女性を巡る多様性と「壁」
立場の違いとそれぞれが直面する課題困難を多面的に捉えて可視化する
インターセクショナリティの意義

保育士・教育者・研究者
どのような概念か?
インターセクショナリティは、1989年にアメリカの法学者であるキンバリー・クレンショーが提唱した概念です。彼女は、黒人女性が性差別と人種差別の両方を受ける事例を扱う中で、そこで生じる複合的な差別を捉える概念がないことを指摘し、この言葉を提唱しました。インターセクショナリティという言葉は、学術的でありながらも現場の必要性から生まれたという意味で実践的な概念だといえます。
インターセクショナリティを説明する際よく使われる例え話があります。ある車が性別というアイデンティティーを乗せ、もう一方の車が人種というアイデンティティーを乗せて道路を走っているとします。その二つが交差点でぶつかって事故が起きた際、原因はどちらか一方にあるのではなく、両方の要因が複雑に絡み合って起きたと考えるのが、インターセクショナリティの考え方です。
具体的な事例で考えてみましょう。当時のアメリカでは女性の雇用問題と黒人の雇用問題(主に男性)が個別に議論されていました。しかし、その議論からは、その両方の性質を持つ黒人女性の視点が抜け落ちていました。こうした複合的な差別を可視化してアプローチするためにインターセクショナリティという言葉が生まれました。日本語にするのであれば、「アイデンティティーの交差性」という言葉が適していると考えています。
連帯につながる言葉
インターセクショナリティという言葉が最近になって日本社会で認知されるようになったのは、2021年にパトリシア・ヒル・コリンズの『インターセクショナリティ』(人文書院)という書籍が翻訳されたことがあります。
ただし、インターセクショナリティという言葉が広がる前から、複合的な差別による生きづらさを指摘し、それに抵抗する運動は日本社会にもありました。例えば、障害者運動や部落解放運動、さらには在日コリアンの中で展開された女性の運動がその例です。
欧米では1990年以降、インターセクショナリティという概念は、ジェンダー研究といった学術分野のほかに社会福祉の分野で用いられてきました。
特に社会運動の分野では、この言葉はさまざまな抵抗運動を結び付け、連帯を生み出すための概念として活用されてきました。例えば、人種や障害者、移民などのようにどれか一つの属性だけでカテゴライズすることはマイノリティー同士の分断や対立構造につながりかねない。そこに女性という横軸を加えることで、ばらばらだった運動に連帯が生まれる可能性が高まります。インターセクショナリティは、固定的なカテゴライズに抵抗し、多様な人々が連帯することも可能にする概念ともいえます。
社会福祉の現場での活用
また、インターセクショナリティの考え方は、社会福祉の現場でも活用されてきました。行政などが困難を抱えた人を支援する際、女性や障害者、生活困窮者のように単一の側面だけを捉えて支援しようとすると、その人が抱える複合的な課題に対応できません。そこでインターセクショナリティのようにその人の背景には複合的な困難があると考えることで、統合的な、その人により適した支援を提供することができます。
社会福祉には、「全人的支援」という言葉があります。これは支援を必要とする人を身体的、精神的、社会的も含め全体的に捉え支援する考え方を指します。社会的支援では、一人の人間を複数のアイデンティティーの集合体として捉える視点が重要です。
こうした視点を踏まえると、支援を行う側には、支援を必要とする人を一面的に捉えるのではなく、相手の複雑な状況に目を向けて柔軟に対応する姿勢が求められます。組織には、そうした考え方を学ぶ教育訓練の提供と、組織の「縦割り」を超えた体制の整備が求められます。
労働問題との接続
インターセクショナリティの考え方は、複合的な差別を受けている人たちが、職を得られなかったり、昇進できなかったりする問題を扱ってきたため、労働問題と親和性が高いといえます。
これを現代日本の職場に当てはめてみましょう。例えば、育児支援やキャリア形成支援は、「制度の型」に当てはめた支援になりがちです。しかし、職場で働く人たちの状況はそれぞれ異なります。女性の中にはシングルマザーもいれば、障害のある人もいて、求められる支援の形も異なります。働く人の多様性に目を向けて、その人に合った支援を提供するようなフレキシブルさが求められていると思います。
日本の働き方を見ると、標準的な労働者という存在がベースにあって、それを前提に制度などが構築されているように感じます。そのため、マジョリティーの労働者で構成される労働組合は、標準的な労働者の声を代弁しがちです。しかし、それでは標準から外れる立場にある人たちの課題を十分にすくい上げられません。インターセクショナリティの考え方に立つことで、より包括的な運動を展開することができます。そのためにも周縁化された人たちの声を「見える化」したり、誰もが活動に参加しやすいようにアクセシビリティを高めたり、性の多様性などに配慮した包括的な言葉遣いを推進することで、組織や運動のあり方を見直すことが重要だと思います。
なぜこの概念が大切か
インターセクショナリティの考えに立つことがなぜ重要なのでしょうか。マイノリティーの立場を改善しようとすると、一時的にマジョリティーの特権が脅かされるように感じられるかもしれません。しかし、自分の人権のために闘うことは、すべての人の人権のために闘うことにつながります。自分を含め、誰かの人権状況を良くすることは、より良い社会をつくるためのアプローチです。今は自分の利益に直接つながらないように感じられても、それはこれからその組織に加わる人や次世代の人たちのためになります。そういう視点で大きく連帯できるといいと思います。
一方で、そのためには細部に気を配ることも大切だと思います。例えば、広報における言葉遣いに多様性や包括性を反映させたり、誰もが参加しやすい(排除されない)活動場所や時間、コミュニケーションのあり方を工夫したり、そうした細かなところに配慮することが連帯の土台になるのだと思います。
インターセクショナリティを学び、複合的な差別の存在を知ることで、さまざまな人の困難に対し、より適切に光が当てられることを願っています。