数字でわかること、
わからないこと
故郷の札幌には天ぷら専門店がほぼない。200万人以上の都市なのに、インバウンド観光客も多数やってくるのに、札幌駅から大通公園、狸小路、すすきの方面に都心を進んでも、20店もないといわれている。数字だけ見ると、競合が少なく、ビジネスチャンスも大きいのではないかと思ってしまう。
ただ、現地に行ってみると印象がだいぶ変わる。天ぷら専門店はないものの、人々は和食やそばの店で天ぷらを食べている。北海道はなんせ、食材に恵まれている。天ぷらにするのではなく、生で食べたがる。数字だけで判断してはいけない。
就職氷河期世代対策が行われている。私もいくつかの自治体の事業に、セミナー講師や評議員としてかかわった。国がこの世代に注目したのは大きな一歩だが、正直、成果は芳しくない。ある県では、セミナーなどへの動員に苦戦した。「求人があるのに、応募しないのは甘えではないか?」という疑問、批判もあることだろう。ただ、ずっと非正規雇用で働いてきた人にとって、正社員への応募は不安がつきまとうのである。そして、人材を募集している企業の顔ぶれや仕事内容も必ずしも魅力的ではなかった。
フィールドワーク、聞き取り調査などで当事者にインタビューをすると、予想に反する答えが返ってくることがある。例えば、店長に頼み込まれ週5日アルバイトしている学生などは、明らかにシフトハラスメント、ブラックバイトの被害者だと思っていたのだが、インタビューをしてみると「これが普通だから」「シフトが多いとは感じない」などという。奨学金のためにアルバイトをしており、普段の学生生活も決して楽ではないはずなのだが、そこについて疑問を感じず、これが当たり前だと思っている。問題の当事者による問題性の否定ともいえる現象が起こる。もちろん「本人が問題じゃないと言っているならいいじゃないか」と片付けてはいけない。ややこしい日本語になるが、問題がある状態を、当事者が認識していないというのもまた問題なのだ。
「エビデンス」という言葉が、ビジネス上の会話でもよく使われるようになった。最近では、データサイエンスに注目が集まり、数字から意外な事実を明らかにすることも可能になった。これにより、これまでの思い込みを打破し、根本的な解決策が見つかるようになった。あらゆる部門、職種において成果の定量化の模索も進んでいる。根拠もなく物事を論じるのはおかしい。冷たい数字から熱い事実が見つかることもあるだろう。
一方で、数字だけに固執すると見えないものもある。定量と定性は両輪だ。数字の向こう側は実態を観察しなくてはわからないこともある。
この視点は労働組合運動にも生かせることである。なぜ、残業は減らないのか。なぜ、現場は疲弊しているのか。なぜ、男性の育休取得は進まないのか。データとのにらめっこもいいが、現場に行き、働く人を観察し、状況を聞いてみる。きっと何かが見えるはずだ。