特集2025.12

働く人の「ふところ事情」
物価上昇の影響と格差の実情
拡大してきた所得格差
物価上昇は低所得層でより厳しく
格差社会がもたらす弊害とは

2025/12/15
日本では高度経済成長期以降、所得格差が拡大してきた。格差拡大は「アンダークラス」と呼ばれる階級をつくりだした。格差拡大は社会にどのような弊害をもたらすのか。労働組合に期待される役割とは何か。『新しい階級社会』の著者である橋本健二教授に聞いた。
格差拡大は社会の基盤を揺るがす
(写真:阿部モノ/PIXTA)
橋本 健二 早稲田大学教授

格差拡大の動向

戦後日本の所得格差は、1960年から1974年の高度経済成長期にかけて縮小しました。その後、格差拡大が始まり、バブル期とそれ以降に格差が急速に拡大しました。2010年代の変化を見ると若干の横ばい傾向です(図1)。

格差が最も広がったのは、「当初所得」のジニ係数です。当初所得には資産や自営業者の収益も含まれますが、大半が給与所得です。「当初所得」のジニ係数の上昇は、給与所得格差が広がっていることを意味します。

一方、「再分配所得」のジニ係数は、横ばい傾向です。これは所得再分配によって格差拡大が抑制されていることを意味します。しかしこの再分配の大半は年金です。年金を受け取っていない現役世代では再分配が進んでおらず、格差が拡大しています。再分配で格差拡大が抑制されているように見えるのは、年金生活者の数が増えたためです。

「当初所得」の格差拡大の要因は、ジニ係数から直接知ることはできません。そのため要因を推測する必要がありますが、企業規模間格差や雇用形態間格差の拡大が影響していると考えられます。2005年から2015年の雇用形態間格差を分析したところ、正規雇用の収入は微増だった一方、非正規雇用は減少し、格差が拡大していました。

物価上昇は、生活が厳しい層に強く影響しています。日々の暮らしで切り詰めにくい食料や住居の上昇率が高く、低所得層ほど負担が重くなっています。物価指標以上に格差が広がっています。

図1 戦後日本における格差のメガトレンド
        (出典)橋本教授提供

「アンダークラス」の実態

『新しい階級社会』(講談社現代新書)という本で私は、「パート主婦」を除く非正規労働者を「アンダークラス」と名付けました。2022年時点で「アンダークラス」は約890万人いました(図2)。その数は、1992年の約392万人から2012年の約928万人に拡大し、2022年は減りましたが高止まりです。この層はいまや自営業者などの「旧中間階級」(658万人)より大きくなっています。

「アンダークラス」の中で特に増加が目立つのは、「単身女性」です。その中でも離婚や死別で単身になった「離死別」の「単身女性」が増えています。こうした女性の職業経験を見ると結婚直前までは正規雇用が過半数を占めますが、結婚直後に無職の割合が急上昇し、「離死別」3年後になると75%が非正規雇用になります。結婚や出産を機に退職して非正規雇用になることが、「アンダークラス」になるリスクを高めています。

「アンダークラス」の暮らしの実態は非常に厳しいです。個人年収は216万円で貧困率は37.2%、未婚率は69.2%に上ります。生活に対する満足度を見ると、「新中間階級」が52.4%なのに対し、「アンダークラス」は32.7%です。

健康状態にも差があります。「健康状態が良くない」とする人は、「新中間階級」が13.2%なのに対し、「アンダークラス」は22.5%。「抑うつの疑い」があるとする人は、「新中間階級」が26.1%なのに対し、「アンダークラス」は38.9%です。無業者の「アンダークラス」の場合、状況はさらに厳しくなります。このように格差は、所得だけではなく健康面にも大きな影響を及ぼしています。

図2 現代日本の「新しい階級社会」の構造
         (出典)橋本教授提供

「貧困層」との違い

「アンダークラス」は、いわゆる「貧困層」と何が違うのでしょうか。「貧困層」と呼ばれる人たちは確かに昔からいました。「名目的自営業者」と呼ばれる層で、人力車夫がその典型でした。人力車夫は自分では人力車夫を所有せず、お金を出してそれを借りていました。つまり資本を有しておらず、自営業者とはいえない状態でした。

私のいう「アンダークラス」は、こうした概念と似たものだと考えています。つまり、「アンダークラス」は形の上では労働者階級ですが、その実質を伴っていないということです。本来の労働者階級であれば、普通に仕事をして、労働力を回復して、次の世代を育てる必要があります。しかし、「アンダークラス」はそれだけの収入を持たず、労働力を再生産することができません。形の上では労働者階級だけれど、その実質を備えていない。このように従来の労働者階級とは異なるところに「アンダークラス」の特徴があります。

格差社会の弊害

所得格差の拡大は、社会にさまざまな弊害をもたらします。生活保護費といった社会的コストの増大だけではなく、富裕層・中間層を含むすべての人々の生活の質が低下します。例えば、貧困率の高い県ほど平均寿命が短い傾向があります。これは貧困層の平均寿命が短くなるから起きるというだけではありません。格差が拡大して人々の間に敵意が生まれ、協力関係がなくなった結果、社会全体で健康状態を維持することが難しくなるということです。格差研究の第一人者であるリチャード・ウィルキンソンの『格差は心を壊す』という本は、こうした格差の弊害を数多く紹介しています。

格差是正への社会的合意

日本ではなぜ格差拡大が放置されてきたのでしょうか。背景には日本の政治状況があると考えています。

格差拡大に対する人々の意見を聞くと、「いまの日本では収入格差が大きすぎる」と考える人は、全体で7割、野党支持者では8割ですが、格差を容認する傾向が比較的強い自民党支持者でも6割以上に上ります。格差是正への社会的合意はあると考えられます。

にもかかわらず、格差拡大が放置されてきたのは、特定の層の考え方に政治が引っ張られてきたためです。

人々の政治意識を分析すると、政治意識の主要な類型には「伝統保守」「リベラル」「新自由主義的右翼」の三つがあることがわかります。「伝統保守」は、所得再分配に賛成で憲法改正にも賛成。「リベラル」は、所得再分配に賛成で憲法改正に反対。「新自由主義的右翼」は、所得再分配に反対で憲法改正に賛成という結果になりました。「伝統保守」と「リベラル」は格差是正で一致しています。

にもかかわらず日本で格差拡大が放置されてきたのは自民党政権が「新自由主義的右翼」に迎合し過ぎたからだと考えています。この層が有権者に占める割合は13.2%に過ぎませんが、その大部分が自民党に必ず投票するため、その割合以上に強い影響力を発揮してきました。このことが、自民党を中心とする政権が格差拡大を放置してきた背景の一つです。

これを踏まえれば格差是正のためには、自民党が「伝統保守」に回帰し、格差是正を支持する「リベラル」との二大政党的な構図をつくることです。そうすれば国民の政治意識が政党システムに忠実に反映されると考えています。

労働組合への期待

日本の労働組合は、「新中間階級」「正規労働者階級」を中心に組織されています。格差の縮小とは、これらの層と「アンダークラス」の格差を縮小することです。そのためには、「アンダークラス」の当初所得を引き上げ、税による再分配を強化する必要があります。こうした対策を取ろうとすれば、そこには階級間の利害対立が生まれ、難しい問題が生じます。その利害を調整できるのは労働組合しかいません。格差拡大の影響は「新中間階級」や「正規労働者階級」にも及びます。同じ働く者同士として階級間の利害を調整することが労働組合の最も重要な役割だと思います。

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