トピックス2015.10

安保法制反対運動 大衆運動の評価と今後の展望

2015/10/30
安保法制の審議を通じて政府・与党の非民主的な手法が暴かれる一方で、国会前デモをはじめとして、平和主義の理念を掲げた非暴力の大衆運動が、若者をけん引役に大きなうねりとなった。運動に対する評価と今後の展望について、大衆運動に詳しい五野井郁夫・高千穂大学准教授に聞いた。
五野井 郁夫(ごのい いくお) 高千穂大学准教授
専攻は政治学・国際関係論。「オキュパイ・ウォール・ストリート」運動など、世界中の大衆行動の現場に直接足を運び、そのあり方などを研究している。著書に『「デモ」とは何か 変貌する直接民主主義』(NHK出版)、共著に『リベラルからの反撃』(朝日新聞社)など。

デモに対する評価

これまでデモに対して、「そんなことをしても意味がない」という反論があった。だが、そうした意見を述べる人たちは、自分たちが「デモ」という言葉を日常的に使うようになったことを気付いているだろうか。10年前彼らは「デモ」や「抗議行動」という言葉をどれほど使っていたか。つまり、デモという言葉が日常的になったという事実のみにおいても、今回の大衆運動が彼らの中の政治の土俵を変えたという証左なのだ。それだけ社会が変わったということだ。

また、「デモ隊は反対ばかりしている」という反論もあった。しかし、シールズの学生たちは、野党議員が党派を超えて連帯するシーンを数多くつくった。これは街宣行動がリベラル勢力結集の受け皿になったということ。それも彼らが院外から院内へのロビー活動を戦略的に展開してきた結果であり、シールズがリベラル勢力再結集のための重要な触媒になったということである。

非暴力の運動が持つ力

シールズの学生たちの言葉が説得力を持つのは、彼・彼女たちが普通の市民で、学生で、ノンポリであるからだ。シールズ関西の女性メンバーは、自らを雑誌で「生活保守」と書いた。彼女たちは、日常の生活を守りたいから運動をしている。だから、過激な思想には流れず、日常の言葉や目線でモノを語る。それが多くの人の共感を呼んでいる。

特定秘密保護法から安保法制の流れの中で、少なくない人が政治と民意のズレを感じている。シールズの言葉は、そのズレを言葉としてはっきりと示した。

デモをする人間は、感情的だとする意見もある。だが、シールズのメンバーは、「学者の会」とも連帯し、極めて知性的に理論武装した。それは、院外から院内へ影響し、野党再編に向けた一つの理論的な根拠にもつながった。

安倍政権に決定的に欠けているのは理想であり、夢である。対照的にシールズや運動側の非暴力の抗議行動は、戦後70年間先進的であり続けた平和主義の理想を体現している。与党政治家は、シールズの学生たちのように理想を語る力を持ちえない。人を殺す武器を売るような国は、「美しい国」にはなりえない。

民主主義を矮小化する安倍政権

安倍政権は、民意を間接民主主義によるものだけに矮小化している。しかし、民主主義は、間接民主主義としての代理制民主主義と、直接民主主義としての参加民主主義が車の両輪として動いてこそ健全なものとなる。安倍政権が間接民主主義のみを捉えて、選挙以外のときは「民意は黙れ」と言うのならば、それは独裁と同じである。

直接民主主義には、デモや抗議行動、ストライキ、ボイコットなどの手法がある。これらの突き上げは、それを受ける与党政治家にとって面倒くさいものだろう。しかし、その突き上げを受けてなお、説明責任を果たし、正しいと思う法案ならば、正々堂々と通す。これが民主主義の正道だ。

だが、国会審議で暴かれたのは、政府・与党の非民主的な手法だった。公聴会の記録すら残さず、議事録も取れなかった参議院特別委員会での強行採決は、その象徴である。一方、野党議員の熱のこもった反対討論などは、内容を含め、極めて民主的な振る舞いであった。こうして野党議員が民主的な方法で追及すればするほど与党の非民主的な手法が際立った。この事実が暴かれたことは大きい。

