働く人の「ふところ事情」
物価上昇の影響と格差の実情「悪い物価上昇」をどう乗り越えるか
賃上げが起点となる好循環の実現へ


首席エコノミスト
──物価上昇の背景を教えてください。
消費者物価指数はおおむね3%前後で推移しており、そのうち約3分の2を食料品の値上がりが占めています。生活必需品である食料品の値上がりは、家計への負担が大きく、痛みの強い物価上昇となっています。
食料品値上げの背景には、気候変動に伴う天候要因もありますが、食料品の約6割を輸入に依存しているという食料自給率の低さがあります。そのため、円安で輸入物価が上昇すると、物価全体が押し上げられるという課題が生じます。
円安の背景には、長年続いた金融緩和の影響もあります。日米の金利差は基本的な円安要因ですが、これに加えて高市政権の政策の影響もあります。アメリカ以上に打たれ弱い日本経済のぜい弱性は、投資意欲を低下させ、海外への資金流出を助長し、円安傾向を強める一因になっています。
──物価上昇の中身はどうでしょうか。
物価上昇の内訳を見ると、「サービス価格」よりも「財」の価格が上昇しています。特に貿易財の値上がりが中心です。
また、「財」の価格上昇に連動する形で「サービス価格」も上がっており、円安と輸入インフレを起点に、幅広い分野で物価が押し上げられているのが現状です。
日本とアメリカの物価上昇の中身を比べると、大きな違いがあります。アメリカでは主にサービス価格の上昇が物価を押し上げています。そのため物価と賃金が連動しやすく、好循環が生まれやすい構造になっています。
一方、日本の物価上昇は財、つまりモノの価格上昇が中心です。財の価格が先に上がると賃金が追い付きにくく、実質賃金が割り負ける状況が続きます。物価の構造からいうと日本は「悪い物価上昇」だといえます。
──物価上昇の見通しは?
物価の内外格差が広がっていて、同じ商品でも海外に行けば日本よりかなり高くなっています。そうなると、日本のコストも海外のコスト水準に引き寄せられるため、物価上昇はこの先も止まりにくいと考えられます。賃上げを加速しなければ日本経済は回らないのではないかと思います。
また、政府が財政拡張しながら金融緩和を続ければ、物価対策をしても円安と物価上昇が進み、「逃げ水」のような状況になってしまいます。摩擦をできるだけ小さくしながら、日銀が利上げを行い、政治としては、生産性向上と賃上げにつながる施策を着実に進めることがポイントです。
──物価上昇の影響を強く受けるのは?
こうした物価上昇の影響を強く受けるのは高齢者です。日本全体のうち、およそ38%が無職世帯で、その多くを高齢者世帯が占めています。高齢者世帯の場合、急激な物価上昇が波状攻撃のように続くと、年金の調整が追い付かず、実質的な生活負担が大きくなります。
この影響は企業収益にも及びます。消費の約4割を高齢者世帯が占めているため、高齢者がダメージを受けると消費が伸びず、企業は価格転嫁がしづらくなります。その結果、付加価値が増えず、賃上げも難しくなるという関係があります。
食料品インフレが進むと、食料品の消費がその他の消費項目を圧迫し、それが実質消費の減少につながります。今年に入ってから四半期ごとの実質消費はプラスですが、ここには高齢者などの消費実態は十分に反映されていない可能性があります。つまり、賃上げで収入が増える世帯は実質消費をプラスにできますが、それが波及しない世帯では、物価上昇の影響がより強く家計を圧迫する構造になっています。
他方、賃上げの成果が及ぶ範囲にも濃淡があります。世帯全体の約5割は勤労者世帯ですが、その中には若年層からシニア層まで幅広い層があります。若年層の賃上げは進んでいる一方、シニア層の賃上げは限定的です。大企業であっても50代以降は賃上げの恩恵が小さく、いわゆる「就職氷河期世代」を含む層では賃上げがあまり進んでいないことが統計にも表れています。勤労者世帯でも周辺に位置する層は賃上げから取り残され、物価上昇の影響を強く受けているのが実情です。
──そうした層も含め幅広い層への賃上げが重要になりそうです。
統計データを見ると、大企業では賃上げが進んでおり、一時金が支給される時期には実質賃金がプラスに転じます。しかし、それがない時期には再びマイナスとなっていることから、賃上げの動きが中小企業へ十分に広がっていないことがうかがえます。
賃上げが重要なのは、賃金のベースラインを引き上げる役割があるからです。ベースラインが上がらないと、非正規やシニア層まで賃上げが行き渡りません。まず、低水準に抑えられていた若年層の賃金を引き上げ、その上で多様な職種や幅広い年齢層に賃上げを広げていくことが、最も現実的な進め方だと思います。
日本の場合、生産性の伸びから見ても、賃上げの余地は十分にあります。特にコロナ初期以降、労働分配率が低下しています。2022年以降、物価上昇の影響で企業の粗利は大きく増えましたが、人件費や原価償却費といった固定費の伸びはそれほど伸びていません。その結果として付加価値に占める賃金の割合が小さくなり、労働分配率が下がりました。
最近になって労働分配率がやや持ち直しているのは、企業がベースアップをした結果ですが、これは賃上げを起点とした好循環を生み出すという点で、望ましい動きだと言えます。
──賃上げをどう進めると良いでしょうか。
個別の企業の話を聞くと、社内の賃金秩序が崩れつつあると感じます。例えば、英語が話せて実務も理解している人材を外部から採用しようとしても、自社の賃金体系がネックになって高い賃金を支払うことが難しいという事態が起きています。こうした課題に対応するためには、企業もベースラインとなる賃金を引き上げる必要があります。高度人材に対して高い賃金を支払うことは労働者間の格差を広げる可能性がありますが、労働移動が活発な高度人材の領域で賃金を上げ、それを周辺層に広げていくことが最も現実的だと思います。外部から採用した高度人材の人的資本がスピルオーバーすることで企業全体の生産性が向上すれば、それは周囲の労働者の賃金にも反映されるはずです。
──労働組合に対する期待を。
1990年代後半以降、日本の雇用は大きく多様化しました。シニアや非正規、請負など、従来の枠組みには収まらない層が広がっています。そうした現実を踏まえると、従来型の組合員だけで交渉していくのではなく、より幅広い労働者も巻き込みながら、賃金を引き上げる必要があります。
現在の労働組合に求められるのは、従来のメンバーシップ的な発想ではなく、ステークホルダーとして多様な労働者とつながり、賃上げや分配を積極的に行うことです。これが、21世紀型のあるべき労組の姿だと言えると思います。
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