特集2021.03

社会貢献活動・ボランティアの10年「ボランティア元年」から26年
日本の社会貢献活動はどう変わったか

2021/03/15
阪神・淡路大震災、東日本大震災、そしてコロナ禍へ。日本のボランティアや社会貢献活動はどのように変化してきたのか。市民社会、企業、行政などの観点から読み解く。
仁平 典宏 東京大学准教授

実は広がっていない「ボランティア」

阪神・淡路大震災と東日本大震災。この二つの震災は、市民活動にどのような影響を与えたのでしょうか。

阪神・淡路大震災のあった1995年は、「ボランティア元年」と呼ばれています。その後の1998年、NPO法が成立します。法制化の動きは震災前からありましたが、震災を契機に法制化の動きが一気に進んだと言えます。

2011年の東日本大震災後にも同様の動きがありました。震災後に税制優遇などの法改正が実現しました。このように二度の震災は、法制度を大きく動かす契機になったと言えます。

一方、震災が日本の市民活動の構造にどう影響したかについては、実は定かではありません。各種調査から「ボランティア活動」「奉仕活動」の経験率の推移を調べました。1970年代から90年代にかけて、「ボランティア」「奉仕活動」の経験率は増えていますが、それ以降、2010年代にかけて、横ばいのまま増えていません。

「ボランティア」は、言説としても盛り上がっているとは言えません。朝日新聞の記事を調べると「ボランティア」という言葉は、1995年に突出して使われていますが、その後は減少傾向で、特に2010年代に入ってからはオリンピック関連を除くと低調な状態が続いています。

NPOについても似たようなものです。「NPO」が見出しに入った新聞記事数は、2003〜04年をピークに減り続けています。また、NPO法人の新規認証数も減っています。対前年度比の推移を見ると、2003〜04年度をピークにNPO法人の新規認証数は減少しており、2018年度にはマイナスになりました。

社会貢献活動や市民セクターは1995年を起点に広がってきたイメージがありますが、それを裏付けるデータを探すのは意外と難しいのです。そのことをまず確認しておきたいと思います。

企業の社会貢献活動は広がったか

次に企業における社会貢献活動の推移を見てみましょう。

日本企業の社会貢献活動意識が変化するきっかけになったのは、1985年のプラザ合意だといわれています。円高を背景に日本企業が生産拠点を海外に移す中、日本企業のビジネスのあり方に対する批判が高まりました。そこで経団連は1990年、経常利益や処分所得の1%を社会貢献に支出しようと提唱する「1%クラブ」を発足させました。

近年はどうでしょうか。ここ数年では、SDGsへの貢献などを企業情報として開示する企業が増えています。また、運用資産に占めるESG投資の割合も年々上昇しています。

ただ、企業がどこまで社会貢献活動に実態としてコミットメントしているかは分析が必要です。例えば、「1%クラブ」がまとめた企業の社会貢献活動の支出合計額の推移を見ると、支出が伸びているとは言えません。また、SDGsに関する情報開示も、従来の活動をSDGsにひも付けただけのものも少なくありません。その意味で企業は、投資の回収が見込めるところにお金を出すことはしても、社会課題の解決のために「身銭を切る」ことにはいまだ消極的だと思います。

投資の観点が重視されるNPO

行政の変化も見ていきましょう。2000年の介護保険を端緒に、行政サービスの提供に民間がかかわる余地が広がりました。ただし、その動きは規制緩和の文脈で行われました。事業者同士を競争させて、受益者の満足度を最大化できそうなところを選んで受託させるというマーケットメカニズムが、介護や福祉の分野に持ち込まれたのです。

第二次安倍政権は、教育や子育てへの支出を拡大しましたが、それらの政策は「投資」的な要素が強いものでした。将来的に投資を回収できそうな分野には支出を増やすものの、投資のリターンが少ないと見られた高齢者福祉などの分野では抑制された項目が目立ちます。

こうした中で、NPOが行政サービスの担い手として事業を受託する動きが進んでいます。そこでのNPOの質的な変化に着目する必要があります。その変化を「NPOのビジネスライク化」と指摘する研究者もいます。

調査によると、日本でも過去10数年の間に、行政からの委託費の割合が増えたり、有料の研修や相談活動を行う団体が増える一方で、行政に対して要望書を提出したり、直接交渉したりするような政治的な活動は減る傾向にあります。

行政からの委託費の割合が増えると、NPOはその振る舞いを変化させる必要に迫られます。次年度の委託費を失うのを恐れて、行政と直接交渉するような政治的な活動を避けるインセンティブが働くのです。

その一方で、NPOは、どうしたらもっと寄付を集められるか、見栄えのいい助成金の申請書をどうつくるか──などの目に見えるアウトカムが求められるようになります。そこでは、投資の観点が重視されるため、活動内容やその結果を評価し、数値化する動きも進んでいます。

もちろん、事業収入の増大は、活動を大きくしたり雇用を作る上で有効です。しかし多くの委託事業は時限的なため、そこで生まれた雇用も不安定なものになりがちです。これはNPOにおける「やりがい搾取」の背景にもなっています。

マーケットの論理にあらがう

整理すると、二度の震災を経て市民活動の法的整備は進みましたが、同時に、市民社会や行政の分野に、マーケットの論理が流れ込むことで質的な変容も強いられてきました。NPOなどの市民活動も、その「費用対効果」を高く見せないと、活動が維持できないという圧力にさらされるようになっています。

投資というレトリックは、保守的な納税者からも支持を得やすい一方、投資価値を図るためにあらゆることを数値化しようとします。その結果、数値化のための手続きが煩雑になったり、数値化できないものが切り捨てられたりしていきます。教育や福祉のような社会的な活動を貨幣価値に換算しようとしても、それだけでは測りきれないものがあります。マーケットの論理に抵抗するためには、そのことを労働の現場から愚直に訴え続ける必要があります。

共助を排外主義にしないために

コロナ禍で、失業した人などへの共感が広がったことはあると思います。しかしそれは、コロナ禍が多くの人に影響を及ぼしたからこそ、「自己責任ではない人」が多く見えただけで、「自己責任に見えない人は救済するが、自己責任に見える人は救済しない」というフレームワーク自体は変わっていません。

私が懸念しているのが、コロナ禍で、自分たちの集団を守るためには誰かを排除するのも仕方がないという論理が、ある程度の正しさをもって受け止められるようになってしまったことです。人々は危機に直面すると過剰に防衛的になります。歴史を見ても、人々は余裕がなくなると他者を切り捨ててきました。共助の力を仲間だけを助ける排外主義ではなく、他者とつながる力に変えていくためには、ベースとしてのセーフティーネットが重要です。人々は、「今日も生きていける」という安心感があってこそ、次の行動を考えることができます。「共助」が排外主義につながらないようにするためにも、人々の不安を解消する「公助」そして「社会権」の保障が求められているのだと思います。

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