「吉川さおり」の政策浸透へ
組織内外から応援メッセージエコノミストの視点から見た
物価高対策
求められる賃上げのあり方とは?

研究顧問
──近年の物価上昇の要因をどう捉えればよいでしょうか。
まずコロナ禍からの世界的な景気回復が背景にあります。アメリカや中国、EUは、日本よりも早く新型コロナウイルスによる景気後退から回復し始めました。それにより、エネルギーや穀物価格が上昇し始め、ロシアによるウクライナ侵攻がその動きを加速させました。
日本より早く回復したアメリカやEUは、物価上昇に対して金融引き締め策を取ったため、低金利政策を継続した日本との間に金利差が生まれ、それが円安を招いて輸入物価の上昇に伴う物価高につながりました。その後、日本も国内景気が回復し、国内要因の物価上昇も起きるようになりました。
ただ、物価上昇に対する国内要因は限定的だといえます。企業物価指数における輸入物価指数を円ベースと契約通貨ベースで見ると、円ベースの方が高くなっています。これは円安の影響で輸入物価指数が上がっていることを意味しています。国内の企業物価指数も上昇しつつありますが、その上がり方は緩やかで、企業物価指数の上昇の要因は、輸入物価の影響が大きいといえます。
他方、消費者物価指数も上がっています。直近の2025年4月の数値を見ると、消費者物価指数の総合はプラス3.6%でした。その内訳は、食料はプラス6.5%、エネルギーはプラス9.3%である一方、食料およびエネルギーを除く総合はプラス1.6%でした。食料やエネルギーを中心に輸入物価の影響が非常に強いことがわかります。
国内の需給ギャップも見てみましょう。供給に対して需要が不足する状態が長く続いてきました(グラフ1)。これは需要の弱さを示しており、物価の引き下げ要因として働きます。したがって、国内の景気回復は非常に緩やかで、物価上昇に対する国内要因は限定的であることがわかります。

──これまでの物価対策をどう評価していますか。
マクロの金融政策とは別として、これまで行われてきた主な物価対策は、▼原油価格や電気・ガス料金の高騰に対する激変緩和措置、▼低所得世帯への給付金、▼所得減税、▼最低賃金の引き上げなどの賃上げ促進策──があります。
このうち、原油価格や電気・ガス料金の高騰に対する激変緩和措置には問題があると考えています。エネルギー価格の高騰の要因は海外にあり、日本がその価格を抑制することはできないため、上昇分は広く応能的な形で負担するしかありません。それを無理に抑制しようとすると価格転嫁のメカニズムが働かなくなります。つまり、本来であれば、価格の上昇に対して消費者が消費量を減らしたり、別の製品やサービスを代用したりする「節約効果」が生まれるのですが、価格を抑制するとそうした効果が発揮されません。このことは脱炭素化の動きにも逆行するといえます。
また、抑制方法にも問題があります。仮に小売価格を統制しようとすると企業は価格転嫁をできず、業績悪化につながります。また、補助金で価格を抑制しようとすると高所得者にも恩恵が及ぶので、税金の使い道としても非効率です。
重要なことは、短期的には低所得世帯を中心に家計支援を行いながら、生産性の引き上げで極力コストアップを吸収すること、そして物価上昇の下でも生活水準を維持・向上させることができる賃上げを実現することです。
──これまでの賃上げをどう評価しますか?
現在の賃上げの議論は、物価上昇率を上回るかどうかが基準になっています。しかし、果たしてそれでいいのかというのが私の疑問です。
連合の2025春闘の第5回集計結果を見ると、定期昇給込みの賃上げ率は5.32%で、物価上昇率を上回っています。労働組合の組合員にとっては好結果です。ただしマクロ的な平均賃金は依然として物価上昇率を下回り、実質賃金はマイナスが続いています。
なぜかというと連合の賃上げ率には定期昇給が含まれているからです。マクロ的な平均賃金にとって重要なのは、定期昇給を除いたベースアップ分です。連合の第5回集計ではベースアップ分は3.75%でした。これは4月の消費者物価指数における持家の帰属家賃を除く総合のプラス4.1%を下回っています。
また、集計対象の企業だけ見るのはミスリーディングで、対象外で賃上げがなかったり、低かったりする会社もあります。そうした会社も含めて物価上昇を上回る賃上げが必要になります。
──その上で物価上昇率を上回るだけでは足りないということですね。
物価上昇を上回るだけでは、付加価値の伸び率を下回り、労働分配率が低下してしまう可能性があります。これは、付加価値の伸び率に対して、雇用者に分配される報酬の伸びが追い付いていないことを意味します。
日本の長期雇用システムのメリットは景気が悪い時でも雇用を維持することでした。そのため景気後退期に労働分配率が上昇する一方、景気回復期には賃金の伸びが抑制されるため労働分配率は低下、ないしは緩やかな上昇にとどまってきました(グラフ2)。

ただ、これを長期的に見ると、景気の良い期間の方が相対的に長く続くため、結果的に付加価値の上昇に雇用者報酬の伸びが追い付かない事態が生じます。付加価値の伸びを累積させていくと賃金の伸びが追い付いていないことがわかります(グラフ3)。

つまり、賃上げを議論する際には物価上昇率だけではなく、付加価値の伸び率を含めて議論する必要があるということです。日本の生産性は、緩やかながらも上昇していますが、賃金の伸びはそれに追い付いていません。賃上げを議論する際は、この点に注目する必要があります。
さらに重要なことは、持続的な成長のためには、こうした賃上げが持続的に行われることが大切だということです。単年度だけの賃上げでは消費の増加につながりません。
──賃上げに重要なことは?
今述べたように、労働分配率を低下させない賃上げの促進が必要です。また、そうした賃上げが中小企業や非正規雇用労働者にも保証されることが重要です。そのためには、中小企業も含めて労働組合の組織率を高めることが一つです。
他方、労働者個人の交渉力を高めることも重要です。現在は、人手不足が深刻化し、人材獲得競争が激化しています。こうした現状を背景に働く人が職場を選ぶ権利を発揮すれば、それが賃上げ圧力になります。新卒市場ではこうしたメカニズムがすでに働いています。これを新卒市場以外でも機能させるためには、働く側のリスキリングが重要になります。働く側がスキルを高めて職場を選べるようになれば、それが人手不足と相まって賃上げ圧力になるということです。そのためには国や労働組合によるリスキリングの支援が必要です。
このように持続的な賃上げのためには、労働者が職場を選ぶ権利を通じた賃上げ圧力が重要になります。政治に求められる役割としては、中長期的には高度成長期に形成された日本型雇用システム(「高度成長期型」雇用システム)の改革が必要になりますが、短期的にはリスキリングの支援や最低賃金の引き上げ、低賃金の温床となる中小企業対策などが求められるといえるでしょう。