特集2025.12

働く人の「ふところ事情」
物価上昇の影響と格差の実情
物価上昇に負けない経済へ
力強い消費には「賃上げの拡大」が必要

2025/12/15
物価上昇に負けないためには、賃上げを起点に消費を押し上げ、円安を抑える流れをつくることが重要だ。そのためには幅広い層への「賃上げの拡大」が欠かせない。
齋藤 潤 日本経済研究センター
研究顧問

──物価上昇の背景は?

コロナ・パンデミック後の落ち込みからの欧米における回復やロシアによるウクライナ侵攻の影響で、第1次産品を中心に世界的な物価上昇が起きました。加えて欧米に比べて日本の回復が遅れたため、利上げのタイミングに差が生じ、円安が進行しました。これが2021〜2022年ごろの話です。

最近は少し状況が異なります。輸入物価の動きを契約通貨ベースで見るとその水準は落ち着きつつある一方、円ベースでは高止まりしています。つまり、最近の物価高は、国際市況の上昇ではなく、円安の影響が大きいということです。

──最近の物価高の傾向は?

消費者物価指数は以前より落ち着きを見せており、ピーク時は4.2%(2023年1月)でしたが、直近は3.0%(2025年10月)です。ただし、上昇率は下がっても、物価水準自体は下がっていません。物価水準を2020年1月と比較すると2025年10月は約12%上昇しています。とりわけ伸びが大きいのは食料や家具・家事用品といった生活必需品の分野です。消費者物価指数は、基礎的支出項目(必需品など)と選択的支出項目に分けても算出されますが、近年はこのうち基礎的支出項目の上昇が目立っています。

こうした物価上昇に対して、低所得者層や高齢者層ほど影響を強く受けています。所得階層ごとに購入する品目の物価上昇率を見ると、基礎的支出項目の割合が高い低所得者層ほど物価上昇率が高い傾向にあります。高齢者も基礎的支出項目の消費が多いため同様の傾向にあり、これらの層が物価上昇の影響を強く受けていることがわかります。

──消費の動きはどうでしょうか?

調べてみると意外な動きがありました。物価上昇に直面したとき、一般的には基礎的支出項目を削るのは難しいため、代わりに選択的支出項目が減少すると考えがちですが、実際には選択的支出項目の消費が増加していたのです。これは、低所得者層以外で所得の増加が見られたため、選択的支出項目が増加したからです。消費動向を見るにあたっては、所得階層別の所得動向も含めて分析することが重要であることがわかります。

──物価高の影響を和らげるには?

物価水準が下がるかどうかは、為替レートや金融政策に大きく左右されます。円安を抑えるためには国外との金利差を縮める必要があり、そのためには日銀が利上げをする必要があります。

日銀が利上げできるかどうかは国内消費の力強さにかかっています。高い賃上げが実現し、需要が供給を上回り続けて需給ギャップが恒常的にプラスに転じ、物価上昇圧力が高まる見通しが立てば、日銀は利上げに踏み切ることが可能になります。その基盤となるのはやはり賃上げです。そのため日銀も賃上げの動向に強い関心を寄せています。

──賃上げを起点としたサイクルを生み出す必要がありそうです。

消費を継続的に拡大させる賃上げのためには、次の三つの点に留意する必要があります。一つ目は、高い賃金上昇を実現することです。ただし賃上げといっても定期昇給だけではマクロ経済的な賃金総額は増えません。ベースアップを行うことが重要です。二つ目は、ベースアップも単年だけでは足りず、それが持続する必要があるということです。1年限りの賃上げでは、人々は消費を増やそうとしないからです。そのためにも三つ目として、ベースアップが将来的に継続して行われるという見込みを皆が持てることが大切です。賃上げが継続すると見込めることではじめて消費の拡大につながります。

私が懸念しているのは「トランプ関税」の影響です。2018〜2019年の米中の関税引き上げ合戦では、日本は間接的な影響を受けただけで景気の後退局面に入りました。今回はより直接的な打撃を受けるため、経済の見通しは慎重に見極める必要があると考えています。

そこで大切なのは景気後退局面に入った際に、労働組合が賃上げにどう対応するかをあらかじめ考えておくことです。

日本の労働組合は、第一次石油ショックの際に高い賃上げ要求を行った結果、スタグフレーションを経験しました。その反省から労働生産性に見合った賃金要求を掲げるようになり、景気後退局面では高い賃上げ要求を控えるようになりました。これは貴重な教訓です。しかし現在は、第一次石油ショック当時とは状況が異なります。累積的に見ると、賃上げ率は労働生産性の伸びを下回っており、その分の利益は企業の内部留保に回っています。賃上げの勢いを止めないために、それらを活用するなど、あらかじめ対策を検討しておく必要があると思います。

──賃上げにおいて大切なことは?

連合の賃上げ率だけを見ると物価上昇率を上回っていますが、日本全体では実質賃金のマイナスが続いています。その要因として中小企業や非正規労働者の賃金が十分でないことが考えられます。マクロでの実質賃金のプラスのためには、この層の賃上げが重要です。そのことを私は「賃上げの拡大」と呼んでいます。

現状では賃上げ格差が拡大しています。大企業の正社員ほど元々、賃金水準が高く、それに加えて賃上げ率が高いため、中小企業や非正規雇用労働者との賃金格差が広がっています。格差を広げない賃上げを実践することも大切です。

中小企業や非正規雇用労働者の賃上げが十分でなければ消費は力強く伸びていきません。賃上げを拡大し、それを継続できるかが今後の消費にとって欠かせない要素であり、物価上昇を抑えるためにも賃上げを起点としたサイクルを生み出せるかどうかが重要です。

──「賃上げの拡大」のために必要なことは何でしょうか。

一つは、労働組合が中小企業や非正規雇用労働者の組織化を進め、交渉力を高めていくことです。

もう一つは、労働市場の力を使って働く人のバーゲニング・パワーを高めることです。人手不足にもかかわらず賃金が上がらないといわれてきましたが、それでも若年層など需要があるところでは賃金は上がってきました。2020年以降、中高年も含めて賃金が上がるようになりました。転職して賃金が上がったという人も増えています。人手不足という労働市場の環境を生かして、働く人のバーゲニング・パワーを高めることも賃上げのために重要です。

そのためには労働者がスキルを高める必要があり、政府や労働組合がスキル形成をサポートすることも大切です。

──今後の展望は?

非常に理想的なシナリオは、トランプ関税の影響が軽微にとどまり、賃上げも拡大・継続することで消費が拡大し、需給ギャップが恒常的にプラスになって日銀が利上げを行い、為替が円高方向へ修正され、物価上昇が落ち着くというシナリオです。

悪いシナリオは、トランプ関税の影響が大きくなり、賃上げが停滞し、利上げができず、円安が続くことです。こうなると多少の賃上げでは物価上昇に追い付きません。賃上げを起点としたサイクルを生み出すためにも次の春闘での賃上げに注目が集まります。

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