、これらのストライキは交渉の最終手段でしょう。しかし、実際に行われたストライキの影響は、それだけにとどまらず、当該労使の交渉という範囲を超えて、他の労働者にも刺激を与えています。ストライキの勝敗は当該労使だけで決まるとは限りません。世間の評価も大きいのです。実際、川崎臨港バスのストライキは、単に自分たちの労働条件の改善を訴えるだけではなく、現在の勤務状態では安全なサービス提供が危ういことを社会的に訴えていました。

古い労働組合の中には争議団が発展して組織されたものもあります。既存の労働組合にとっても、こうした刺激を運動にうまく取り込んで、組織を盛り立てていくことは必要なことではないでしょうか。

ストライキのある風景

ただまず何よりも大事なことは闘っている労働者への支援の気持ちを表現することです。組織が先にあるのではありません。あくまでも労働者同士の連帯が先にあるのです。

古い労働組合の史料を整理していると、激励文に出合うことがあります。その文言は形式的な資本主義打倒というものもありますが、党派的な立場を超えて、闘う労働者を支援する気持ちにあふれています。例えば、仲間と昼ご飯を食べながら今闘っているストライキに共感する話題になったら、ネット署名を展開するのも当世風でいいですが、その場にいる仲間で声を掛け合って連名で、古風にその気持ちをつづって当該組合に激励の手紙を書くのも良いかもしれません。

春闘にしても、ここ数年は賃上げ要求の流れが生まれてきましたが、当初は要求すること自体に二の足を踏む組合も多く、要求のやり方がわからずに労政事務所に駆け込むところさえもありました。私が想像していたよりも事態は深刻でしたが、そこで多くの運動家は絶望しなかった。やがて、運動家たちの努力の結果、流れは変わり、今や要求すること自体に疑問を持つことは少なくなりました。それは当たり前かもしれませんが、大きな一歩、成果です。

ストライキにも同じことが起こるかもしれません。派遣村やその後の東日本大震災の後の反原発デモを経験した後、近年では、ストライキのニュースがネット上で取り上げられるようになり、ストへのまなざしも少しずつ変わりつつあるのではないかと感じています。「ストライキのある風景」が違和感のない形で戻ってきているかもしれません。あとはどうするかです。

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