情報のシャワーを浴びて
情報感度を鍛えよ
ウエブメディアで原稿を書くようになってから今年で17年になる。書いた記事がヤフトピをとったこともあれば、全国紙の論壇時評で好意的に紹介されたこともある。一方で、炎上騒ぎも何度も起こしてきた。明らかに私に非があることもあった。しかし、多くの場合は編集部がつけたあおり気味の見出しによるものだ。これがSNSで拡散し、記事をちゃんと読まない人にたたかれる。中には、自身の問題関心と重なる記事を探して(攻撃対象を探すとも言う)、見つけては攻撃する人もいる。炎上に飢えている人、求めている人が一定数いることも事実だ。いずれにせよ、「ちゃんと読めよ」と言いたくなる。読解力、常識、教養がない人を相手にしなくてはならない。これがウエブに文章を載せるリスクである。
ただ、この「見出し炎上」をあなたは批判できるだろうか。同じように見出しだけで状況を判断してしまっていないだろうか。見出しの内容や、与える印象は中身とズレていることがよくある。ウエブメディアだけでなく、全国紙でもこのようなことがあり得る。見出しにいつの間にか、踊らされている。
雇用や労働にかかわるニュース、関連した格差や貧困の問題などは炎上しやすい。しかも、問題の当事者に関していつものことではあるが、自己責任論が飛び出したり、する声が上がったりする。特に非正規雇用の労働者、生活保護受給者などに対しては心ない批判が飛びやすい。拡散するニュースは事実関係や認識が明らかに間違っているもの、視点が偏っているものも散見される。事実に基づいたものだとしても、その記事を媒介として誹謗中傷の連鎖が起きたりする。
最近のウエブメディアやプラットフォームにはAIが実装されている。閲覧履歴などから自分の興味関心にあった記事を提案してくれるのだが、これにより接する情報は偏ってしまう。個々人の考えに大きく影響を与える可能性がある。「ワンクリックでネトウヨになる」リスクは確かにある。
そのたびに「ネットリテラシーを身に付けよう」と叫ばれるが、そう簡単ではない。このようなメッセージを発するオピニオンリーダーも、時に誤解もミスリードもする。一方で、情報をシャットダウンするのも現実的ではない。私はむしろ、ネットリテラシーは情報のシャワーを浴びること、何度か間違うことで身に付くと考える。ネット炎上事件もよい教材だ。そこで高揚も絶望もせず、本当はどうだったのだろうと検証することで力が付く。
ネットリテラシーを身に付けるための簡単なコツは、誰が何を根拠に言っているのか確認すること、根拠となるデータ、ファクトを確認すること、複数のソースに接することだ。私は新聞を毎朝、8紙読んでいる。読み比べることで世の中が見えてくる。情報を取捨選択するセンスも磨かれる。
気になる分野については本を読むことを大事にしたい。あえてネットのスピードから離れ、「遅い情報」に接することにより、落ち着いて物事を考えられるようになる。
自分の力を高めるだけでは意味がない。誤解している人を見かけるたびに、本当はどうなのかを伝えることも、世の中全体のネットリテラシーを底上げする策となり得る。
ネットリテラシーはいきなり身に付くわけではない。失敗を繰り返しつつ、感度を高めたい。