働く人の「ふところ事情」
物価上昇の影響と格差の実情生活が苦しいのは
税や社会保険料のせいなのか?
社会保障を支える議論を


──生活が苦しいのは税や社会保険料の負担が重たいからなのでしょうか。
日本の国民負担率(国民所得に占める租税負担と社会保障負担)は、OECD加盟36カ国のうち24番目です。国際比較で見ると、高齢化が進んでいるにもかかわらず、高い方ではありません。
とはいえ、生活実感が厳しいのは事実です。他国でも生活に必要なものを手ごろな価格で手に入れられる「Affordability(アフォーダビリティ)」の危機が指摘されており、その犯人探しが行われています。
その最大の要因は、物価上昇です。本来であれば、実質賃金の停滞がその犯人になるはずですが、日本では税や社会保険料負担がそのターゲットになっています。
──なぜ税や社会保険料負担がターゲットになったのでしょうか。負担は重くなってきたのでしょうか。
確かに、2000年と現時点を比べれば、介護保険制度の導入や高齢者への給付増があったので、社会保険料は重くなっています。
ですが、税や社会保険料への批判の声が高まったのはここ数年です。実は最近の変化を見ると、2010年代後半以降(年金は2017年)、社会保険料率はあまり引き上げられていません。実際、総務省の「家計調査」を見てみると、2010年代半ば以降、勤労者世帯(二人以上)の社会保険料の負担「額」は増えていますが、負担「率」は横ばいでした。
社会保険料の負担「額」が増えたのは、共稼ぎカップルが増え、第3号被保険者から外れるなどして社会保険料を納める「額」が増えたことが背景にあります。つまり、働いて得られる所得は増えたはずです。
にもかかわらず、批判が高まるのはなぜでしょうか。一般的に人々の関心は「率」よりも「額」に向きがちです。その上で、共稼ぎで生活時間が減る中で、「こんなに働いているのに余裕がない」という感覚が批判の背景にあるのではないでしょうか。
日本は、所得格差の縮小が政府の責任と考える人の割合が国際的に見て低いです。背景には自助努力で階層を上がっていけると考えたり、勤勉さを重視したりする人の割合が多いことが挙げられます。そう考える人たちにとって税や社会保険料は少ない方が望ましいことになります。こうした社会的な背景もあるのかもしれません。
──税や社会保険料を引き下げたら暮らしは楽になるでしょうか。
税や社会保険料の引き下げは、可処分所得の増加を通じて家計の購買力を増やすことになります。
しかしその一方で、税や社会保険料の引き下げは、医療や介護、保育のサービスの抑制や削減につながります。実際、訪問介護事業所の倒産件数が過去最多に上っていて、人手不足の中で地方では事業の継続が難しくなっています。
医療や介護、保育といった社会インフラは一度失われるとそれらを取り戻すのは困難です。スキルを持つ人材をすぐに育てることはできませんし、施設をすぐにつくることもできません。一度失われた社会インフラは取り戻すことが難しいのです。たとえ税や社会保険料の引き下げで可処分所得が一時的に増え、家計の購買力が高まったとしても必要なときに医療などの生活を支えるサービスを受けられなければ、人々のウェルビーイングは低下し、生活はむしろ苦しくなる可能性があります。
──減税よりも賃上げが求められる理由は何でしょうか。
減税では格差の縮小に貢献できません。減税はそもそも高所得者層に有利で、インフレも資産を持つ高所得者層に有利です。減税とインフレの組み合わせは、低所得者層をさらに厳しい状況に追い込み、格差が拡大する「K字型経済」が進行する可能性があります。
一時的な減税では「分厚い中間層」を生み出すことはできません。そのために必要なのは、「賃上げ」です。
「分厚い中間層」の創出は、皆保険・皆年金制度の維持のためにも重要です。エッセンシャルワーカーをはじめ、社会保険制度の支え手である働く人たちの賃金を引き上げることが、持続的な制度のためにも求められています。
──税と社会保障による再分配はなぜ重要なのでしょうか。
一つには、格差の固定化を防ぎ、社会の活力を保つためです。格差が固定化すると、生まれた階層のまま固定化されるので教育や努力による上昇の機会が失われます。これは社会的流動性を低下させ、経済成長やイノベーションにも悪影響を及ぼします。
さらに、格差が広がると社会的な合意形成が難しくなり、皆保険のような制度の維持も難しくなります。例えば、社会が高所得層と低所得層に二極化すると、保険料を支払えない層の分まで高所得者が負担することになり、政治的対立が生まれます。その結果、全員が加入するという皆保険制度の根幹が揺らいでしまいます。
皆保険制度をつくった人たちが最も恐れた事態は、社会保険料を負担しているのにサービスを受けられない状態が生まれることでした。負担があるのに給付を受けられないのであれば制度に加入する意味がなくなり、その結果、全員が加入する皆保険の仕組みが成り立たなくなってしまうからです。地方ではこうした事態が起こりつつあります。
今後、日本では高齢化がさらに進み、2040年には「団塊ジュニア世代」が高齢者になります。社会インフラを維持していかなければ、就職氷河期世代が老後に利用できる社会保障サービスは失われることになるかもしれません。
──社会保障制度の維持のために何を訴えると良いでしょうか。
格差や貧困が社会にもたらす負の影響を示すことがまず一つです。格差の拡大は経済成長やイノベーションを阻害するだけではなく、社会的な合意形成を難しくし、社会の基盤を侵食していきます。
もう一つは、負担を過度に強調するのではなく、給付の側面もしっかり伝えることです。税や社会保険料の負担「額」は見えやすいですが、医療や介護、保育などの現物サービスは金額として見えづらいという課題があります。例えば、それらのサービスを公的保険ではなく、民間で賄った場合の費用を示すなどして、制度の意義を伝えることも大切だと思います。社会保障サービスは一度失われると取り戻すことは困難です。
また、将来に対しても負担ばかりが強調されています。社会保障給付費の対GDP比は2000年から2015年の間に約6.8%ポイント上昇しましたが、2025年から2040年にかけての推計では約2.2%ポイントの上昇にとどまるとされています。つまり、労働力をしっかり確保し、働き続けられる環境と適切な賃金を整えられれば、社会保険料の伸びは抑制できるということです。
──労働組合に対する期待を。
SNS上では階層間や世代間の政治的な対立をあおる言説が広がっていて、社会制度をどう維持するかという視点が弱くなっています。労働組合はこうした対立を超えて、社会連帯の基盤になり得る組織です。労働組合が格差や貧困問題などについて包摂的な姿勢を示し、社会的対話を積極的に促進する役割を発揮することを期待しています。
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