「ロスジェネ世代」は「世代内格差」も意識すべし
先日、コンビニで衝動買いしてしまった本がある。『東京ウォーカー CLASSIC 1990's』(KADOKAWA)というムックだ。文字通り、情報誌『東京ウォーカー』の90年代総集編である。
買ってすぐに後悔した。中身はデート一色だった。レジャー施設にしろ、ショッピングにしろ、写真はすべてカップル。恋愛と消費が密接に結び付いていた時代だとも言える。
読んでいて恥ずかしくなったが、あの時代のことを思い出した。昭和49年生まれの私は「就職氷河期世代」「ロスジェネ世代」と呼ばれ、よく「ハシゴを外された世代」と評価される。ただ、同世代で集まると、「大人になるまでは人生は楽しかったよな」という話で盛り上がる。我々は「団塊ジュニア世代」「第二次ベビーブーマー」でもある。幼いころから楽しいものが次々に目の前に現れた。ファミコンにラジコン、プラモデルにチョロQ、バンドブームなどなど「ハマった」思い出は枚挙にいとまがない。「最後のマス」と呼ばれ、いまだに消費のターゲットにされ、高級プラモデル、復刻版ゲーム機、昔、はやった曲のベスト盤などを売り付けられる。前出の『東京ウォーカー』の復刻版もそうだ。
もっとも、成人する前後から社会の雲行きが怪しくなっていった。大学に合格して、アパートを探していたときに不動産屋の営業からは「人生、レールに乗ったようなものだね」と言われたが、そんな訳がないと思っていた。実際、その後すぐに「就職氷河期」が新語・流行語大賞で特別賞を受賞した。新規の大卒者の求人は絞られた。それ以上に苦戦したのが、高卒者の就職であることも忘れてはならない。私たちの世代まで、日本において若年層の雇用はほぼ問題とされてこなかった。就職しない層は「自己責任」とされてきた。「フリーター」も「自由な働き方」とされていた。しかし、学校と職業の移行に失敗する者が登場した。これは「自己責任」ではなく労働市場、就業構造の変化そのものだった。
なお、この「就職氷河期」「ロスジェネ」問題を論じる際に、注意すべき点がある。これはよく「世代間格差」として取り上げられる。それは間違っていないのだが、それだけでなく「世代内格差」が生まれたことにこそ、注目するべきである。
11年前に赤木智弘氏は『論座』(現在休刊)に『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。』を発表した。論争の起点となった論考である。その彼と昨年、参議院議員会館で行われた「働き方改革」を巡る院内集会で共演した。約10年という年月がたったが、年齢を重ねただけでロスジェネ世代の雇用・労動や生活の問題は何も解決されていないと彼は訴えた。
いつの間にか「中年フリーター」問題も顕在化した。「世代内格差」そのものである。今後、彼・彼女らは保護者の介護、さらには自分の老後の問題と直面する。
自己責任論で片付けてはいけない。「ロスジェネ」や「世代内格差」をなかったことにしてはいけない。格差をどう是正するか。いかに排除型社会から包摂型社会をめざすか。自分ごととして考えたい。