特集2022.04

社会保障の論点
安心して暮らし働ける社会を実現するには?
「自由と自立」がキーワード
アメリカの社会保障制度から学ぶことは?

2022/04/13
「小さい政府」「低福祉国」「自己責任社会」というイメージがあるアメリカ。ただ実態はそうとも言い切れない。アメリカの社会保障から学べることとは?
吉田 健三 青山学院大学教授

自己責任の国ではない?

アメリカは、「小さい政府」「低福祉国」「自己責任社会」と断じられがちですが、そうとも言い切れません。

確かに、アメリカには、日本の国民皆保険制度のような医療保障制度がありません。公的な医療保障の対象は高齢者や障害者、低所得者などに限定されており、その点で見れば、公的な保障が行き届いているとは言えません。

また、アメリカの憲法には生存権の概念はなく、日本でいう生活保護制度もありません。「自己責任の国」らしい特徴の一つと言えるかもしれません。

しかし、低所得者向けの扶助制度がないわけではありません。例えば、企業の提供する保険などに入っていない無保険の人は、「メディケイド」という医療扶助が受けられます。高齢者や障害者などを対象にしたSSIと呼ばれる補足的所得保障制度もあります。州によってはそれへの上乗せがあります。日本の生活保護利用者のうち半数が高齢者で、残りの半数が障害のある人なので、SSIは実質的な生活保護制度ともいえます。その金額は最低限のものですがその補足率は、日本の低い生活保護制度の捕捉率に比べると、高いといわれています。

一方、年金の分野では、稼得者全体をカバーする一元化された公的年金制度が存在します。日本のように国民年金と厚生年金とに制度が分かれておらず、自営業者も雇用労働者も同じ制度を利用します。その保険料は社会保障税として内国歳入庁が徴収しており、支払いを免れるのは脱税と同じくらい困難です。

年金の支給額では、現役世代時の所得のうち何割くらいを年金でもらえるかという所得代替率で日米を比較すると、アメリカの方が高いというデータもあり、年金制度の比較ではアメリカの方がしっかりしている部分もあると言って差し支えありません。

このほか、アメリカには、子ども向けの医療保険制度やフードスタンプのような現物支給の生活保障制度があります。さらには、アメリカは寄付文化が盛んで、NGOやNPO、ボランティアの活動が活発です。

このように、アメリカには生活保護制度はなくても、網の目のようなセーフティーネットがあります。コミュニティーに支えられ、こうした制度をうまく利用したり、なんとか暮らしている人たちがいます。「アメリカ=低福祉の国・自己責任の社会」と言い切ってしまうことには反対です。

小さい政府ではない?

アメリカには、「政府に頼ることはよくない」という価値観はありますが、慈善や助け合いの意識は強くあります。それらの主体が政府ではないだけ、とも言えます。

政府の大きさを議論する際に出てくる数字が「国民負担率」です。アメリカのそれは日本より確かに小さいです。しかし、アメリカの場合、公的保険以外の医療費がそこに含まれておらず、私的部門の支出としてカウントされています。また、アメリカも高齢化が進んでいるとはいえ、そのペースは日本よりも緩やかです。

こうした事情を加味すれば、年金や医療についてアメリカの「国民負担率」は低いとは言えません。私的部門の医療費を加えれば、むしろ世界で一番医療費の支出が高い国です。公的機関からサービスを受け取るのか、私的な機関から受け取るのかの違いであって、多くの国民にとって自らの生活にかかるお金が大きく変わるわけではありません。サービスの受け取り方の違いとも言えます。

アメリカは、日本よりも国土が広く、人口は日本の2.5倍以上であり、多様な人種の人が暮らす移民国家です。国レベルで一元化した社会保険制度を持つことの難しさはあります。感覚的には、一つの国の中に別の国があるようなもので、国際援助のような感覚で社会保障制度が存在しているとも感じます。

アメリカで格差や貧困が広がっている背景は、社会保障制度の不備というより、労働市場により大きな要因があるのではないかと思います。

自由と自立を守るための制度

アメリカでは、1990年代後半以降、福祉制度の受給期間に上限が設けられたり、就労を受給条件にする「ワーク・フェア」政策が強化されたりして、福祉予算が削減されてきました。その結果、福祉受給者が制度を利用するために何時間もかけて働きに出るような非効率な働き方をしなければいけない事例も増えました。

ただし、こうした変化を日本的な「自己責任」の原理として理解するのには違和感があります。もちろんアメリカでも福祉バッシングは盛んですが、著名人個人や家族の受給歴や不正受給に熱狂する社会ではないという印象です。

アメリカでは、プログラムをつくったからには、それが役割をきちんと果たしているかを評価するためのレビューが行われる一方、日本では制度があっても利用率が低いということが少なくありません。制度を利用することに対する個人のスティグマは、日本の方が強いのではないかとさえ感じます。

「自己責任」という言葉は、日本的な単語だと感じます。日本において「自立」や「自助」を促すより「皆と同じことをしていないから、バッシングされても仕方がない」という同調圧力から広がったようにも感じています。

アメリカを「自己責任の国」と決めつけてしまうのも良くないと思います。アメリカには、人々の自由と自立を守ろうという社会的合意があります。そのため、社会保障の設計図も、人々が自由で自立して生きていけるようにしようとする意思を感じます。日本がアメリカを参考にすることがあるとすれば、こうした点にあるのではないでしょうか。

日本への示唆は?

アメリカの社会保障制度から日本は何を学べるでしょうか。まずアメリカは、実際はそんなに「小さな政府」ではないと知ることが大切です。小さく見えるのは、私的な医療費がカウントされていないのと、日本より高齢化が進んでいないからです。

日本は今後も少子高齢化が進むので、今の制度を維持するだけでも社会保障費は膨らんでいきます。少なくとも今から「小さい政府」をめざすのは難しいでしょう。問われるのは、どれだけ増やすのかだと思います。

そして、財政の大小よりもさらに重要な論点は、支出の中身や予算管理については原則的な議論だと考えています。支払った税金や社会保険料がどのような考えでどう使われているのか。アメリカでは、「タックス・ペイヤー」という意識が強く、税などを支払ったからには、それをきちんとチェックし、機能させようとする意思が働きます。一方、日本では、制度が複雑でわかりづらく、専門家でも理解が難しい仕組みになっています。今後、就職氷河期世代が高齢化し、社会保障制度のほころびが露呈する中で、人々の生活をどう支えるのか、自立と分配のバランスがあらためて問い直されます。税や社会保険料をどう使うのか。原理原則に立ち返った議論が必要なのではないかと感じています。

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