政府・与党の強引な手法は、もっとひどくなる懸念がある。日本は軍隊を持たない国だから、ラテンアメリカの権威主義的な政府が、軍を用いて民衆を押さえつけたようなことはできない。海外研究者と会話すると、こうした点において日本は「まだまし」だと言われる。しかし、アメリカの力を背景にすれば、多少強引な政治手法も許されるという原則は戦後70年間を通じてこの国にずっと存在していた。安保法制の審議で、赤裸々な暴力に回帰していく安倍政権の権威主義的な体制の片鱗が見られたと考えている。その一方で、民衆が現実をしっかりと踏まえた上で、学知で武装して理想を語り、政権への抗議の声を強めたのだ。

リベラル勢力の結集

旧来のリベラル勢力は、柔軟な発想をとるべき時期に差し掛かっているのではないか。保守政治家は理念ではなく、利益を優先し、政権維持のためのみに連合している。これに対しリベラル勢力は、良くも悪くも生真面目過ぎるところがある。さまざまな意見対立もあるだろうが、非立憲主義的・非民主的な政権を倒すためには従来の対立点をいったん脇に置いて共闘することも大切ではないか。

「2015年安保」を通じて、人々は政治に対する理想を語りやすくなった。その流れを職場にも反映させてほしい。

憲法28条は、デモやストライキといった職場における民主主義の権利を保障している。それを職場の待遇改善だけではなく、社会をよくすることにも生かしてほしい。社会を変えていくことで職場も変わっていくという実感を持つこと。それは職場の民主主義の活性化によって日本の民主主義をボトムアップさせることだ。日本に民主主義を根付かせる鍵を握っているのは、他でもない労働者であり、労働組合なのである。労働組合こそ、「未来を手に握っている」のだ。

シールズの学生たちは、若者としての大切な時間を国会前デモに費やした。今度は、大人たちがその思いに応える番だ。安保法案の中央公聴会で、シールズの奥田愛基さんは、「義を見てせざるは勇なきなり」と述べた。この言葉を胸に刻むべきではないだろうか。

国会前デモをけん引したSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)。若者たちがリベラル勢力結集の触媒となった

大衆運動の今後

今回の運動でデモの日常化がさらに進むのは明らかだ。安保法案が「強行採決」された時刻の直後から、国会前では「違憲法案、撤回させろ」「賛成議員は落選させろ」といったコールが起きた。こうしたデモは今後も間違いなく続いていく。

非暴力の抗議運動は、暴力を用いた運動よりも目標が達成されやすいことが、海外の研究で明らかにされている。職場における非暴力の運動が日常化すれば、さらに力強い運動につながるはずだ。

また、落選運動は法律で禁じられていない。この法案に誰が賛成し、誰が反対したのか。有権者は覚えておくべきだ。

世界の潮流と日本

世界の潮流を見ると、イギリス労働党では、愚直に理想を語り、つねに弱者の側に立って運動の現場で行動してきた左派のコービン氏が党首になった。緊縮財政や新自由主義的な政策のもと、生活や人間としての尊厳が切り詰められていく政治に、人々が拒否の意思を示した結果であろう。

日本でも同じように、ふたたび人々が正しさと理想を語る政治を求めるようになっている。人々は、自分が本当に正しいと思える理想を自覚しつつも、それを示す道を忘れかけていた。しかし今回の安保法案の審議を通じて、その声に野党が応じることで、人々は理想を守ろうとする国会議員がいることに気付いた。一方で国会議員も自分たちが国民の声を負託されていることに気付いた。このように、院外と院内の距離が近づいていることを前向きに評価すべきであろう。

政権交代に向けて、潮目は変わりつつある。今回の安保法案の審議で与党は間違いなく深い傷を負った。理想を語れない政府・与党はますます厳しくなる。「2015安保」を起点に、この国に住む人々は、理想を体現できる力を持っているのは他でもない政治なのだとふたたび気付き始めたのではないだろうか。

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