特集2022.08-09

「危機」に流されず
「平和」の視点を持ち続ける
ウクライナの一人ひとりの声を伝える
平和のためにできることとは?

2022/08/17
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から半年が過ぎようとしている。ウクライナの人たちの暮らしはどうなっているのだろうか。日本の私たちには平和のために何ができるだろうか。5月にウクライナを訪問取材した安田菜津紀さんに聞いた。
安田 菜津紀 認定NPO法人
Dialogue for People副代表/
フォトジャーナリスト
カリナさんとお孫さん。ウクライナ南西部ザカルパッチャ州の避難施設で

ウクライナの人々の過酷な体験

──ウクライナの訪問取材を通じて、どんなことを感じましたか?

キーウのほか、郊外のブチャやイルピンなど激しい戦闘があった地域も取材しました。破壊の爪痕が生々しく残る現場で、ご家族を亡くされた方たちがその体験を必死に伝えてくれました。思い出すことさえつらく、しんどい状況にもかかわらず、懸命に思いを伝えてくださる方々に思いを託されたような感覚でした。メディアとしてこの思いをどう伝えるのか、とても考えました。

──どんな話があったでしょうか。

ブチャに暮らしていたカリナさんは、夫婦ともに退職して平穏な老後生活を送ろうとしていたときに軍事侵攻に直面しました。夫と近所の人と連れ立って車2台で避難しようとしたところ、ロシア軍のものすごい銃撃に見舞われ、夫はその場で亡くなってしまい、カリナさん自身も肩や腕に深い傷を負いました。

それでもカリナさんは生き延びるために、血だらけで倒れた夫をその場に残して身を隠すしかありませんでした。夫の遺体は一時的に集団埋葬され、その後、掘り返された際に持っていた身分証で身元がわかり、墓地に改めて埋葬されたといいます。こうした過酷な記憶を私たちに懸命に伝えてくれました。

カリナさんにも後遺症が残り、幼い孫を抱き上げることもできなくなってしまいました。お孫さんにどんな未来を残したいですかと伺うと、「平和な空の下に生きてほしい。平和な空さえあればきっと幸せに生きられるはずだから」と話してくれたことがとても印象的でした。

──人々の心の傷は深いですね。

子どもたちへの影響を心配する声もたくさん聞きました。ドアを閉める音や教会の鐘の音におびえる子もいます。取材を手伝ってくれた女性は、ロシア軍の兵士が自分の家に押しかけてくる夢を見ると話してくれました。

取材では心理カウンセラーの方にもお話を伺いました。自分の居場所だと思えない場所に追いやられると、人々の心のケアには余計に時間がかかると指摘していました。国内外に数多くの人が避難する中で、心のケアにとても長い時間がかかるだろうと感じました。

──市民生活の様子はどうだったでしょうか。

私たちが訪れた5月中旬のキーウは、ロシア軍が撤退し、日常生活を取り戻しつつありました。1日に何度か防空サイレンが鳴ることはあっても人々はそれに慣れてしまっているようでした。

生活面では、ガソリン不足や、物価と家賃の高騰が市民生活を圧迫していました。ウクライナ南西部の地域では、戦闘の激しい東部地域からたくさんの人が避難してきたことで家賃が高騰し、避難所からなかなか出られないという状況がありました。

他方、市内では地下鉄の入り口に土のうが積んであったり、交通制限がされていたり。テレビは、戦況やそれを分析するコメンテーターの解説でほぼ一色でした。街の中にある墓地がじわじわと広がっていくことを目の当たりにしました。一見すると人々は日常生活を取り戻しているようで、戦時下の国に生きていました。

ザカルパッチャ州ウズホロドの避難所に身を寄せるロマのご家族

戦争と社会

──どんなことに焦点を当てて取材をされたのでしょうか。

これまでの中東などでの取材経験から、紛争や自然災害が起きると、その社会でもともと弱い立場に置かれた人たちがさらに弱い立場に追いやられていく状況を見てきました。

今回のウクライナ危機で、どのような人たちの声が取りこぼされているかを考えました。その中には、少数民族であるロマの人たちがいました。ロマの人たちは歴史的に各地で迫害や差別を受けてきた民族で、ナチスドイツ時代には絶滅政策の矛先を向けられた人たちでもあります。

ロマの人たちへの差別や偏見は現在も残っています。今回も、ロマの人たちが避難する過程で、シェルターに入ることを拒否されたという出来事があったようです。シェルターに入れず、凍えながら一夜を過ごしたという人もいました。

弱い立場に置かれた人たちがさらに追い込まれないようにするためには、メディアがその声を届けなければいけません。メディアの役割が問われる場面だと感じました。

──性暴力の被害もあると報道されています。

性暴力に関しては戦時下でなくても、もともと声を上げにくい実態があり、戦争になるとさらに声を上げづらくなります。実態解明に向けてメディアが継続的に取り上げる必要があります。

性暴力が戦時下で偶発的に起きたという伝え方には注意が必要です。他の地域の紛争でもそうですが、相手を服従させる武器として性暴力が意図的に使われている実態があります。こうした非人道的な行為を決して許してはいけません。

日本の私たちと戦争

──多くの人が戦禍を逃れて国内外に避難しています。避難することの難しさを改めて感じました。

日本のような安全な場所にいると、「逃げる」ということを簡単に考えがちですが、逃げるといっても、そこには生活や人間関係のすべてがあって、それを簡単に切り離して身一つで逃げるということは本当に困難です。その中で移動手段にとぼしかったり、高齢や障害などの理由で逃げたくても逃げられないという人たちもいます。難民の人たちが直面する困難に目を向けてほしいと思います。

