ジェンダー平等に向けてビジョンを共有する
職場で、労働組合で、何をめざすのか電話交換手はなぜ
「女性の仕事」になったのか
性別職務分離を考える
グローバル地域文化学部准教授
相対化する視点
電話交換手の研究を始めたきっかけの一つは、学生時代の経験でした。アルバイト先のコールセンターでは、オペレーターのほとんどが女性で、管理職は年配の男性でした。テレフォンオペレーターはなぜ女性ばかりなのか。そんな疑問を研究につなげることができたのは、状況を相対化する視点を持っていたからだと思います。私の場合、研究対象であるドイツという地域と過去への関心が、相対化のために役立ちました。
西ドイツでは1950年代ごろまでは性別役割分業が根強く残る社会でしたが、時代とともに変化していきます。私が留学した1990年代には、ドイツでは男性の育児参加は当たり前になっていました。これはつまり、男女の分業構造は普遍的ではなく、歴史の中で流動的に変化していくということです。
家庭の分業構造が普遍的でないのであれば、職場も同じはずです。日本もドイツも電話交換手はそもそも男性の仕事でした。ただ、電話交換手がなぜ女性の仕事になったのかを知るためには、電話に先行する情報通信技術である電信を扱う人についても知る必要がありました。
モールス符号を扱う電信は、軍用として活用され、男性との結び付きが強い技術でした。電信に続き、電話技術が開発されると、当初は男性が交換手を務めます。その後、電話が普及し、民間でも活用されるようになると、電信技手は男性の仕事、電話交換手は女性の仕事というように性別職務分離が明確になりました。
後付けされた「適性」
なぜそのような性別職務分離が起きたのでしょうか。当時の資料を読むと性別職務分離に合わせて、さまざまな言説が唱えられるようになったことがわかります。例えば、電話交換手に女性が向いているのは、「女性の方が声が高いから聞こえやすい」「男性だと利用者とけんかになってしまう」「女性の方が感情をコントロールできるから」。一方、電信については、「電信は電話と違って熟練を要する」「迅速、正確、協力が求められるので、男性の方が向いているから」など、仕事の適性にまつわる言説が出てくるようになりました。しかし、これらの理由は当時の社会構造などを背景にして後付け的に出てきたものでした。
政府や公社は、限られた予算の中で電話サービスを普及させる必要がありました。電話の場合、利用者と直接コミュニケーションする場面があり、そこをおろそかにすると利用者が満足しません。そうした問題に対処するために注目されたのが、育ちの良い「ミドルクラス」の未婚女性です。こうした女性たちに開かれた職業は教師や看護師などと限られていました。ドイツでは、女性たちが雇用機会や教育訓練の拡充を求める運動を起こした結果、新しい職業の電話交換手が女性の仕事として定着していきました。
一方、日本で創世記に電話交換手の担い手となったのは、旧士族など高い社会階層の娘たちでした。時代の変化と経済的な理由から働く必要のあった彼女たちは、一定の教育を受け、高い文化資本を有しているものの低賃金で使える労働者として活用されました。当時は、男の職場に未婚の女性が入っていくことがタブー視され、女性の就労経験が限られていた時代でした。その中で、電話交換手という職業が女性の就労の可能性を広げたことの意味は大きいと思っています。
女性の職場になったことで、電話交換手の労働環境は、他の仕事に先駆けて整備されていったことは事実です。生理休暇や育児休業はその一つです。
ただし、男性と女性の仕事があらかじめ分離し、そこに処遇の違いが張り付いてしまう問題も生じました。その分離の根拠になっているのが、先ほど挙げたような「適性」です。しかし、それらの適性はあくまで、当時の社会構造などを背景に後付けされたもの。性差によるものではありません。そうした適性を、あたかも事実であるかのように扱い、処遇を分けていくことには問題があります。
現在でも、女性や若年男性、エスニックマイノリティーの多くは低賃金で不安定雇用です。例えば、ケア労働。女性なら気配りや世話が得意だからケア労働に向いているとされています。しかし、その適性を所与のものとし、後天的に獲得されたものではないと捉えているからこそ、高い賃金を払う必要がないという発想になります。なぜ、性別職務分離が生じているのか、そこにある社会・経済的な構造や歴史的な背景を分析することが重要です。
多様化がプラスの変化に
他方、ドイツと比べて電信の自動化が進んでいなかった戦前の日本では、職人技を要する電信技手は「男性の仕事」となり、女性は少数派でした。「男の職場」の中で女性が働き続けるのは難しかったのは事実です。男性ばかりの職場では、同調圧力が強い、独特の職場文化が発達し、その環境に過剰に適応しないと生き残っていけなかったからです。
一方、男性ばかりの職場は労災の多い職場環境を生み出しました。女性を排除する構造が男性にも無理を強いていたのです。
こうした歴史を振り返ると、職場に多様な人材が増えていくと、それまで当たり前だった働き方も変わっていくことがわかります。意識的に、多様な人材のニーズを集め、反映させていくことで、職場は改善していきます。多様化がプラスの変化につながるのではないか。それここそが、歴史研究をして得た一つの到達点といえます。