社会保障の論点
安心して暮らし働ける社会を実現するには?社会保障を巡る軸はどこに?
「減税より給付」「成長から自由になれる社会」を
与党と同じことを言う立憲
岸田首相が野党寄りの政策を打ち出したことで「政治の争点が見えづらくなった」と言われますが、そもそも、岸田首相のやっていることは安倍政権と同じです。安倍政権は最低賃金を大きく引き上げましたし、幼保の無償化や保育士・介護士の賃上げを実現しました。「成長と分配の好循環」というフレーズは安倍政権も使っていました。
その岸田政権と違いを示すことができなかったのが立憲民主党です。昨年の衆議院議員選挙で立憲民主党が訴えたのは、「分配なくして成長なし」でした。争点が見えづらいどころか岸田首相と同じことを言っています。与党と同じフレーズを使って選挙を戦う野党第一党って一体何でしょう。
消費税減税の限界
「分配なくして成長なし」という考え方は結局、「成長しなければならない」という考え方から抜け出せていません。
昨年の衆院選で野党がこぞって訴えた消費税減税にもそのことがよく表れています。要するに消費税減税とは「お金を渡すからあとは自己責任で生きてくださいね」という社会観です。減税してお金を渡せば消費が増え、経済が成長する。こうした経済成長至上主義的な考え方にこそ一番の問題があるのに、立憲民主党は自民党政権と同じことを言っているのです。
現実的に、経済成長を前提にした社会モデルは限界を迎えています。バブル崩壊後の日本の平均経済成長率は0.9%。他の先進国でも1.3%か、よくても1.5%に過ぎません。この現実に根差した政策を掲げなければいけません。
消費税減税にどのような効果があるでしょうか。例えば、消費税を5%減税したとしましょう。全世帯を五つの所得階層に分けた場合、低所得層では年間約8万円、月額にすると約6500円戻ってくる計算になります。しかし、考えてみてください。低所得層の人はこの金額で安心して暮らせるようになるでしょうか。
逆に言うと、消費をたくさんする富裕層には年間23万円が戻る計算になります。消費税を減税しても、広く薄くしかお金は戻りません。しかも貧しい人に少なく、豊かな人に多くのお金が戻ります。そんなことを言ってなぜ選挙に勝てると思うのか、ぼくには理解できません。
給付のインパクト
消費税を5%減税するくらいなら、そこにかかる約14兆円のお金を給付として利用した方がはるかに大きいインパクトをもたらします。
例えば、生活困窮層に月額2万円の住宅手当を支給する。加えて、失業者に月額5万円の生活手当を支給する。これで年間84万円の手当を受け取れます。
さらに、中間層・富裕層も含めて、現物のサービス給付を充実する。大学の授業料や介護・障害福祉サービスを無償化し、医療費の自己負担を3割から2割へ引き下げる。これらのすべてを実現しても、かかるお金は約14兆円です。
これを消費税5%減税と比べてみてください。低所得層が受け取る現金は明らかに増え、中間層も大学無償化などをはじめサービスを受け取っています。減税よりはるかに効果があります。
なぜこういうことが可能なのか。例えば、幼稚園の利用料が無償化されても大人が入り直すようなことはしません。元気な人が医療や介護サービスを利用するようなこともありません。要するに、現物給付のサービスは、必要な人しか使いません。だから安上がりで済むのです。
これに対して、消費減税やベーシック・インカムは全員にお金を配らないといけません。だから予算が膨らむし、薄くしかばらまけません。10万円の特別給付金を見ても、13兆円の予算で、1人10万円を配ることしかできませんでした。ベーシック・インカムの限界が見えた事例だったのではないでしょうか。ぼくが、ベーシック・インカムよりもベーシック・サービスを訴えるのはそのためです。
成長から自由な社会をつくる
減税したら勝てるというのは、根拠がなく、あてにもならない「政治家の勘」ではないでしょうか。実際、減税を訴えても野党は国政選挙で負け続けています。
政府からのサービス給付を増やすことで、広い意味での賃金を増やすという発想が大事です。例えば、大学の在学費用400万円が無料になれば、労働者はその分を広い意味での賃金として受け取っているのです。「減税より給付を」。これが政治の大きな争点です。
私がもし政治家なら「成長から自由な社会をつくる」と訴えます。成長しなければ生きていけない社会を終わらせるとはっきり打ち出すべきです。
そのために、ひとまず14兆円の規模で現物給付のサービスを充実させる。「給付先行、財源後攻」の考え方で、サービスをまず充実させ、そのあとで財政均衡に関する議論をパッケージで提案し、段階的にでも消費税を上げていく。最近の政治家は、ばらまくことばかり公約に掲げますが、財源の議論をすることは信頼感につながるはずです。
大切なのは、こうした「ベーシック・サービス」は、格差是正や経済成長のために行うのではない、ということです。「ベーシック・サービス」は、すべての人の医療や教育、介護などへのアクセス権、つまりすべての人の権利を保障します。この点が大事です。すべての人の権利を保障すれば、経済成長がついてきますし、格差も小さくなりますが、それはあくまで結果にすぎないのです。
そして、それを保守主義者にも届く言葉で語る必要があります。保守主義者は「権利を主張する前に義務を果たすべき」と訴えます。そこでぼくたちは、「義務を果たすために権利が保障されていなければいけない」と訴えるべきです。大事なのは、相手に響く言葉で伝えることです。
あるべき姿を手放さない
日本経済は、デフレ脱却と緩やかなインフレを目標にしてきました。物価の安さが日本経済衰退の要因だったはずです。物価が上がる段階では、労働組合の賃上げ要求が重要です。物価が上がったからといってすぐに政府に頼るのはおかしな話ですし、何でも減税に結び付けるのも論理的ではありません。
物価が上がり、それに伴い所得が増えれば、税収も増えます。その際、政府がしておくべきことは、所得増が税収増に結び付くようにするため、所得税や法人税の累進性を回復しておくことです。
既存の経済政策や福祉国家の枠組みが通用しない時代になると、政治は何をすればよいかわからなくなり、ばらまきが始まります。ばらまいても大丈夫だという理屈がつくられ、未来の正義ではなく、目先の利益が優先されるようになります。
コロナ禍では、あるべきセーフティーネットが日本社会にないことが明らかになりました。大切なのは、そうした暮らしを支える制度を整えることです。それがあれば、環境の変化にも持ちこたえられる社会になります。あるべき社会の姿をしっかり見定めなければいけません。