──日本人の多くはすでに戦争体験がありません。そうした人たちに戦争の実相を伝えるためにどのような工夫をしているでしょうか。

日本にも戦争や迫害から避難してきた人たちがいます。ウクライナだけではなく、シリアやミャンマー、アフガニスタンから逃れてきた人が暮らしています。日本社会には、戦争を体験していない人だけが生きているわけではありません。戦争は、日本社会にもかかわる問題だと気付いてもらいたいです。

とりわけ日本は難民受け入れ人数が非常に限られています。日本が平和な国であることをうたうならば、戦争や迫害から逃れてきた人たちの命を踏みにじらない国になってほしいと願います。

日本政府は、ウクライナからの避難民を積極的に受け入れています。この支援を一過性のもので終わらせないこと、さらにはウクライナからだけではなく、その他の国々から逃れてきた人たちへの支援を強めていくことが大切です。

難民として逃れてきた人の中には、自分だけ安全な場所に避難していることへの負い目を感じる人もいます。それに対して、「ここにいてくれてありがとう」という言葉が心の支えになったと話してくれた人がいました。言語の習得や就労のサポートなどを含めて、長期的に支援することが欠かせません。

──日本政府のこれまでの対応は十分だったでしょうか。

ロシアの侵攻が始まったころ、シリアの友人たちと連絡を取り合いました。友人の一人は、ロシアがウクライナで行っている市民の殺害は、シリアで11年間ロシア軍が繰り返してきたと言いました。それなのに、世界はどこまでシリアの出来事に関心を向けていたのか、ウクライナ侵攻と同じようにロシアを非難したのかと言いました。世界がロシアの行動に歯止めをかけられなかったという反省は確実にあると思います。

とりわけ日本はロシアに対してどのような態度を取ってきたでしょうか。2016年に日ロ首脳会談が日本で開催されました。当時ロシアはすでにクリミア半島を一方的に併合し、シリアではアサド政権の後ろ盾になり市民への無差別爆撃を行っていました。

今でも強く印象に残っていますが、その会談でラブロフ首相(当時)が、「シリア問題に関して日ロ両国の立場は一致している」と発表しました。日本側からこの発言を強く否定した形跡はありません。シリアで多くの命が不当に奪われているさなかに、ロシアの行動にお墨付きを与えるのかと本当に悔しい思いをしたのを覚えています。日本のこうした行動もロシアの軍事行動の肥大化させた要因になったと思います。

平和のためにできること

──どのような視点で発信を続けていきますか?

被災地報道も同じですが、時間が経過すると、主語の対象がどんどん大きくなっていきます。主語が一人ひとりの名前から国や政治の話のように大きくなり、個人の体感や実感から離れていきます。そうならないために血の通った人間の話をしていかなければいけません。その重要性は、時間がたつほど増すと感じています。

すべての人が実際に現地に行くことはできません。だからこそ、メディアが声を上げてくれる一人ひとりの姿を伝え続けられるかが問われています。私の場合、読者の皆さんがその人に出会ったような感覚になってもらえるような工夫をしたいと考えています。

──日本の私たちが戦争反対の声を上げることにどのような意味があるでしょうか。

今回とても衝撃的だったのが、ポーランドに逃れた高校生が、ロシア在住の父親に「戦争が起きて大変だ。避難している」と伝えても、父親がそれをフェイクニュースだとして信じてくれなかったことでした。子どもの言うことを信じられないくらい強い情報統制が働くのだと驚きました。

メディアの統制が進み、人々が過度に同じ方向を向くようになると、政府が間違った方向へ進んでしまった際、歯止めをかけられなくなります。武力行使にノーを突き付けるだけでなく、その手前で火種になるものを一つずつ摘んでいくことがとても大切なのだと思います。

特に今のような不安や恐怖が渦巻く状況では、権力を持つ側は、安全という言葉で社会の統制を強めようとします。自由がじわじわと削られた結果、社会が同じ方向ばかり向くようになると歯止めの力が弱くなっていきます。そうならないように身近な出来事から声を上げることには大きな意味があると思います。

──平和のために私たちに何ができるでしょうか。

今回、シリアの難民キャンプも取材しました。40度を超えるような過酷な気候の大地の上で、テントだけで生活している人が何十万人もいます。その中の一人は、「私たちの置かれた状況はなぜウクライナほどに関心が寄せられないのでしょうか。肌や瞳の色が違うからでしょうか。信じる宗教が異なるからでしょうか」と話してくれました。本当に忘れられません。

パレスチナの友人とも連絡を取り合っていますが、その友人は「ロシアの侵攻に抵抗するウクライナは称賛されるが、私たちが占領に対して抵抗するとテロリストや犯罪者だと呼ばれる。これは不条理だ」と訴えていました。

情報や報道の格差がそのまま支援の格差になり、命の格差につながっています。ウクライナの出来事に心を痛めるのならば、同じような状況に置かれている人に対しても、心をきっと寄せることができるはずです。

世界にはたくさんの問題があり、そのすべてに全力を向けることはできません。取材をしてきた一人としては、心の片隅にでもそうした人たちがいることをとどめてほしいと感じています。一人の人間ができることは限られていますが、決して無力ではありません。少しずつ声を持ち合っていければ、社会を変えていくことができるはずです。

シリア北東部、ハサカ県内の国内避難民キャンプ
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